26: 「あそび」  太鼓持あらいさんを迎え

 山中町の商工会を中心とした「いい花」の一環として「食の花」が企画されました。明月楼では1月の26日に太鼓持あらいさんを迎え、食談をしました。 「明月楼のお座敷あそび」と題し、あらいさんの講演と芸を楽しんでいただき、あそび心を持ったしつらえやお料理を心がけました。
 玄関を入ると「食の花」のあかりが灯り、控え室には一枚板の神代タモの座卓を友人の工房よりお借りし、友人の手による創作菓子でお抹茶を召し上がっていただきました。 また、冷酒器盛皿は竹を切ってきて自ら作ってみました。それから、これまた友人のお父さんが九谷焼を焼いているのでその九谷焼大皿に焼物を盛らせていただき、銘々皿や酒器までお貸しいただきました。 そんな訳で自分のできる事とそれに加えてこういうセッティング(もてなし)も面白いだろうと思う事をやってみました。 定員は20名と少なめですが、お料理の事、接客の事、それからあらいさんのお座敷芸を考えるとちょうど良い(限度かな)人数だったと思います。
 こちらから積極的なPRはせず、「いい花」として出したニ度の新聞広告程度でかなりのご予約をいただき感謝しております。 地元以外のはじめての方が多く、山中の魅力・明月楼の魅力を少しでも感じていただきたいとがんばりました。
 お膳は以前使っていた木製の物。 足も低く、小さめなのであんまり乗らないけど、どうして一品ずつしか出さないし平気です。 少し直し傷がありますが、それも愛嬌で我慢してもらいましょう。 箸置きは梅の枝にしました。 本当は庭の山茶花にしようと思っていたんですが、今年は暖かくもうほとんど花が咲き、散ってしまい断念しました。 竹の冷酒器は竹の風味がお酒に移りまた格別の趣があります。 なかなかの自信作です。 お酒はお燗も冷酒も地酒ですが、いつも使っている物で取立てて珍しいものではありません。 でも、私のお気に入りです。
 献立も季節の物・地元の物を考え、寒鮒・自然薯などを交え作ってみました。 しかし、変にいじくりまわすのではなく、普段のようにしました。 それは普通の明月楼を見てほしかったからです
 そんな訳で一月はこの事だけに集中していたようなものでした。 私たちはこのようなイベントのノウハウは無いので勉強のつもりでやらせていただきました。 
 本当にいろんな人にご協力いただきありがたく思っています。 みなさんのお陰で楽しく終わらせる事ができました。 「おあそび」なんですから楽しくやらなきゃね。
 最後になりましたが、あらいさんにつきましては言う事はありません。やはりお座敷のプロです。今回本当にいろいろご無理を申し上げました。心よりお礼申し上げます。またごいっしょにお座敷を作りたいと思います。






27: 山中温泉の料亭の話

 山中温泉に料亭ができたのは、温泉客が湯治本位から遊興目的に変わり始めた明治の中頃のことです。 それ以前は、北前船の船頭や豪商たちは何日もの逗留、湯治の間に「山遊び」と称し、薬師山や医王寺のお亭などで芸者幇間を伴い酒宴を催していたようです。 宿は泊まるだけ、遊びは外でということだったようですね。 明治の末頃にはこおろぎ橋周辺に4軒、黒谷橋周辺に2軒の料亭があったようです。 そのなかの1軒が明月楼の前身の浦島楼でした。(どのような経緯で祖父が譲り受け、明月楼を始めたのかわかりませんが、それまでは4軒のうちの1つである「増喜楼」にお世話になっていたようです。) こおろぎ橋の料亭がはやっていた頃(明治の末頃かと思います)は浦島楼が黒谷橋まで川舟を出していたようです。 仲居さんや芸妓さんをのせ、酒肴を持ち込んでの遊覧で、風情がありますよね。 戦後も一時復活しましたが、長くは続きませんでした。
 その後の経済環境や旅館設備の変化などによって、現在「料亭」として残っているのは当、明月楼だけとなりました。(もう1軒は旅館として営業しています。)
 何年営業しているとか、歴史がどうだとかは別にして、山中温泉の料亭として生き残っていきたいと思っています。

昭和初めの頃のこおろぎ橋