河合メンタルクリニック


現代におけるカーペンターズ

 私は、現在も茨城の老人ホームに毎週通っているが、敬老の日の家族会での演奏も無事終了した数日後、日常の音楽のセッションの中のオーケストラでバイオリンを弾いていたところ、女性週刊誌から電話取材を受けた。取材の内容は、「今、リバイバルとしてカーペンターズのソングが、香取慎吾の出演しているテレビドラマの挿入歌として歌われたり、若者の間でまた流行っている。音楽療法に関わっているものとしてコメントを」というものであった。セッション中でもあり、その時は取次がれず、相手がセッションが終わる頃を見計らって電話をかけ直してくることになったので、それまでの僅かな時間に考えを大急ぎで以下のように頭の中で整理してみた。バイオリンを弾きながらなので、それこそ演奏は上の空である。

 彼らの歌は、直感的に癒し系のものと考えられ、それが理由で音楽療法に関わっている者に意見が求められたのだろう。だからその背景を療法的立場に引き寄せて、素人にも分かりやすい表現にして提示することが要請されているのではないか。

 兄妹のペアのコンビで、妹のカレンが、拒食症が原因で死亡したことはよく知られている事実である。拒食症、過食といった食行動異常は社会問題化している事実があり家族の病理とも深く関わっていると考えられる。

 妹のカレンの“死”は、それをもっとも先鋭な形で問題提起しているともとれる。彼らの歌に込められたメッセージは聴き手の現代の若者の不安な心を無意識のうちにも揺さぶっていないだろうか。

 また、カーペンターズは河合の二十代に流行しているので、それがいまの十代、二十代の若者に受けているということは、ほぼ二世代の間隔をおいていることになる。その現象を何か世代継承の観点から、現代のバラバラになった家族像との関連で捉えていくことができないだろうか。まとまりがなくなって家族が歌に込められた不安を共有することで逆に一つの連体意識を持つことができるのではないだろうか。

 ここで、なぜ彼らの歌が世代を超えて共有されるのか、その普遍性に就いて語るのは易しいことではない。彼らの曲全般から受ける印象として、スローバラードの包み込むような雰囲気は、人の心の奥底にある胎内回帰願望にも結びつくのではないだろうか。

 咄嗟に以上のことを考えた。半ば強引とも思える最後の部分は、母子のあいだで歌い継がれていく子守唄の持つ意味合いからの連想である。

 雑誌(「女性セブン」平成十四年十月十日号)には、「カーペンターズのメロディ、声質は人を包み込むような感じがある。それはまるで、子供が子守歌を聴いて安心するような感覚なのです。人は、胎内回帰願望があるとされていますが、カレンの歌声には、その願望を満たすかのような、ほのぼのと懐かしい感じがある。また、さまざまな不安や悩みを心に抱えた彼女が、文字通り身を削るようにして歌った歌ですから、聴く者の耳にはそれだけ切実に響き、心を打たれるのでしょう」と載った。

戻る


(C)Kawai Mental Clinic 2002 All rights reserved.