河合メンタルクリニック


無題

 

 この項の著者は、本書の著者の河合自身である。河合の愛読書はメーテルランクの戯曲、「ペレアスとメリザンド」(杉本秀太郎訳,岩波文庫)である。メーテルランクは「青い鳥」の作者といえばお馴染みであろう。原文の仏文と和文とが対照になっている文庫本を通勤の往復の電車内で繰り返し読んでいる。表紙がボロボロになってとれて、買い替えを重ねて、今持っているものは5〜6册めのものである。もう絶版になってしまったので、現在手持ちの本を大事にして読んでいる。

 大仏次郎賞をとった訳者の杉本秀太郎氏の訳にも魅せられ、手紙までさしあげて、ご丁寧にも折り返しのお手紙を頂戴した。その中で「(繰り返し読む)そのような読者を期待していた」と書いてきてくださった。


 メーテルランクは思索する賢明な老王アルケルにして、身内の最大の悲劇に直面した後でさえ、最後まで運命の何も分からないと言わしめている。

 訳者の解説によれば、劇の進行に関する説明的な言辞はほとんど発見できず、わずかにアルケル王の口から洩れる意味深長な箴言のいくつかが、それをこの劇の文脈の説明として受け取るなら、説明的といえるくらいなものだ。

 そのとき、アルケル王はメーテルランクの運命論を代弁しているようである。

 運命の明視は目明きよりも盲目の状態において、なお一層よく達成され得る、とアルケル王は考えているとしている。

 さらに訳者は、独りでそっと立ち去った寡黙なメリザンドの魂は、ラファエル前派の絵の世界につながってゆくもののように見えるとしている。すなわち画風に特徴的なものとして、描かれた寡黙な女の姿態によって画面を夢の情景につなぎ留めようとしたのがラファエル前派の画家たちであるのだという。

 この派の画家といえば、19世紀の英国の女流詩人クリスティナ・ロセッティの兄としても知られているダンテ・ロセッティが本邦でも有名かと思う。ここではそこから連想される妹の詩を以下に載せることにする。

 

「どちらが重いの」

どちらが重いの 海の砂と哀しみと

どちらが短いの 今日と明日と

どちらがもろいの 春の花と青春と

どちらが深いの 海と真実と

 

 三井ふたばこの名訳であるが、原文にあたると、海の砂の重さにたとえられる哀しみとは、人生においていったい何なのだろう。そして真実とは…

 かって音楽療法の本を著わしたときに、歳時記の章で、老人のリハビリ病棟の中を季節の風が通り抜けていく気配を音楽のセッションを続けていく中で感じたと記した。その際に章の冒頭に載せたのが以下の同じく彼女の詩である。

 

「誰が風をみたでしょう」

誰が風をみたでしょう

ぼくもあなたもみやしない

けれど木の葉をふるわせて

風は通り抜けてゆく

 

 訳は西条八十で三井ふたばこはその娘である。

 運命は気配で感じとられるものであろう。

 

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