河合メンタルクリニック


「音楽療法」の書評

 今月は拙著「音楽療法」(南山堂)に対する書評を載せたいと思います。評者は村井靖児先生で、慶応大学医学部を卒業された後に東京芸大の楽理科も卒業された精神科医です。老年精神医学雑誌に収録されています。


 さわやかな本である。音楽療法に特別に情熱を燃やしながら、音楽療法の世界ではやや異端児的存在の著者が、その想いを十分に書き尽くした本である。

 最近、音楽療法への関心が急速に高まっており、多くの人が矢継ぎ早に本を著わしている。それらは音楽療法士や音楽療法の教育に携わる人たちが書いたもので、音楽療法を勉強しようとする人たちへの教育的、啓蒙的書物であるのに対して、本書は、著者が音楽に深く惹かれる一医師として、読者をより一般に広げ、あるいは医師らをも念頭において、音楽療法が生まれる必然と、音楽療法が治療として存立しうる可能性を客観的に示そうとつとめている。

 本書の構成はなかなかユニークである。宮沢賢治の「セロ弾きゴーシュ」の話しが文頭に出てきて、それが日本で初めて語られた本式の音楽療法寓話であることが紹介される。その後、音楽療法に関する四方山話が述べられて、話はしだいに著者が非常勤で勤務するある老人病院の音楽療法活動の話になり、いかに彼が音楽専門家を巻き込んで、老人オーケストラのための音楽を書いてもらい、いわばその郷土の音づくりをとおして老人の療法セッションを展開するに至ったかが語られる。

 後半のほとんどでは、その老人病院で展開される音楽療法の一部始終が記述される。本書を魅力的にしているのは本の至るところに挿入されている著者の友人ら助っ人たちの小論文である。わざわざ本書のために書かれたらしいこれらの小論文の配置は、「セロ弾きゴーシュ」に現れる動物たちの謎めいた存在に似ている。

 老人の音楽療法の実際は、音楽療法にかかわった著者を含む数名のスタッフと日誌風に綴られていく。お年寄りたちが生き生きしてくれることに、毎回の音楽療法の意義と成果を見だし、老人たちの示す変化への著者のやさしい眼差しがなげかけられる。

 このような偽らない音楽療法風景の描写に、もし読者が共感することができれば、音楽療法の半分は受け入れられたことになるかもしれない。なぜなら、音楽療法が作り出す世界は、まさしくこの世界だからである。

 残る半分は、このような活動が、治療として有効性を発揮できるかどうかの証明であろう。これについて、著者はADLとQOLを挙げて、老人の音楽療法による変化を数量化できる可能性指摘し、巻末にもう一人の助っ人である斎藤尭幸氏による付録、「音楽療法の客観的な評価は可能か」の小論を掲げている。

 初めにセロ弾きゴーシュが出てきたが、著者が無意識のうちに自分とセロ弾きゴーシュを同一化していたことが最後になってわかってくる。それを著者は、「谷川岳の麓での著者らの音楽合宿を企画した自らはボヘミアン的生活を目指している人間」に綴らせて、自らほくそ笑んでいる。読者はそこで一杯食わされたと思うのであるが、このような本書の工夫が、読後のさわやかさにつながることが感じられて好感がもてる。

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