河合メンタルクリニック


よしの桜

 

 奈良県の南の吉野山は日本の桜とお花見の原点です。各地の花の名所は、山深く簡単には行かれない吉野の代わりと言ってよいのかもしれません。谷を埋め尾根を彩る桜の9割はヤマザクラで、様々な品種の祖先でもあります。この山は奈良時代以前に修験道を中心とする宗教的な聖地となった頃からサクラが植えられはじめ、一方で後醍醐天皇や源義経など都での争いに敗れた人たちが逃れてきて英気を養い、リベンジを誓う所でもありました。

 吉野は山のふもとの電車の終点のあたりを下千本、大仏殿に次いで日本第二の木造建築である蔵王堂のあたりを中千本といい、さらに山を登って上千本、奥千本と山の低い方から花をつけていきます。奥千本のあたりは西行法師が隠れ住んだといわれています。さて歌舞伎の好きな方は、「義経千本桜」をご存じでしょう。義経を追って吉野山に入った静御前は義経の形見である鼓を大切に持って来ていましたが、この鼓の皮となった狐の子供が義経の家来、佐藤忠信の姿を借りて静に従ってきます。やがて子狐は正体を現わし親の身代わりの鼓をもらって大喜びで山へ帰っていきます。忠信を演じる猿之助の早変り、宙乗りでも有名ですね。

 先ほど申しました吉野山の奥千本の入り口あたりに、実際に「忠信の花やぐら」と呼ばれる見晴台があります。北に遠く飛鳥、奈良に向かって幾重にも連なる緩やかな山なみのあちこちに上千本、中千本の桜が霞のように咲き、左中ほどに蔵王堂の屋根がうかぶ景色は「義経千本桜」の舞台そのものです。ふり返れば西行の庵をはじめ、車も通らぬ深い山へとつづく、ちょうど俗世間と神聖な土地との境目のようなところでもあります。

 日本でお花見といえば、花の下でお酒をくみかわし、手拍子をうって歌い踊り、しばし俗世間の現実を忘れて楽しみますが、これから演奏する「よしの桜」もそうした光景を題材にお神楽や長唄の要素も加えて作られた曲です。お花見にはまだ少し早いですが、お年寄の皆さんの一生懸命な演奏に歌舞伎の舞台や、そして実際の吉野のお花見を想像してひとときを楽しみ、元気をもらって頂けたら幸いです。

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