夕焼けこやけ
夕焼けこやけで 日が暮れて
山のお寺の 鐘が鳴る
お手々つないで みな帰ろ
からすと一緒に 帰りましょ
音楽の時間の最後は、“夕焼けこやけ”が定番となっています。いつの頃からか、セッションの締めくくりにこの歌をみんなで歌うようになりました。この曲がピアノとバイオリンの伴奏で歌われはじめると今日も終わりという約束事になっています。セッションの構造と自然の情景が重なる瞬間です。
かつての小学校の先生が立ち上がって踊り出します。歌声が響き渡ります。いつしか歌と踊りの共演です。
“遊び”の終わりにいかにもふさわしいので、ごく自然に定着したものです。お手々つないで帰る先に待っているのは、温かい灯であり夕食であり、そして母親です。
その日の集いの終わりにお年寄りもスタッフも緊張を解きほぐし、あたかも幼児期に回帰したかのような、ほのぼのと懐かしいひとときを共有するのです。
それは人の心の奥底にある胎内回帰の願望なのでしょうか?はるかな昔から、生まれながらに現世の苦しみを嘗めてきた庶民にとって、救いとはいつかーーそれは死後のことである場合が多いがーー理想郷において安らぎを得ることでした。
わが国中世の念仏踊りや、アメリカの黒人霊歌のように特定の宗教と結びついたものも、古今東西多くの例をあげることができます。日本人の心情から言えば、仏教にいう“彼岸”を目指す心にあたるのかもしれません。
子供が帰った 後からは
まるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空にはきらきら 金の星
人が舞台を去ったあとには満月、満天の星という悠久の昔から変わらぬ大自然が残ることを私たちは悟るのです。
人は年齢を重ねていくにつれて必然的に失うものも多くなります。一方を失えば他方を失うのであって、ことに初老期以降は自分の選択によらない不幸な喪失も否応なく増えていきます。そのような喪失体験を乗り越える上でも、幸せだった若い頃や幼児期に帰るよすがとして、歌の役割小さくありません。もし幼児体験に回帰して生を終えるならば、これほど安らかな終末はないと言ってよいでしょう。(この項の多くの部分は、拙著「私にとっての音楽療法」文芸春秋臨時増刊号“長寿の医学”2001年10月刊に拠りました。)