マリア         

第2章第4話「新橋へ」

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 ユキと砂村が、新宿の自衛組織で一晩の宿を借りていたその夜。
 彼らを招き入れた当の本人菊池が,リーダーの橘の部屋を訪れていた。
 
「なあ薫、俺明日、あいつらを連れて彩耶んとこに行ってみるよ。」
菊池の申し出に橘は頷いたが、
「うむ。彩耶なら大抵の事は治せるだろうが・・・実は、すでに志願者がいてな。」
「ええっ?・・・ヒカルか?」
「ああ。」
 それはあの、自衛組織の入り口を守っていた少女のことだ。まだ高校生ではあったが、対悪魔の戦力として組織の中で大きな位置を占めていた。
「わざわざヒカルに任せなくても、俺が行きゃあ話が早いじゃないか。」
「・・・お前が彼女のことを放っておけないのは分かるが・・・」
 96年の悪魔出現の際、菊池には悪魔に心を支配され、仲間を手にかけようとした過去があった。普段軽口を叩いてばかりだが情に厚い彼のこと、ユキの事をとても人ごととは思えなかったのである。
「ヒカルもどうやら、彼女に対してDIOを使おうとしたことを結構気にしてるらしい。まあ、あいつにも志願する理由があるということだ。」
 悪魔の数が減ってきているとはいえ、戦力が二人も欠けてしまってはここの守りが危うい。同行できるのは一人だけだ。それは菊池にもよく分かっていた。彼は結局、渋々引き下がることになった。


「・・・というわけで、私がこれからお二人をボディーガードしますっ!よろしくね!」
 翌朝、悪魔を祓うことのできる人物を訪ね新橋へと出発しようという時、遙か年下の少女にそう告げられて、ユキも砂村もさすがに呆気にとられた様子だった。昨日拠点の出入り口を守っていた高校生、ヒカルである。
「大丈夫、こいつはうちの中でも三番目くらいの戦力だよ。鈴子もついてるしな。」
見送りに出ていた菊池が言った。
「あーっ、三番目くらいって、なんですかその微妙な数字は!?」
 途端にむくれてみせるヒカル。表情のくるくると変わる、にぎやかな娘だ。そしてその後ろに影のように付き従っているのが鈴子だ。きれいに切りそろえた黒髪に、しなやかな体つき。整った顔立ちをしているが、その視線を向けられた者は思わず身がすくんでしまう、そんな不思議な迫力を備えた女性であった。
「それなんだけど、あの車には3人しか乗れないぜ」
 砂村は、いつの間にか同行の人数が増えていることに、不満そうに言った。
「大丈夫、・・・鈴子」
 ヒカルが鈴子に頷いてみせると、鈴子の姿が一瞬、空気に溶けるように霧散し、再び集まって一匹の猫の形となった。闇を切り取ったかのような黒猫だ。
「猫又の鈴子だ。よろしく」
 びっくりして固まっている砂村の前を通り過ぎ、鈴子はさっさと車に乗り込んだ。

 菊池が餞別にリュック一杯の食料などを持たせてくれ、こうして3人と一匹を乗せた自動車は新宿の街に走り出した。
 昨日はお台場から北を目指していたが成り行きで新宿へ。今日目指すのは新橋だから、ほとんど来た道を戻るような方向になる。だが、何をするべきかもはっきりせず出発した昨日に対し、今は目的がはっきりしている。一晩で、状況はかなり改善したとも言えるだろう。
 ハンドルを握るのはすっかり回復したユキ、後部座席に砂村とヒカル、そして黒猫の姿の鈴子はラゲッジボードの上に陣取った。砂村は悪魔がすぐ後ろに乗っていることが気になって仕方が無い様子だ。
「いきなり後ろからガブッとやられたりしないだろうな。」
「失礼ねー、鈴子はこの辺をうろうろしてる野蛮な悪魔とは違うんだから。」
 一方、当の鈴子は人間同士の会話になど全く興味が無い、といった様子で眠っているように見える。
「・・・じゃあヒカルさん、悪魔と仲良くできるのがあなたの力ってこと?」
 ユキがルームミラー越しに尋ねる。彼女は大学の武内が猛獣のような悪魔と親しくしていたのを知っていたので、砂村ほどは驚いていなかった。
「うーん、わたしの力というか、このプログラムのおかげなんです」
 ヒカルは胸ポケットの上からハンディモニターを押さえて言った。

「プログラムって、コンピュータの?」
超自然的存在と考えられていた悪魔と、理論の固まりであるコンピュータの組み合わせ。これはユキも砂村も、全く予期していない意外な答だった。
「そうです。DIOっていうシステムです。これで悪魔と話したり、召喚したり。」
「なんでそんな物を持ってるんだよ?」
ヒカルは砂村の不躾な物言いにムッとしたようだったが、
「よく分からないけど、悪魔が出てくる少し前に、電子メールでばらまかれたみたいです。DIOが悪用されてこれから大変な事になる、これを使って生き延びてくれとか、そういうメッセージ付きで。」
「うーん、なんか信じられないなぁ」
砂村が車内で窮屈そうに伸びをしながら言った。コンピュータで悪魔を操れるという話も、そのシステムが今回の悪魔出現の原因かも知れないという話も、悪魔出現事件の根幹そのものである。それだけに、俄には信じがたかった。
「それじゃ実際に見てみる?」
ヒカルが意地悪く言う。だが、
「まあ、使わないですむなら、それにこしたことはないわね。」
ユキが二人のちょっとした衝突にあっさりと終止符を打った。


 平時なら渋滞を考慮しても2,30分の距離であろうか、だが道路の状態は最悪だ。それを自動車で通れるところを選びながらスピードを抑えめに走っていく。
 後部座席ではヒカルと砂村が菊池に渡されたリュックの中身を物色にかかっていた。水や食料品、小型の銃器などは想像の範囲内であったが、底の方に入っていた年式の古いハンディモニターを砂村が怪訝そうに取り出した。
「何でコンピュータなんてくれたんだ?」
「ハンディモニター同士ならいつでも話が出来るし、戦いには情報が大事、ってことじゃないの?で、いざとなったら悪魔使いもできるし」
 ヒカルがこともなげに言う。
「ええーっ、悪魔使いかよー。」
 砂村はまだ、悪魔が人間に協力することもあり得る、という事実そのものが実感できていないのだ。
 
 ふと、ラゲッジボードの上で寝ているかのようだった黒猫の鈴子が、耳をピクリと動かして身を起こした。
 ユキもほとんど同時に気付いていた。砂村やヒカルにはまだ空に小さな点々が浮かんでいるようにしか見えなかったが、鳥に似た何体かの悪魔が後方から接近しつつあったのだ。
 鈴子がヒカルの膝に飛び乗り、パワーウィンドウを器用に操作して窓を開けた。そして窓枠に前肢をかけて言う。
「ヒカル。念のため足の速い奴を呼び出してくれ。」
「うん、分かった。」
そしてハンドルを握るユキに対し、
「私が食い止めよう。後で追いつくからそのまま走れ。」
「分かったわ。ありがとう。」
鈴子が窓の外へ身を躍らせると、同時にその姿は人に変じた。

 一方車内ではヒカルがハンディモニターを忙しく操作していた。やがてその画面が淡い光を発し始める。砂村が胡散臭そうに見ている中、窓の外に立体映像のようなものが現れた。みるみるうちにその姿ははっきりとしてきて、巨大な亀のようになった。首は長く、腹側の甲羅には無数のとげが生えている。翼も無いのに宙に浮かび、苦も無く車に併走している。
「タンキ、後ろの空飛ぶ悪魔をお願い。」
 悪魔は鋭く鳴いて、身を翻した。

 そうこうしている間にも、一体の鳥形の悪魔が、群れを抜け出しかなりの距離まで近づいていた。
 突然車を襲う衝撃。屋根に何かが飛び乗ったようだ。車内の人間が不安を感じる間もなく、それは力強い踏切の衝撃とともに、後方へと跳躍した。鈴子だ。そして右手の鋭い爪を一閃すると、接近していた鳥のような悪魔は文字通り真っ二つになって散った。
「す、すげえ・・・!」
 思わずつぶやく砂村。
「鈴子がすごいってのもあるけど」ヒカルが得意げに言った。「獣型の悪魔は鳥型と戦うのが得意なの。鳥にとっては天敵ってわけ。こういう悪魔同士の相性を活かすのが、悪魔使いの腕の見せ所なのよ。」

 自動車のそばでの交戦はその一度だけ。鈴子と、もう一体の亀のような悪魔の働きで、じきに鳥たちの群れは遙か後方で足止めされた。昨日砂村が体験した通り、空飛ぶ悪魔との戦いを長引かせれば、それは他の多くの悪魔を呼び寄せることに繋がる。鈴子の判断と働きは最善のものであった。ユキはその知性に感心した。
 
 その時、ユキは道路上に人影を見付け、スピードを落とした。後部座席の二人が前方に注意を向けると、道路の真ん中を、ふらふらと数人の人が歩いている。向こうを向いているので表情は分からないが、どうも様子がおかしい。いずれも黒い血痕がこびりついたぼろぼろの衣服を身につけている。
「ユキさん!車を止めちゃダメ!」
 ヒカルがその不審な人々の正体に気付いて叫んだが、彼らはすでに車に気付いていた。下手くそな操り人形のようなぎこちない動きで、しかし着実に近付いてくる。
 それらはまさに動く屍・・・いわゆるゾンビであった。そのかつては人だったものを、ユキは車で撥ねる決心が付かず、アクセルを踏み込んでいいものか、一瞬の迷いが生じた。その間にも一体のゾンビが徐行する車のフロントガラスに取り付いた。彼がいつから人で無くなったのかは分からないが、晩夏の気候のためだろう、間近で見たその姿は夢に出てきそうな、ひどい有様であった。
 だが、その体は突然脇へと吹っ飛ばされた。小人のような悪魔が、そのサイズに似合わぬパワーで、ゾンビを殴りつけたのだ。ヒカルが呼び出した地霊ノッカーだ。人間の腰の高さにも満たないほど背は低いが、がっしりとした体に大きめの頭。陽気に
「ヘイ、カモ〜ン、ゾンビちゃん。」
等と言いながら、まるで漫画の登場人物のように腕をぐるぐると振り回し、ゾンビ達をなぎ倒していく。相手ものろのろと手を伸ばして反撃するが、ノッカーにはまるで効いていないようだ。
 今や完全に車を停めて見守る人間達の前で、陽気な小人は、最後のゾンビを片付けようと近付いた。だが、油断のしすぎであった。待ちかまえていたゾンビが目から放った異様な光を、まともに受けてしまったのだ。

「・・・ア・・・アレ?オイラ、もしかして大ピンチ?」
 彼の足は、まるで地面に縫いつけられたかのように、一歩も動けなくなってしまった。ゾンビは邪魔者を足止めすると、自動車の方へゆっくりと向き直った。
 だが突然の形勢逆転に慌てる車中のヒカルや砂村が何をする間もなく、銃声のような音とともにゾンビの体がのけぞった。その胸に拳大の穴が開いているのが見えたのも一瞬、その体は塵となって崩れ落ちた。
 
 今のは、ユキがやったのだろうか?砂村は前席の彼女を見た。だが今までのような爆発的なものとは違う。
 そう、わずかな力でも収斂させ、槍のように貫けばいい。ユキはその力のコントロールに手応えを感じていた
 


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