マリア         

第2章第3話「自衛団」

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 突然バイクで現れ二人を助け出したこの菊池という男は、先ほどの身のこなしや、派手目のシャツを少々だらしなく着ている様子からは20代くらいに見えたが、こうして間近で見てみると第一印象よりも多少歳をくっているようだった。ついさっき、単身悪魔の群を裂き、砂村達を助け出した気迫が嘘のように、まるで家族でドライブしているかのような自然体である。
 彼は運転を続けながら後部座席の砂村に色々と陽気に話しかけてくるのだが、自分の力不足のせいでユキをこのような目に遭わせてしまったと感じていた砂村は、とてもそれに合わせる気にはなれなかった。
 彼女は意識の戻らないまま、砂村に抱きかかえられていた。外傷はほとんどないが、呼吸も、脈も消え入りそうに弱い。彼は気が気ではなかった。

 男の話によると、彼は新宿を拠点とする自衛組織のメンバーで、拠点に戻れば医者もいるし、何とかなるだろうということだった。
 ほどなく自動車は無人の高層ビルばかりが建ち並ぶ、新宿の街の一角にさしかかった。ややスピードを落として進んでいくと、どこからか現れた一人の女が、行く手に立ちふさがった。背が高く、細身の体で、それを強調するかのようなぴったりした黒いパンツを身につけている。きれいに切りそろえた前髪の奥から、射るような眼光が向けられる。
 菊池は車の窓から彼女に向かってひらひらと手を降った。
「そんなこわい顔すんな、鈴子(すずこ)、俺だよ、俺。」
 その女は菊池と同じ組織のメンバーなのだろうか、彼を認めると黙って脇に下がり、道を空けた。
 そこからさらに何十メートル先の、地下街の入り口の前で車は停まった。地下へと続く階段の手前には、悪趣味な電光看板が左右に一つずつ、置かれていた。いや、それは電光看板を改造した、何かの機械らしかった。アンテナのようなものが生えており、低いうなるような音を発している。
 そしてここにもまた、門番の女がいた。といっても、こちらは高校の制服らしい格好の、まだあどけなさの残る少女である。
「智晴さんお帰りなさい!そんな車に乗ってくるから分かんなかったよ。」
「ちょっと怪我人を拾ってきてさ。誰かに手を貸すように言ってくれ。」
少女は「はーい」と元気に答え、胸ポケットに入れていたハンディモニター(携帯型コンピュータ)で中の人間と連絡を取っている様子だった。そして 「はい、3名様、入場でーす!」
すると、階段の左右に鎮座したアンテナ付きの機械がうなりを止めた。どうやらその機械は、彼らの拠点の入り口を守る何らかのシステムらしかった。
 何人か若手が出てきて、砂村が手伝う余地もないくらい、ユキの体を手際よく運び入れた。こういう事は、彼らにとってよくあるのかもしれない。


 一行は菊池を先頭に地下街をどんどん進んでいった。そこはもちろん薄暗かったが、要所には十分な明かりを灯し、また人々が活発に動き回っていたので、陰鬱な印象は全く感じられなかった。

 医務室として使われているらしいその一角で、すでに連絡を受けていたのだろう、若い医師が待っていた。彼は白衣姿の砂村を見て同業者と思ったのだろう、「どうですか、状態は。」と尋ねた。
「いえ、この白衣は実験用で・・・」などと砂村が釈明しかけた時、患者を運んだ男の一人が、「ひっ・・・!」と取り乱した叫びを上げた。
 彼らはユキを診察台に寝かせた後、気をきかせて診察の邪魔になるジャケットを脱がせてしまったのだ。

 その悪魔を見るのは、砂村も昨夜以来だった。たった1日で、それはかなり姿を変えていた。
 それは一見、腕を取り巻いた蛇の入れ墨かと見えた。しかしそれは皮膚の下に確かに実体を持って潜んでいるのだ。

「とっ、智晴さん!取り憑かれた人を連れてくるなんて、聞いてないですよ!」
メンバーが口々に責め立てる。
「いちいち騒ぐなよ!ったく、だからって放っとく訳にはいかねーだろが」
 一喝しながらも、菊池は自分が悪魔の気配に全く気づかなかったことに衝撃を受けていた。
 悪魔との数々の闘いをくぐり抜けてきた彼である。奴らの気配など肌で分かる。それを感じさせないほどの小物なのか・・・
 すぐに騒ぎを聞きつけ、出入り口を守っていた先ほどの少女が飛んできた。
「みんな、下がって!」と言いながら、ハンディモニターを操作すると、その画面が淡い光を発し始める。それを見た自衛団のメンバー達は、あわてて部屋から逃げだそうとした。

「待てヒカル。この中でDIOは使うな。」
 新たに現れた男の声。混乱していた人々は一瞬で静かになった。だがすぐに、彼に向かって口々にこの状況を訴え始める。彼が軽く手を挙げて制すと、ようやくメンバー達は落ち着きを取り戻した。その様子から、彼が自衛団の中で一目置かれる存在であることが見て取れた。
 菊池よりも少し歳は上のようだったが、引き締まった長身の男であった。その雰囲気はどこか鞘に収められた刀のような、内なる強い意志を感じさせるものだった。
「いったい何の騒ぎだ?智晴」
「どうもこうも、俺は怪我人を連れてきただけだよ・・・」
菊池が言い訳を始めようとしたが、
「それは私からお話しします。」
 いつの間にか目を覚ましていたユキが、長身の男をまっすぐ見上げながら、語り始めた。

 左腕に取り憑いたまま、なぜか彼女を支配するでもなく、眠り続ける悪魔。これを祓う術を求め、また周りを巻き添えにしないよう、なるべく人の少ない所を目指して進んできたこと。

 男は全てを見通すかのような瞳でユキを見据えつつ、その話を聞いていた。
 話が終わるとわずかな間思案を巡らしている風だったが、すぐに言った。
「事情は分かった。今晩はここに泊まっていくといい。だが明日には出発して欲しい。ご覧の通り、ここのメンバーは悪魔憑きを非常に恐れているのだ。」
「ありがとうございます。」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
「おい薫、そりゃちょっと酷じゃねーか?」
 それは非情な判断であった、だが同時に一晩の保護を約束する言葉でもあった。
 菊池と砂村の抗議に耳を貸すことなく、男は医務室を出て行った。
 決定が覆りそうも無いと悟って、菊池がとりあえず二人を泊める部屋の手配にかかると、直接関係のないメンバー達はやれやれと去っていった。先ほど駆けつけた少女も、何やら神妙な面持ちで持ち場へ戻っていった。


 その夜。ユキと砂村にはそれぞれ、地下街に接続したビルの、地上部分の部屋があてがわれていた。防衛システムの内側ではあるが、拠点の中心である地下街からなるべく離れた場所。それはそのまま、彼らと自衛団のメンバーとの距離を表しているかのようだった。

 だが朗報もあった。菊池が、知り合いに悪魔を祓う力の持ち主がいるというのだ。ただ、東京に一年前、悪魔が現れた頃から連絡が取れなくなっているという。
「あいつのことだから平気でピンピンしてやがるだろうが、前と同じ住所にいるかどうか・・・。ま、俺も一緒に行ってやるから安心しろや」
 そして去り際に菊池はすまなそうに言った。
「薫を・・・橘を悪く思わないでくれ。ここには自分の力では悪魔と戦えない奴らも大勢いる。そういうやつらの命が、あいつにかかっているんだ。」
 砂村は未だ釈然としない様子だったが、ユキはわかっているという風に頷いた。

 菊池が立ち去り、二人がそれぞれの部屋に引き払うと、辺りを静けさが覆い尽くした。
 久しぶりの、静かな満月の夜であった。
 ユキに割り当てられた部屋は小さなオフィスだったのだろうか、デスク3つとすり切れた革のソファが残されていた。電灯は点かなかったが、窓から差す月の光が、室内の物の輪郭をくっきりと浮かび上がらせるほどだった。
 そして、数え切れないほどの星々。東京にこんな夜空が戻ってくるとは、誰が想像しただろう。皮肉にも悪魔の出現により文明が破壊された結果、東京の大気汚染は確実に改善されていた。
 不意にノックの音。いや、ユキにはもう分かっていた。自衛組織の幹部、長身の男(菊池が、彼の名は橘だと教えてくれた)が訪れたのだ。

 ユキは橘に促され、ビルのテラスに出た。ここからも星空がよく見えた。
「さっきは済まなかった。ここでは昔、悪魔憑きのために死者が出たことがあるんだ。みんなとても怖がっている。」
 素直に詫びる彼は、先ほどメンバーの前で見せていたような威厳は感じさせなかった。彼は組織全体の安全を考えなければならない立場にある。情だけでは動けないのだろう。
「いえ、とても感謝しています。あの状態で、外で満月の夜を過ごしていたら、無事では済まなかったでしょう。」
それは正直な気持ちであった。

「ところで・・・」
橘は少し言い淀んだ。
「その力は、最近手に入れたのか?」
彼女がたちまち警戒するのがわかった。
「・・・何の話ですか?」
 つい先ほど、冷酷な決定を言い渡したばかりの相手に心を開いてもらおうなど、無理な話だ。彼は不器用に、困ったような笑顔を浮かべた。
「実は俺も、同じような力を持っている」
 橘はユキの応えを待たず、左の掌を上に向けた。そこに生じた小さな火の玉が、くるりと完璧な円を描いて消えた。それはほんの一瞬の、わずかな力の発露であったが、彼がその力を完全にコントロール下に置いていることを良く表していた。
「始めは力加減が上手くいかなくて苦労したよ。悪魔と同じ力を望んで手に入れた、自分が許せないという所もあったんだが・・・
「だが、悪魔と同じといっても、力自体が邪悪だとか言う訳じゃない。使いこなすのに鍛錬と慣れが必要なだけだ・・・。思い通り使えるようになれば、それはきっと、君が生き抜くための力になる。」
 橘はどうやら、励ましてくれているのだ。
「ではまた明日。戦える奴を誰か1人付けよう。」
 照れ隠しのように、彼は素早く踵を返して立ち去った。
 


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