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[an error occurred while processing this directive]播磨風土記 番外編その2
「石の神、オオナムチスクナヒコナ」
当ホームページ内の「古代出雲王国の謎」のコーナーにある「スクナヒコナの正体」の補足です。


生石神社(おうしこじんじゃ)

主祭神「オオナムチスクナヒコナ」(大国主とスクナヒコナを同一化した神格)
ご神体の石が『日本三奇』の一つとして有名。『石の宝殿』ともいう。
兵庫県高砂市宝殿阿弥陀町


他の二つは、仙台塩釜神社の塩釜、宮崎県霧島神社の天逆鉾。

社殿には、『神代の昔大穴牟遅(おおあなむち)少毘古那(すくなひこな)の二神は天津神の命を受け国土経営もため出雲の国より此の地に座し給ひし時 二神相謀り国土を鎮めるに相應しい石の宮殿を造営せんとして一夜の内に工事を進めらるるも、工事半ばなる時阿賀の神一行の反乱を受け、そのため二神は山を下り数多数神々を集め(当時の神詰 現在の米田町神爪)この賊神を鎮圧して平常に還ったのであるが、夜明けとなり此の宮殿を正面に起こすことが出来なかったのである、時に二神宣はく、たとえ此の社が未完成なりとも二神の霊はこの石に籠もり永劫に国土を鎮めんと言明されたのである以来此の宮殿を「石乃寶伝、鎮の石室と稱して居る所以」』と、ある。


『鎮の石室(しずのいわや)』
通称は『天の浮石』
この、神社の池の中にある巨大な石は、約7メートル四方で高さは約6メートルある。下部は池の水に隠れているため、池に浮いているようにも見える。建物との配置関係もあるが、巨大すぎて一枚の写真にははいりきらないほどの大きさである。

播磨風土記の印南の郡大国の里の条には、以下の話が記載されている。
『原の南に、石の造作物がある。その形は家屋の如くで、長さは二丈、幅は一丈五尺で高さも同様である。その名号を大石という。言い伝えによると聖徳大王の御代に弓削の大連が作った石であるという。』

「平凡社刊行『風土記』吉野裕訳」による。

なんと!「聖徳大王」である。弓削の大連といえば物部守屋!!!!!
という風土記の記述を信じれば、西暦587年(物部守屋の死)頃には、この大石はここに存在し、かつ物部氏の管理下にあったということになる。しかもこの時期の天皇は、用明、もしくは崇峻なのである。
これだから「風土記」は面白い。


石の宝殿以外にも、3箇所に(他にもあるかもしれません)「しずのすわや伝説」を見つけたので下記に記します。現在、計四箇所を確認しています。



まずは
島根県大田市静間にある「静之窟」。「大国主とスクナヒコナがこの地に鎮まったので静間という地名付いた」という伝説を持つ土地でもある。

岸壁にある洞穴の事であり、目前には砂浜がある。洞穴中には石碑と鳥居がある。落石、崩壊があるようで人気はまるでなかった。洞穴の中には「寄りつき」つまり漂流物がそのままになっている。

訪れたのが風雪警報の出ていた日であったので、洞穴やその周辺はなんとも言い難い雰囲気で、ワダツミの声が聞こえてきそうな感じさえしてくる。


次に同じく島根県の瑞穂町にある「志都岩屋」。こちらは巨大な自然石が積んである。周辺はハイキングコースにもなっているが、現在はあまり人影はないらしい。巨岩信仰の聖地といった感じだろうか?

瑞穂町のすぐ隣にある広島県大朝町は戦国時代に製鉄を主産業として中国地方にその名を馳せた吉川氏発祥の地でもある。石見地方を流れる江の川の流域でもあるこのあたりは古代においても流通があったことが偲ばれる。

以下6枚の写真は梅花女子大学 日本文学科 市瀬雅之さまご提供の写真です。
以上6枚の写真は梅花女子大学 日本文学科 市瀬雅之さまご提供の写真です。

さらにもう一つ「静之窟」伝説があった。熊野、根の国、イザナミ伝説など出雲と類似点の多い紀国である。和歌山県西牟婁郡串本町潮岬にある『潮御崎神社』(祭神は少名彦名命)に纏わる伝説がそれである。
『紀伊續風土記 巻之七十六 牟婁郡 串本浦 上野浦』にある記述だそうだ。

この伝説によると、景行天皇の28年に少名彦名命をこの地にあった「静之窟」に勧請したのが潮御崎神社の創始であるという事だ。

この神社と伝説ついての詳しい説明は神社のデータを集積しておられる瀬藤さんの「神奈備にようこそ」のホームページにに詳しいデータがありますのでそちらを参照してください。

「神奈備にようこそ」トップページ

潮御崎神社のコーナーへの直リンク


どの「しずのいわや」にも万葉集巻の三に記載された生石村主真人(おひしのすぐりのまひと天平10年ごろ石見国庁に勤務?)の

「大汝 小彦名乃 将座 志都乃石室者 幾代将經」
(大汝少彦名のいましけむ志都の岩屋は幾世経ぬらむ)


という歌が添えられているのもミソだ。
高砂の「鎮の石室」は平野部静間の「静之窟」は沿岸部瑞穂の「志都岩屋は山間部という違いがあるのだが、この違いはこの二神に対して信仰を奉げた人々の幅の広さを表しているように思える。それだけこのニ神の知名度が高かった事と親しみ安さがあったことが感じられる。

これら三つの「しずのいわや」からは石材、砂鉄、そして海洋交易といったキーワードが見えてくるようにも思えます。トンデモ的ですが(^^ゞ

いずれの
「しずのいわや」にも生石村主真人が上記の歌をこの地で詠んだという伝説がありますが、私は今のところ、この歌以外に「阿賀野神伝説」、「風土記の大石伝説」をもつ石の宝殿が本家のような気がしています。


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