2002年1月20日のひとりごと

  やっとスタートです!

 遅くなりましたが、『父のひとりごと』をようやくスタートさせることができました。以前より、『りょうまの元気日記』では伝えきれないものがありました。それから、りょうまから離れた部分で個人的に感じた事等々。とりあえず、本当に”ひとりごと”のつもりで書き込みいたします。ですので、”それは違うよ!”、”自分はこう思うよ”など、意見メール、どんどん受け付けます!よろしくお願いしますネ。(^O^)/

  枠にとらわれた福祉、どうなってるの?

 じい・ばあは高齢、父子家庭の我が家。それに加え、以前より、ばあの脚が思わしくない。将来ばあの脚がどうしようもなくなった場合、どうするのか?誰か一人でも病気になったら・・・・?。考えたくは無いが、将来現実として降りかかってくる問題である。そんな時、一時的にでも、りょうまを学校から帰宅後、夕方まで見てもらえる施設があればと、昨年初夏にK市に相談。相談してみて、K市は障害者福祉に関し、まだまだ発展途上であると感じた。実際、K市では外部からのボランティアの派遣制度は一様に整っている。しかし、帰宅後から夕方までりょうまをあずかってくれる施設は私の住む区には無く、両隣の区にも無い。

 私は決してボランティアを否定するわけではない。現に、週1回のペースで学生のボランティアにりょうまを見てもらっている。とても感謝している。ただ、そこで感じるのが、自閉症という障害はボランティアではなかなか対応が難しい障害であるということである。百人百様の症状や多動・パニックに、はたしてどんなボランティアでも対応できるのか?疑問である。(月曜〜金曜、専属であればまた別だが)。そして、普段のりょうまの行動を知る、じい或いはばあが、『はい、お願いします』と、2人を外に出し安心できるかということである。そもそも、高齢のじい・ばあの精神的負担を無くすことが目的であり、決して安心できないと考える。

 ということで昨年末、障害者福祉には先進的な隣のY市にある活動ホーム(隣の市と言っても車で15分くらいのところ)に相談してみた。ところが、ここで言われた第一声が、『将来のビジョンがハッキリしないと、うちでは受け入れられない』という愕然とする回答であった。この”将来のビジョン”とは何なのだろう?今、自分達は明日のことさえどうしようかと考えているのに何と言う呆れた発言だろう。将来のビジョン?我々が考える将来は5年後10年後で無く明日なのだということを一生懸命訴えた。しかし、結局健闘むなしく敗退。仕方ないので、”なるようになる”と思うようにした。

 ところが、養護学校にその活動ホームの印刷物が入ってきて、この学校で既に数十人が登録済みと記載されており、目を疑った。裏を取ってみると、どうもK市民がY市内のこのホームを利用することは、行政の区切りから手続き上難しい事がわかった。それなら何故、”将来のビジョン”なる断り方をしたのだろう?そして、距離的にも最も近い施設に行政の厚い垣根があるのは・・・?、一体この先、日本の障害者福祉が欧米並になるのはいつのことなのであろうか?

  目の当たりにした風景

 昨年末、会社で付き合いがあった企業が倒産した。その企業とは長い付き合いであり、社長、従業員もよく知る仲であった。都内に有るその会社に、現状を把握すべく夕暮れの街を歩き到着。そこで目の当たりにしたのは、机も椅子も無い書類の散乱する事務所と困り果てた大家さんであった。社長は夜逃げをしどこに行ったのかわからないとのこと。今、社長は社員はどうしているのか?家族もいただろうに、どうしているのか?ネオンの灯り始めた都会の雑踏の中を歩きながらそう思わずにはいられなかった。