問題のその後


取り上げてしまった問題について、メールのご指摘などを通じてその後考えた事を載せようと思います。


環境適応について(2006・2)

 文鳥の飼育をインキュベーター(孵卵器の意味もあるが、この場合人間用の保育器のこと)の中で行なうことを、一昔前に獣医さんに薦められ、一般向けの飼育書にもそのように書いてあると言う指摘を受けた。そこで早速、その飼育書を図書館で借りて拝読した。
 長屋亘『セキセイインコ―「鳥の病院」の先生が教える飼い方―』(日東書院1995年)
という飼育書で、監修者は当時都内で鳥専門病院を開業されていた方だ。確かに「セキセイインコが生活するには、25度から30度くらいが適温」とした上で、「インキュベーターという容器の中の温度が一定に保てるような装置で飼ってあげるのが望ましいのです」(P80)とするなど、インキュベーターの必要性が強調され、その販売先まで紹介されている。また、インキュベーターが無ければ「24時間30度をフル作動できるエアコンのあるセキセイインコ専用の一部屋が必要です」(P64)と断言し、その理由を「種本来の適温を維持してあげる」(P80)べきだからと説明されている。

 しかし、この獣医さんは、単純な間違いをしているように思われる。なぜなら「種本来の適温」とは、原産地の環境をさすと考えられるが、セキセイはオーストラリアの乾燥帯原産の小鳥であり(同書でも原産地をオーストラリア「南部の草原地帯」としている。言うまでもなく南半球は南の方が寒い)、25〜30度くらいに一定した環境で進化した生き物ではない。むしろその生息域の環境は、昼は猛烈に暑く、夜は急激に寒くなる大陸内陸部のそれであり、インキュベーターの中とはかけ離れた世界と言うしかない。
 一日の寒暖の差が大きく、雨もほとんど降らない過酷な環境で生き抜いてきたセキセイは、ペット化した後も日本の太平洋側平野部では、野外に放置されても平然としているように(同書には野生化したとの指摘もある)、文鳥以上に寒さに強いと見なされるのが一般的だ。もちろん、それが健康に良いか悪いかは難しいところで、『文鳥問題26』本文にあるように、
一定の温度に保てた方が健康を崩す機会を減らすことが出来るとの考えも成り立つ。しかし、インキュベーターの中が「種本来」の環境でないのは明らかで、まして、通常病鳥への看護やヒナの飼育時に必要な25〜30度という高温でなければならないとするのは、少々常識からも現実からも逸脱しているようにさえ思える。

 むしろ、文鳥のふるさとのジャワ島の方が、インキュベーターの中に近い環境と言える。平均気温は28度、この地域は年間を通して寒暖の差が少ないので、まさにピッタリなのである。それでは、文鳥を飼育するのにその何とか言う装置が必要であろうか?
 残念ながら、そもそも
飼育環境を原産地の環境に近い方が良いというのは、実はごく素朴な迷信に過ぎないと言わねばならない。なぜなら、生物には環境適応能力というものがあリ、その適応範囲内であれば、問題なく生活できるのが当たり前だからだ。例えば、赤道直下の原住民の夫婦を呼び寄せ、北海道の牧場で働いてもらえば、最初の冬は寒さで動けず、慣れるまでに何年もの歳月が必要となるかもしれない。しかし、この二人が日本で生んだ子供たちはどうだろう。その子たちは両親同様の容姿であっても、地元の子として元気に生活していくはずなのだ。また、北極圏に生活するシベリアンハスキーを日本につれてくれば、夏の暑さにへたばってしまうに相違ないが、日本で生まれ育った同種の犬は、平気な顔で街中を散歩しているのを、我々は日々に目撃しているはずである。
 つまり、生き物は熱帯なら熱帯、寒帯なら寒帯に適した種独特の進化をするのは確かだが、特に高等とされる生き物では、
生息域の拡大のためにも環境変化に対する適応力が十分に備わっており、その適応限界を超えない限りは、原産地とは異なる環境でも生きることが出来るのである。
 さて、文鳥の場合は、本州で一時野生化しているように、零下数度までは種として適応する能力があり、ほとんど露天の環境で暖房も無しに数百年繁殖飼育されていると言う動かし難い現実もある。こうした長い飼育の歴史の中で、
環境適応をしている事実のある生き物の飼育に、いまさら100代前の祖先の生息場所の環境を根拠として、人間の新生児保育器として用いられるインキュベーターを必須のものとしたら、それはあまりにも現実無視の陳腐な書生論のそしりを免れないものと思われる。
 もちろん、そうした環境で飼育して悪いわけではないが、それはあくまでも個人的な趣味で、他人に「教える」ことが出来るほど確実なものではないことくらい、気がつかないほうが不思議だ。

 そもそも、この十年前の飼育書なり、監修者ご当人の診察室でのお言葉を信じ、飼育書の写真にあるような「閉鎖循環式保育器」を買おうと思っても、それは現在薬事法で「高度管理医療機器」に指定されているので、おそらく一般人が簡単には入手出来ないと思われる。万一故障すれば室内の赤ん坊の健康に重大な影響を及ぼすこの医療機器は、特別なメンテナンスが重要不可欠なので、無責任に売るわけにはいかなくなっているはずなのである。当然、10年前ならいざ知らず、今現在そのような医療機器を一般家庭で購入するように安易に薦める医療関係者は、どこにも存在しないはずだ。
 飼い主であれば誰しもが理解しているはずだが、
飼育は高価なインキュベーターを買えば安心できるほど安易なものではない。もし、メンテナンスが不十分で部屋の片隅でホコリまみれだった高価なそれが、飼い主の留守中に壊れたらどうするのだろうか?また当然ながら停電の可能性もある。そういった緊急事態に、「温室育ち」は、普通の環境で育った文鳥が平気でいられる10℃程度の環境でも、生命の危険につながりうると容易に予想されるだろう。つまり、そういったものを用いない場合とはまた別の問題(人工的に赤道直下の環境に適応させている以上、そういった地域の野生動物を捕獲して飼育するのと同程度の注意が必要)が生じてくることを認識しなければならないのである。

 文鳥やセキセイが多くの一般人に飼育されてきたのは、とりあえず関東以西の平野部であれば、屋外飼育も可能な程度の適応力が十分に立証されているからこそである。熱帯直輸入の動物に比べ防寒程度でさほど温度管理の心配がないという大前提がなければ、現在それらの飼育が普及などしているはずもないだろう。
 ようするに、文鳥やセキセイの飼育でインキュベーターを使用しないのは、飼い主の怠慢でも金銭的理由でもなく、
それが不必要であることを長い飼育の歴史が証明しているからに過ぎないのである。もちろん、そうした歴史的背景や、セキセイの原産地の自然環境に対する知識や、さらに生き物の環境適応力なども考慮した上で、インキュベーターでの飼育が一番良いと考えるのは個人の自由と言える。しかし、それを絶対的に正しい方法と思い込むのは、あまりにも粗忽であろう。
 また、25〜30℃環境を保つにしても、大きな水槽と保温器とサーモスタット(温度調節器)を用意すれば、特殊な医療機器などよりよほど扱いやすく安上がりに可能となるといった事実も存在する。実際、熱帯産のは虫類や両生類や昆虫を飼育する人は、たいていそうやって飼育しているし、熱帯産の鳥を飼育するにしても、普通はビニール温室の中に保温器とサーモスタットを入れるくらいで事足りているはずだ(低湿度に注意)。いったいなぜ、環境適応をしていない飼育の難しい動物を高額で購入し、その飼育期間の長さを競うような人々が、人間用の大きなインキュベーターを調達しないのだろうか?それは金銭面ばかりではなく(お金が無い人ははじめからそういったものを飼わない)、
メンテナンス面の不安があるからに相違ない。一台のインキュベーターがもし壊れたらどうだろう。特殊なそれを修理するまでに、環境適応出来ない生き物は、またたく間に生命の危険に陥ってしまうはずだ。しかし、もし一般に売られている保温器なりサーモスタットなら、さっさと買い換えることが出来るのである。

 繰り返すが、私は、文鳥の飼育において25〜30℃の環境を用意すること自体を悪いとは思っていない。ただしそこで幼い頃から育った文鳥は、その環境に慣れているので、いわば赤道直下で生まれ育った鳥も同然になっている事を飼い主には認識してもらいたいと思っている。そして手乗りであれば、その『温室』から引き出す際には、室内も25℃以上のトロピカルな環境にする必要が出てくるのが論理的帰結となるので、実質的にその飼育方法は難しいものと考えている。手乗り文鳥の飼育とは、飼い主の日常生活と密接して成り立っていることを忘れないでもらいたい。
 せっかく種としての環境適応力の豊かな生き物なのだから、一般常識では暑いと言える環境ではなく、寒くない環境程度を心掛け、一定にすると言っても、冬に20℃前後、夏に25℃前後、ようするに人間が快適に過ごせる室内環境を踏み外さない範囲で十分ではなかろうか。また、格別に病弱な場合の保温は、また別途考えれば良く、それにしてもインキュベーターでなければならないわけではなく、むしろより扱いやすい方法を考えた方が良いだろう。
 この飼育書の獣医さんは、熱心なあまりに逸脱しているところが多々あったようだが、あまりその
特殊に過ぎる極端な結論に振り回され、「〜するのが一番だ」「〜するのが理想だ」などと安易に思い込まず、自分の出来る範囲で考えてもらいたいと願う。


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