問題のその後


取り上げてしまった問題について、メールのご指摘などを通じてその後考えた事を載せようと思います。


つぼ巣否定論への反論(2006・1)

 著名な文鳥サイトに、つぼ巣使用の否定論が載せられていたので、その論点を挙げ反論します。
 なお、私個人は
つぼ巣は設置してもしなくても良いとする立場です。絶対必要と肯定する論拠も、絶対不要と否定する論拠の持ち合わせも無いので、好ましく思えば設置すれば良く、不安があるなら設置しなければ良いだけだと思っています。

≪つぼ巣を否定する論点1≫

日中の活動時間に暗い巣の中で眠ることで、光周性に基づく生体リズムを狂わせ、文鳥の健康に悪影響を及ぼす。

 これは単純な誤解です。
 なぜなら、光周性による生体リズム、つまり体内時計は、人間が木陰で、文鳥ならつぼ巣で昼寝をしたところで乱れるものではないからです。
 体内時計は暗い夜の環境から昼の明るい環境へ明るくなると言う変化の刺激で調節されるものですが、
木陰もつぼ巣の中も十分に明るい環境、つまり昼環境であることに変わりはありません(普通の昼行性の動物での話)。当たり前のようですが(当たり前だと思えない人もいるのでしょうが)日陰で目をつぶればたちまち夜環境となってしまうようなものではありません(『文鳥問題22』など参照)
 第一、この論拠が事実であれば、人間の子供に昼寝をさせる親は罰せられねばならなくなるのではないでしょうか?しかし、人間の子供も眠ることにより夜環境になっているのではなく、たんに体を一時的に休めるために、昼の屋内で寝ているに過ぎません。昼寝と夜の就寝はまったく違うので、活動的な子供には昼寝も必要で、それを行なったところで
体内時計は乱れないのです。
 同様に薄暗いつぼ巣の中で多少昼寝をしたところで、光周性とは全く無関係な話であり、素人の思いつきのようなものは、論拠となり得ないと言えます。

≪つぼ巣を否定する論点2≫

つぼ巣は雌雄を問わず発情を促すが、発情によって生殖器由来の病気になる可能性が高まる。

 オスについても繁殖期には精巣が肥大するとの実験データを基に、そのような状態になれば異常も引き起こしやすくなると類推されているようですが、これについても私には理解できません。そのような因果関係が明確な事例を目にした事がないので判断のしようがないのです。
※そのサイトでは「農業試験場のデータ」として。精巣の重さが繁殖時に「7倍近くになります」としている。この「農業試験場のデータ」が1987年愛知県農業総合試験所報告19にある研究報告のことであれば、長日環境(非発情状態)の平均値94mgに対し、短日環境(発情時)の平均値は292mgなので、7倍とするのには無理がある)。なお、「体重も増えます」とされているが、292mgとは0.292gに過ぎないので、発情しても体重計でその変化を感知するのは不可能と見なさざるを得ない。
 つまり、オスが発情したところでそれがどういった影響を及ぼすかわからないので(
良い影響もあるかもしれない)、この論拠によるオスでのつぼ巣使用の否定は、まったく非科学的なものとしか言いようがありません。
 一方メスについては、つぼ巣の設置が産卵を促す主な原因の一つであり、結果、産卵障害を引き起こすのは周知の事実ですから、寿命を縮めることのないように、メスにはつぼ巣は不可と言えなくもないでしょう。ところが、つぼ巣が無くとも産卵する時は産卵するのが紛れもない飼育上の現実ですから、つぼ巣の有無のみを強調して、それが無ければ発情しないといった誤解を与えてしまうのは不適切であり危険です。
 まして、
発情期に発情するのは自然の摂理であり、生き物として当たり前すぎることです。したがって、それを抑制することだけを正しいとすることは、よほど偏狭な思想の持ち合わせがなければ不可能と言わねばなりません。発情期に発情するのは当たり前、発情すれば産卵するのは当たり前、ただ産卵は危険なことだと人間である飼い主だけが知っているので、気をもむに過ぎないのです。文鳥自身は何も変わったことをしているわけではありません。
 飼い主の立場で、自分の文鳥が長生きするために、その産卵を避けようと考えるのは当然でしょう。しかし、それは本来繁殖期とそれ以外が存在するはずの動物に対して、自然な行為とはけっして言えません。文鳥は飼い主を困らせようと発情なり産卵をするのではなく、生き物としてごく自然の成り行きで一所懸命それを行なっているに過ぎず、まして飼い主と密接となるのが当たり前な手乗り文鳥であれば、その発情を招いた飼い主を一方的に責めるのも奇妙な話ではないでしょうか。そもそもそれが嫌なら、
はじめから人間を恋ビトと誤解させるような飼育自体を否定しなければならなくなります。つまり、手乗り飼育の否定につながる危険を認識出来ているのでしょうか?

≪つぼ巣を否定する論点3≫

老鳥には加温が必要なのでペットヒーターが有効、また老鳥がつぼ巣の糸に爪が引っかけると取りづらくなり、清潔な環境が望まれる老鳥ではつぼ巣は不便であり、そもそも止まり木に止まれる限りはそれだけが良い。

 これはもはや、何もかも否定したいがための寄せ集めで、論拠になりえていません。
 保温でも加温でも何でも良いですが、老鳥に温かい環境を提供する必要があるのなら、つぼ巣とペットヒーターを
併用すればより良いのは当たり前すぎる話だと思います。
 そもそも、文鳥がつぼ巣の糸で脚を引っ掛けるには、爪が長いとか、つぼ巣をつついて破壊しているといった前提条件が必要です。この点で、しっかりケアされた老鳥が爪が長いはずが無く、また巣を壊すのは若・壮年期の文鳥の話なのは自明のことでしょう。まして脚がからんで問題となるのは、若い文鳥が振りほどこうとして暴れてしまうためであり、その点でも老鳥の危険性は比較的軽微と見なせます。つまり、
老鳥がつぼ巣に脚をからめる可能性は極めて少ないのが、経験論のみならず論理的帰結なのです。
 また、つぼ巣など数百円のものであり、設置など数十秒で出来るのが現実ですから、清潔を心がけたければ頻繁に交換すれば済むだけで、そこに不自由な面は何一つありません。気になるなら最低2個用意し、適度に洗い日光で十分乾燥させ、交換していけば良いだけです。
 止まり木で生活させ続けるのは、
一つの主義として何ら否定は出来ません。しかし、繁殖の危険が去り、脚が不自由になりつつあっても止まり木を強制すると言う発想は、少々特殊な思考の所産のように私は思います。それが結果的に多少寿命を縮める結果になるように思えても(実際はどうかわからない)、つぼ巣でも何でも設置して、老後は楽々と過ごせるように考えるほうが、より自然な考え方ではないでしょうか?まして、つぼ巣で安穏とすることが、多少老鳥の運動能力の維持にマイナス面があったとしても(実際はどうかわからない)、体力を保持させるプラス面もあることを無視するべきではないと思います。

≪つぼ巣を否定する論点の番外≫

つぼ巣のある生活を続けると姿勢が悪くなるように思える。などなどの印象論。

 これは、ただの個人的な印象論なので、反論としては、そのような印象は共有出来ないで終わってしまいます。実際、私個人の経験的な印象では、そういった事実は欠片も見出せません(もっとも我が家は短命なので8歳くらいまでしかわからないが、これ以降体型に変化があればそれは老齢に起因するものだろう)。
 そもそも、巣にいると体が曲がるという理屈がわかりません。それでは冬眠がさめた熊などは、春先にその姿勢で固まってしまっているものでしょうか?産卵により体型が変化したり、老齢と運動不足で関節がこわばったりするのは事実ですが、つぼ巣での生活が
姿勢に影響すると言うのは思い込みではないかと私は思います。
 百歩譲って多少影響があるとしても、それにこだわり、
印象論だと自分でも認める話を影響力の大きなホームページに掲載し続ければ、第三者の不安をあおる結果となりかねません。少なくとも老化の主要な問題は、つぼ巣の有無ではなく、関節の柔軟性を保つためのビタミンなどの栄養と運動にあることは、普通の飼い主には共通認識となっているはずですから、つぼ巣にこだわり過ぎるのは偏執以外の何ものでもないように思えます。
 

「7歳になりますが何か?」 「体だってやわらかいではないかな」

自家繁殖で生まれ、巣の無い生活を
知らない7歳のオス。

 反論は以上です。

 さて、私の感想を付け加えます。
 このつぼ巣否定論の論者は、つぼ巣が健康を害すると考え、その害を不特定多数に伝えて減らしたいといった善意からこだわっているに相違ありません。しかし、
あまりに論拠薄弱であり、素人の思いつきによる非科学的なものと言わねばなりません。これでは、多少とも批判力のある飼い主には逆効果にしかなりそうにない点が残念なところです。
 特に論点2を認めれば、つぼ巣の有無どころか発情そのものも禁忌となってしまいますから、
繁殖を行なう飼い主を責めているように誤解されかねないように思えます。
 誤解されずにつぼ巣を否定するならどうすれば良いか、
文章を全面的に改正するのは難しいかもしれませんが(多少とも責任ある論文であればこれは有り得ない。文章化したものは一度書いたらそれがすべてで、訂正が必要であれば別に行ない原文を大幅に変えないのが原則となる)、何かの参考になるかもしれないので、なぜか私が考えてみれば次のようになります。

 「我が家の文鳥たちはつぼ巣無しに長生きしているよ【事実】。これは止まり木のみだと終始バランスをとる必要があるので、その緊張感とバランス感覚が老化を遅らせるのに効果があるのではないかなぁと思う【理由の推定】。つぼ巣で眠る時は緊張感が必要無さそうだから、繁殖の時以外は設置しない方が良いかなぁ。もっとも、緊張感が必要と思うかは、それぞれでしょうね。」

 当然ながら、つぼ巣賛成論の立場でも考えられます。

 「つぼ巣は一種の木陰として日中の休息場所になるし、活動的な文鳥には人間の子供のように昼寝の時間があっても良い気がするなぁ。それで姿勢がおかしくなった事はないよ【事実】。安心した眠りのとれない野生の文鳥は短命だから、昼寝自体は健康に悪いとは思えないなぁ【理由の推定】。だから基本的につぼ巣はつけたいなぁと思う。もっとも想像だけどね。」

 私はどちらの意見も論理的に有効で、科学的にも否定出来ないので、どちらが正しいとは言えません。
 ただ、発情をさせないことで
「文鳥らしく」健康な姿で長寿を保ちうると信じる立場であれば、とりあえず脚が悪くなるまでは、つぼ巣は入れない方が良いことになると思います。しかし、一方で、発情など「文鳥らしく」生きさせるのが前提であれば、幼い頃からつぼ巣を入れるのに何ら問題はないと言うしかありません。結局、飼育スタイルの相違に帰着するものと言えるでしょう。

 私は、文鳥は手乗りにし、つがいで飼って、みんなで遊ぶといった飼育スタイルなので、つぼ巣は必須なアイテムと言えます。その立場から見れば、印象論と誤った素人の付け焼刃の科学認識のみで発情繁殖まで否定するかのような主張には、大きな反発を覚えます。
 しかし、飼育スタイルはさまざまなので、一方の立場からのお仕着せは避けねばならず、それはこちらも同様と自戒を込めて思わずにはいられません。長寿のため、
手乗りであっても一定の距離を保ち、発情も押さえ込み、基本的には一羽飼育をするといった立場があって悪いはずはないからです(これはフィンチ飼育では新しい発想だと思う)。
 今まで、古風につぼ巣で防寒することしか考えていなかった当ホームページの『飼育法』にも、ささやかながら留意事項を付加しておこうと思います。

 「今後繁殖の予定が無く、むしろ発情を避けたいと考え、ペットヒーターなどで防寒対策が行なえるのであれば、営巣場所となるつぼ巣の類は普段から設置しない方が良いでしょう。」

 なお、飼育スタイルを異にする人が、古風なこちらの考え方(普通に飼育して繁殖もおこなう)に配慮して頂いているのかは、私の関知するところではありません。


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