文鳥問題.

《鳥カゴなど》

 文鳥と暮らす日常のなかで、カゴや用具に不満を感じることがある。正直に言えば、ブツブツ口に出して文句を言っているのだが・・・。
 その内容たるや、細かなことまで多岐に存在し、しかもあくまでも個人的な感慨なので、どの程度一般的な意見といえるかは非常に怪しい。しかし、まあ、ホームページだし、しがらみもないから、怪しいにしても実感であるその内容をご紹介するのも良いだろう。【2002年6月】


 鳥カゴへの希望サイズ形状材質止まり木引き出し底網     備品へのコメント


ここをクリック 2005・6鳥カゴへの希望

 この際、満足のいくものはないと言ってしまう。オーソドックスなものはつくりが単純すぎ、最近のものは的外れな工夫ばかり・・・、とまで、あえて断言してしまう。少なくとも、小鳥(ここでは文鳥・十姉妹などいわゆるフィンチ類のこと)を飼う立場にたった考え方で改良されているものにはお目にかかっていない。

※ あくまでも今現在(2002年6月)に、確認できた範囲での話です。

 例えば、鳥カゴ業界のトップ企業であろうHOEI社が、最近開発した鳥カゴ(「ミレニアム手乗り」)に対して、前面の半分ほどが開くなどの工夫点をあげて、文鳥用のものとして絶賛する向きもあるが、私に言わせれば、何が素晴らしいのかわからない
 前面の半分ほどが開くなどというのは、インコ類の鳥カゴに多く見られる仕掛けであり、オカメインコなどの大きめの鳥を取り出しやすくするための工夫にすぎない。体の小さな小鳥は、従来的な上下する開閉口から十分に出入りできるので、
取り立てて意味はないのである。大きな開閉口により、保温器の取り出しに便利とされている方がいるようだが、保温器などは日常的に移動させるものではないので、それだけのためにそのような仕掛けは無用であろう。つまり、よほど善意で解釈しない限り、便利どころか無用の長物となってしまう。
 この鳥カゴは、元気な手乗り、それもラブバード(コザクラやオカメインコ)程度を一羽で飼うのにコンパクトで便利な仕様のものに過ぎず(それだけでも立派なものだが)、文鳥の飼育では、一羽用の普通の小ぶりの鳥カゴ(幅34cm・奥行き24cm・高さ36cm)、それ以上でも以下でもないと思う。

※ そもそも、ひよこ電球による保温器を鳥カゴの中に入れるのには、議論があるものと思う。あまり近づくと、文鳥がやけどの恐れが無いとはいえず、カゴの中を手狭にするし、プラスチックの容器を近くには置けず、水浴び容器からは当然離さねばならない。基本的に鳥カゴの外に設置するものだと個人的には判断している。

単純安価な愛用鳥カゴ また、上記の製品もそのようになっているようだが、底に引き出しのない鳥カゴも出てきている。上部のカゴ部分と下部の本体部分を簡単に着脱できるようにし、本体部分のみを掃除しやすくしているのだが、これも良し悪しである。確かに、底に何も敷かず毎日水洗いをする場合、この仕様は非常に便利となるが、繁殖期などに、いちいち毎日着脱して掃除するのが適当かは、大いに疑問となるのである。
 繁殖をしない飼育で、基本的に毎日ジャバジャバ鳥カゴの水洗いができる環境、それが一般的な家庭での文鳥の飼育環境であるかは、なかなか悩ましい。はじめは良くても、手乗り文鳥を飼育し続けるときに、
当然のように起こりえる環境の変化(繁殖・飼育数の増加など)飼育スタイルの変化にはまったく順応できない仕様のように思われる(別に、困ったら買いかえれば良い話ではある)
 さらにその類の鳥カゴは、
底網が金網上部と一体で取り外せるようになっているが、それは掃除の際に小鳥が底から逃げないための工夫であり、その仕様が必要となるのは、本来ペットショップのはずである。家庭で飼育する者は、掃除は室内で行うことが多いはずなので(というより、放鳥時に掃除する人の方が多いだろう)、万一逃げ出しても問題はなく、その心配は二の次で良い話ではなかろうか。むしろ、もっとも汚れる底網こそ掃除したいと考えるはずで、それにはこの仕様は不適当と言わざるを得ない。

 個人的には、鳥カゴを動かさずとも掃除の出来る引き出し式にこだわって、その問題点を克服した方が、いろいろと応用が利くものと考えている。例えば、毎日洗うにしても、引き出しだけで済めば、その方が楽には違いないと思うのである。
 そこで、文鳥夫婦繁殖用の鳥カゴの個人的な理想を、
もっともベーシックでポピュラーな鳥カゴと思われ、我が家でも使用しているHOEI社の『朝日2号』を基礎にして、具体的に形にしてみたいと思う。

※ 我が家ではHOEI社の『朝日2号』か、GB社の中型を基本にしているが、その理由は昔からの習慣に過ぎない。両者ではサイズに1cm程度の相違があり、『朝日2号』はGB社に対して高さがある反面奥行きが狭い。私は、比較的に奥行きのあるGB社のものを優先して買っている(『朝日2号』の底の溝も邪魔に感じている)。同じHOEI社でも『スター』のブランド名のものを使用する事もあるが、これは、わりあい奥行きがある。ところが高さがない。さらに引き出しが浅すぎるという問題点がある。

朝日2号 GBの中角型 スター大角型
奥行き 高さ
36.5p 29.0p 45.0p
奥行き 高さ
36.5p 29.7p 44.5p
奥行き 高さ
35.5p 30.5p 39.0p

サイズ

 いったい文鳥を飼育する鳥カゴというのは、どれくらいの大きさが適当なのだろうか近所のペットショップで、普通に売られているカゴ『朝日2号』の寸法は、上記のようなものだが、これはまったく狭すぎるといった意見も耳にする。使用者として感想をいえば、確かに狭い。
 しかし、手乗り文鳥は、ほぼ毎日放鳥するはずなので、
運動不足になることはない気もする。ところが、そんな素朴な考えに対して、手乗り文鳥は放鳥したところで、人間の肩などでジッとしていて運動にならないとの指摘があるらしい。我が家の文鳥は、集団で飛び回っているので気づかないが、飼育数が少ないと、確かに動かないといったこともあるかもしれない(個体差がかなりありそうに思う)納得である
 となると、手乗り文鳥といえども、
鳥カゴは広い方が良いということになるだろうか?

 確かに鳥カゴが広くて不都合はない。羽ばたける(ホバリング【空中静止】できる)程度の広さがあれば、健康上最高であろう。しかし、どのくらいあれば羽ばたけるものだろうか?鳥カゴの一辺が、30p幅から45p幅になった程度では、ホバリングなど不可能に思うのだが・・・。そこで、こうした問題に詳しい某ホームページをこっそり拝見したところ、60cm四方くらいは必要とあった。それが最低線なのだろう。それ以下の鳥カゴの中での行動は、結局止まり木の移動程度に過ぎないので、多少大きくしても、五十歩百歩ということになるように思う(少しでも大きい方が良いというのは無理屈である。大きくても良いというのが理屈である)
 それでは、近所のペットショップなどでは
お目にかかれない大きさの鳥カゴを、無理して用意しなければ、文鳥は飼えない(飼ってはいけない)ものだろうか。私はその意見に は反対する。なぜなら、巨大な鳥カゴを用意したところで、特に一羽で飼う場合、わけもなく一日中跳ね回るとは考えづらいのである。文鳥が動き回るのは、集団生活、仲間との係わり合い(エサの奪い合い・求愛など)の中であって、一羽であれば、カゴが広かろうが狭かろうが、割りにのんびりしてしまい、広くした意味があまりないと思うのだ。
 一羽では、せっかくの巨大鳥カゴも無駄になるとすれば、
文鳥は一羽で飼うべきではないのであろうか?やはり禽舎(鳥小屋)で多数で飼うべきで、禽舎で手乗りというのは通常では不可能だから、手乗りなどやめてしまうべきなのだろうか?

 人にはぞれぞれ考え方があるだろうが、私は、手乗りに出来なければ文鳥など飼わない人間である。手乗り文鳥であることこそが、文鳥を飼育する上での、絶対的な前提であり、「手乗り文鳥」「鳥カゴの鳥」が幸せに生活できるより良い方法を考えたいとは思うが、手乗りを否定する飼育方法など、まったくの論外である。
 禽舎で飼育する人が、その経験から、
広い居住スペースの必要性を強調するのは理解できる。何しろ広い方が、自然に近いのだから、その方が良いに決まっている。・・・そう、その飼育する生物が、野生で生きられるものであればその通りで、異議などあろうはずもない。しかし、本来野生動物には、適合した自然環境を用意して放すのが、鳥カゴより、禽舎より、何より一番良いという絶対的な結論も、私は了解している。
 自由の空に羽ばたかせるのが良いのなら、禽舎など直ちに叩き壊し、
「自然に帰せ!」などと題目を唱える一部の動物愛護家の繰言に従うべきであろうか?あるいは、飼っている動物が暮らしていける自然環境が整っていれば、それも良いだろう。しかし、人間に飼いならされたペット動物の適合する自然環境など、一体どこに存在するであろうか?

 さて、日本で、約200年の間くりかえし野生化できずにいる文鳥は、ペット動物以外の何物でもない(7『野生文鳥』参照)。もし、大自然の中に放せば、そこに待つのは自由の空での羽ばたきなどではなく、現実の自然淘汰による死そのものである。それでも、原種に近い文鳥を原産国に放せば、ごくわずかな確率で生き残るものもあるかもしれないが、人間の作り出した白文鳥は確実に淘汰される(自然界では目立ちすぎる)
 さらに、100年以上の間、人間のもとで、それも欧米的の禽舎ではなく、多くは庭箱のような日本的な狭い入れ物の中で、まともに運動することもなく繁殖し、また餌付けされ手のり化したのが、
日本の文鳥の他に例のない特徴である。そのことを理解していれば、わざわざ禽舎の擬似自然の中で飼育する必要があるなどと言えるものだろうか?
 欧米人が文鳥を禽舎飼育しているのは、せいぜい30年ほど昔、ジャワ島などで
自由の空を羽ばたいていたものを捕獲し、擬似自然の中に放り込んだことに由来していると思われ、それ自体はカナリアなどでそうしたことを行ってきた伝統に依拠しているものと思う。しかし、一方で、この欧米でも飼い主と強く結びついたペット、大型インコは室内の止まり木に、手近な場所に置くのが当たり前である。欧米で禽舎飼育が主流で日本的な鳥カゴ飼育が少ないのは、そうした特別なペット(コンパニオンアニマルと言いかえても良い)として、文鳥を認識していないだけだと私は考える。それでは日本ではどうか。手乗り文鳥はもはや、ベタベタのコンパニオン以外でなくて何だろう。
 私は禽舎飼育が悪いとは思わない。
集団の文鳥の動きを見るのは非常に楽しい。30年前の荒鳥なら、大自然に戻すのも考えたいところだが、欧米人得意の技により生み出された、自然には存在しないシナモンやシルバー文鳥をいまさら見殺しに出来るもので もない。さらに禽舎飼育という前提の中でより良い方法を追求してもらいたいと思う(当然禽舎は広ければ広いほど良い)。しかし、自分たちの論理で次元の違う鳥カゴ飼育を云々するのは、浅慮だと思う。鳥カゴ飼育は鳥カゴ飼育という前提の中でより良い方法を模索していくのが筋であろう。

 ここで、手乗り文鳥飼育という、飼鳥の世界常識から見れば奇妙な日本的飼育スタイルの観点に立てば、広いスペースがなければ飼えないというものではない。手乗り文鳥の中に放鳥しても運動不足になってしまうという前述の話にしても、まず飼い主が何らかの工夫すれば良いだけで、単純に鳥カゴの大きさのみを問題とするのは、一面的な理解でしかない(せまい)鳥カゴから人間のもとへ来るのに距離をつくるだけでも、運動となるし、万一肥満してしまえば、ちょっと離れたところから呼んでみるなど、遊びの中で運動できるように心掛ければ良いだけの話である。
 つまり、飼い主が
犬の散歩のような気持ちを少しでも持てば済むと言えよう。飼育する狼が運動不足なら、なるべく広い行動スペースを用意するのは正論だが(禽舎飼育の考え方)ペットの犬が運動不足の時に「大きな庭に住みなさい!」と厳命する動物学者など、笑い話にしかならない。当然、飼い主が愛犬と十分に散歩すれば良い話であろう(手乗り鳥カゴ飼育の考え方)。文鳥の放鳥はその散歩に近いものと位置づけて、何か不都合があるだろうか?
 つまり、放鳥である程度運動させられる環境にある手乗り文鳥であれば、必ずしも
巨大な鳥カゴである必要はない。むしろ、人間と密接にかかわる手乗り文鳥であれば、室内に置ける手ごろな大きさであることの方が、文鳥が中で飛びまわれるほど巨大な鳥カゴを用意して、置き場所に困ったり、掃除に疲労したり(羽ばたけば、抜けた羽毛やエサのかすはどういったことになるものか、鳥カゴ飼育者なら安易に想像できるはず)するよりも、よほど重要な要素になってくるはずである。そして、30cm幅でも45cm幅でも鳥カゴ内部での飛行運動がほとんど不可能なら、その面はとりあえず考えず、ある程度コンパクトな大きさであってかまわないという結論になるのではなかろうか。

 たいして広くなくても良いとしても、『朝日2号』で十分かといえば不満は残る。メーカーの説明では、この大きさでもペア飼育OKとあり、現実に我が家では、その大きさで何代も繁殖できている。しかし、上段の止まり木から、下段の止まり木への移動が自然には出来ない急角度となっているように見受けられるのは気がかりであり、飼育上巣箱など入れてしまえばずいぶん窮屈になる(けれど、繁殖に支障はない)。文鳥には好きなものが多いブランコも、巣箱 を入れるとそれににあたって動きが制限されてしまう
 ブランコくらいは悠然と遊べるようにしたいので、
もう少し奥行きがあってもらいたいと思う。その点、同じHOEI社の製品でも奥行きを広くした『35角』は実にゆったりしている(幅37.0cm・奥行き41.5cm・高さ44.0cm)。ただ、『朝日2号』の29cm幅から41.5cmへの変化を実際に見ると(数字だけではわからないが、実物を見ると数センチの違いが非常に大きいのに驚かされる)、人間の服のサイズがSかLLしかないような印象を受ける。必要以上に大きくなくても良いのだ。MやLも欲しいのである。
 また、奥行きが長すぎると、
設置場所に不都合が生じるかもしれない。例えば我が家では、鳥カゴをスチール棚に設置して団地のようになっているが、その棚の1つ(アイリスオーヤマの『メタル室内温室』、全体をカバーするビニールシートが付属し、冬場には簡易温室に出来る優れもの)のサイズは、幅84.5×奥行き37×高さ146cmとなっている(これは最大幅で、実際は幅79cm・奥行き32cm程度)もしこの棚に『35角』の41.5cmを置くとなると、少々不都合となってくる。

  それでも41.5cm必要ならしかたがないが、実際は29.5cmではちょっとせまいだけなのだ。つまり、MやLサイズ、奥行きは32〜38pで良いのである。高さは『朝日2号』の45cmで良いとして、幅は心持ち広くした方が、巣箱を入れた際に上段の止まり木にスペースが出来ると思うが、とりあえず、変えなくとも 良いだろう。
 とりあえず、個人的な理想のサイズを
幅37cm・奥行き34cm・高さ45cmとしておきたい。

 

形状

 最近水槽状の物があるが、手乗りの文鳥を飼うのに際して、あんなものは論外である。危険(ぶつかったらどうするのか)かつ不健康(風通しが悪すぎる)なので検討の対象にすらしない。あれは観賞用の生物を入れる陳列箱以外の何ものでもない。従来どおりの檻状の形態で良いだろう。

 また、アンティーク調のものや、変わった形状は、全て飼い主側のみの趣味の問題なので、必要がない。文鳥の側から見れば、犬にフリル付きのドレスを着せるくらいに無意味で、迷惑な話である。 もっとも、文鳥に明らかな害がでない程度なら、飼い主の好き好きではある。しかし、飼育上の意味はないので、もっともスペースが有効に活用できるごく一般的な四角形で装飾はゼロが良いものと思う。
 開閉口も小鳥なら従来の、
前面の3ヶ所が上下に開閉する形態のままで特別不都合はない。下手に変えると(大きく開閉できるようにしたりすると)、水浴び好きの文鳥の必須アイテムになりつつある外付け式の水浴び器が設置できなくなりかねない。もし、巣や保温器の付け替えをしやすくしたいなら、むしろカゴ上部を工夫すると良いかも知れない。
 また、側面に
菜さしが入れやすい仕掛けもあると良さそうに思うが、あまり複雑な構造にして、接合部が危険になったりするのも問題である。

 とりあえず、従来的な形態を基本にしたい。

 

側面から見た図材質

 本体部分はプラスチックで出来ているものが圧倒的多いのは、安価で成型しやすいためだと思うが、別段これで問題ないだろう。
 格子部分は、文鳥の害にならない素材で、
錆びにくいものであらねばならず、グニャグニャ曲がらず、硬質で丈夫な方が好ましい。セラミックみたいなものが良いと思うが、無理ならステンレス・亜鉛メッキなどなどということになるだろうか。市販されているものの中には、格子の桟(さん)が硬質の プラスチックで出来ているものもあるが、熱に弱くはないのだろうか。あまり良い考えとは思えない。
 本体部分と格子部分は、従来的なそれなりの物で我慢できるが、底網
(フンきり)だけは、
絶対に腐食しない素材にしなければならないと思う。水分を多く含むフンが降りかかる部分がさびてしまう素材で出来ているなどとというのは、もはや犯罪と言い切ってしまいたい。

 

止まり木の位置

 止まり木を設置する位置は、鳥カゴ側面の横軸の位置に左右されるが、『朝日2号』は、この横軸の位置が下過ぎる。結果、止まり木の上方に不必要なの空間を生んでしまう(GB社のものは、2cm程上 となる)。メーカーは、これにより「文鳥が自由に飛び回ることができます」などと言っているが、はなはだ遺憾ながら、小鳥は「てふてふ」(チョウチョ)ではないので、その程度の空間で飛べるわけがない。第一、必要もないのにカゴの上部をうろつく文鳥など、めったにお目にかかれないであろう。
 そのような無意味な空間よりも、カゴの中の文鳥にとっての生活空間である上部と下部の
止まり木の間隔を、ある程度広くとってやった方が良いのではなかろうか(ただし間隔が広すぎると、移動に少し羽ばたかねばなず、ゴミの散乱につながる)
 小鳥に限れば、止まり木の間隔をせばめ、必要な運動空間を奪い取ってしまうだけの横軸の低位置設定を、あえておこなう理由は、格段に巨大なオカメインコなどが上段の止まり木に止まっても、
天井に頭をつかえないための処置だと私は見なしている。オールマイティならそれも良いが、小鳥の、文鳥のための鳥カゴなら、横軸はやや上にするのが適当だろう。巣や巣箱を設置して、多少ゆとりがある程度が望ましい。

 巣箱の高さが12cm程度なので(止まり木の上に載せるので14cm程度は必要となる)、横軸の位置は天井から15cm程度で良いかと思う。

 

引き出し

出っ張りの廃止を! HOEI製の鳥カゴに存在する底の溝は、ごみと水の溜まり場となるだけで余計なお世話だと、以前も独り言をした気がする。あれは実際個人的に迷惑しているし、あれを有難がる人の話は、今のところ聞いたことがない。それでは、なければ済むのかといえばそうでもない。なくてもゴミやら水やらで引き出しの下や横隅は汚れてしまうのだ!!!
 ようするに、溝のあるなし以前に
底にゴミやら水が入り込んでしまう構造に問題があるのである。それでは、何で入り込んでしまうのかといえば、実に単純な話で、引き出しと本体部分との間に隙間があるのが問題なのだ。つまり 、この隙間さえなくせれば、大部分のごみや水分は引き出し内部におさまり、引き出しを引っ張り出して掃除すれば済むようになるのである。
 それでは、隙間をなくすにはどうしたら良いだろうか。これが、嫌になるほど簡単な話なのだ。本体部分の内側の形状に変化をもたせて
(出っ張らせて)、引き出しとの
接合部分が隠れるようにすれば、完全ではないにしても、かなりのゴミ・水分の浸入は防げるのだ。何でメーカーが、この程度のことをしないのか、まったく不可思議な話としか言いようが無い。

 当然、引き出しの底面の形は四角形で、とっての部分などを内側に食い込ませたりしない。何故なら、 妙な出っ張りがあると、底部に新聞紙などを敷き難いのである。いちいち切れ込みを入れないと、隙間なく敷けない構造にわざわざしているのだから、一体何を考えて物を作っているか、問いただしたいくらいだ(そんな実用的な細かな事には数十年も頭が回らないようで・・・)

 

正面から見た図底網

 フンがこびりついてしまう底網も一緒に洗いたいので、あれは引き出しと一緒にした方が良い。最も汚れる部品ながら、上から取り出さなければならない従来の安易な形態自体が、まったく不合理なのである。引き出しを少し深めにして、底網を受け止める少々の出っ張り、もしくは引き出し自体をL字に成型すれば良い。それ自体は他愛なく簡単なはずなのだ。
 それでは、なぜそうしたことをしないのだろうか。これも頭が回らないのでなければ、引き出しを抜いた後の隙間から、
小鳥が逃げ出すのを警戒しているからに相違ない。底網が残っていれば、その点は安全なのである。

 先ほども触れたように、手乗りの文鳥であれば、掃除の際に引き出しを抜いた隙間から室内に出てしまっても特別困らないはずだが、それでも一般的に逃亡防止が必要だと考えるのならば、底網をを残すなどという安易で惰性的な手段より、もっとましな方法を試みるべきではなかろうか。方法はいくらでもある。メーカーは、そういったところに頭を使ったらどうかと思う。
 などと、言うだけでは無責任なので、少しアイデアを出す。、例えばシャッター式にしておけば、引き出しを引っ張り出せば
勝手に降りて穴はふさがれる。また、穴をふさぐ板をバネ仕掛けにする手もある。引き出しの奥に仕切り板を連動させる、何てことも可能だろう(ワイパーのように底面の掃除も出来るかもしれない)

 ※ こんなことを書いている間に、リスのケージに底の引き出しを抜くと、シャッター(金属格子らしい)が降りて逃げられないようになっているものをペットショップで発見した。すでにそうした工夫はあるわけだ。鳥カゴにも応用してもらいたい。

 以上のような考えを模式図にしてみると、上の図のようになる(外側にギロチン式の仕切り板をつけた場合を想定した)。底の プラスチックの本体部分は、エサの飛び散り防止のため、13cmと深く考えておいた(『朝日2号』は10cm程度、なお、当然のように、模式図は正確な縮尺図ではないので悪しからず)
 このようなカゴを
(もう少し洗練して)、どこか作ってくれないかなあ・・・。


備品へのコメント

止まり木

 止まり木というより止まり木を固定する器具がほしい。長さ調節と、設置する高さをある程度調節できるとうれしい。

 

鳥カゴに引っ掛けやすいように改造してある水入れ・餌入れ容器

 何が腹が立つといって、水入れの隅の汚れが落ちにくいこと以上のものはない。何でも、毎日綿棒で汚れを落とす人もいるらしい。涙ぐましい努力ではないか(皮肉である)。しかし、本来、内部を曲線にすれば良いだけの話 なのである。
 などとと思っていたら、さすがHOEI社は立派で、
曲線状の物を用意しているのであった。ところが、一体どこで狂ったのか、外部の底面まで曲線なのだ!これでは安定が悪いことおびただしい。どうやって水を取り替えろというのだろうか?内面だけ曲線なら良いのである。デザインではなく、あくまでも実用面での問題と言うことを理解していただきたいものだ。

 

水浴び器

 もっとも流通していると思われる『アウターバードバス』しか使用したことがないが(違うものにするとしばらく入らなくなりそうなので変えられない)材質は割れやすく、組み立て式の接合部は甘すぎる。さらに、どのように考えても、必要以上に複雑な形態であるため、汚れが付着しやすくなっている。この辺が、個人的に不満な点である。

 

菜さし

 なぜ小鳥用で、ステンレス製のものはないのだろうか。ありそうな気がするが見たことがない。文鳥が食い散らかさないようにぎゅう詰めにしていると、 プラスチック製だと割れてしまうのだ。


 以上、認識不足などあれば、ご容赦、または、ご指摘ください。


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