文鳥問題.

《壷巣と底網》ここをクリック

 つぼ巣

 つぼ巣の中型が200円で売っていた。買わなければ損だ。店頭にある4つを買い占める。時に2000年梅雨明けの猛暑。

 普通、この時期に保温を主眼とするアイテムであるはずのつぼ巣は入れないものとされている。さらに、文鳥につぼ巣はいらないという議論もある。それどころか、つぼ巣は文鳥の健康のために有害だと主張する人までいたりする。
 私はつぼ巣を保温というより、文鳥の寝床だと考えており、何よりそれが習慣となっているので一年中入れているのだが、果たして問題のある行為なのだろうか。

 思うに、文鳥と人間は体の構造が違うので、人間が想像するよりも止まり木での睡眠は苦にならない。カゴ全体の水洗い掃除をするのに、つぼ巣抜きだと楽といった面もある。私は、文鳥の飼育というのは、飼い主である人間個々の都合の中で、出来る限り文鳥のために行動する事だと思っているので、つぼ巣を取り替えるのが面倒だから入れないとしても、冬に寒くならないように注意を促すくらいで、文句を言う気はない。別にさほど健康上問題はないのだから、無理して設置する必要は無い。
 しかし、つぼ巣を入れるのは健康上問題があるという意見には反論したい。つぼ巣で寝ると楽なので、脚がなえるというのだとしたら、それはつぼ巣がなければ文鳥がかわいそうというのと同じくらい、非科学的な
人間のする想像だと思う。例えば卵を抱きつづけるメスはどうだろう。脚はなえてしまうだろうか?
 第一、つぼ巣で寝るのも止まり木で寝るのも大した違いはない。止まり木で寝るにしても、文鳥はお腹を止まり木の上にのせて、止まり木を力いっぱい握ったりせず、十分くつろいでいる。

 握力を使うので止まり木で眠ることが健康につながると言う意見は、文鳥をインコ類と同一視してしまった結果のように思える。実際手乗り文鳥を指にのせてギュッと握られ痛くなったことがあるだろうか?文鳥はインコのように止まり木につかまったまま、何回も前回りしたり出来ないのである(普通は)。両者は同じ小鳥で同じようなものを食べても、全く違う種類の生物であることを強く認識すべきだと思う。樹上の種子をつかみながら食べるインコ類と、落ちた穀物を拾い食いするスズメ類とではその脚の構造も違わねばならないのだ。
 つまりインコはいざ知らず、文鳥にとって握力云々は健康上重大な問題とはなりようがないと判断せざるを得ず、これをことさらに強調しつぼ巣の使用が即、有害と断ずるのは、はなはだ不適当ではなかろうか(2000・10・22)。

 自然界ではどうだろう。文鳥は寝る時に細い枝に止まるだろうか?おそらくそのような無防備な事はしないだろう。日本のスズメも夕暮れには軒下とかせまい隙間に寝床をとり、床に腹をつけて寝入るが、野生の文鳥もそれと大体同じ行動をとるものと思われる。
 とすると、つぼ巣を設置した方が
自然に近く、周囲に壁面があることで、より文鳥も安心して就寝できるものと考えられよう。しかし、就寝時間にカゴの周りに布でもかぶせれば、つぼ巣がなくても安心感は同じともいえるので、やはりつぼ巣は絶対的に必要なものとは言えない。

 ただ、就寝どころか、一日中巣の中でぬくぬくしているようでは、自然界でエサ集めに奔走するのに比べ運動不足には相違なく、同一視することは出来ないとの意見があっても、それはそれで傾聴に値する。つぼ巣を入れないことで、ほんの少しでも運動になると考えられなくもない。
 しかし、その効果はほとんど気休め程度で、室内に出して遊ばせたほうが余程ましだろう。

 つぼ巣を使用していると姿勢が悪くなるなどと言う人がいるが、たんなる思い込みに過ぎない。

 結局のところ、つぼ巣を入れるのは、就寝する文鳥に多少の安心感を与えるという利点があり、反対に入れないことには、多少運動不足を補えるという利点があるといったところで、どちらも多少の相違で、入れる入れないにさほどこだわる理由はないものと考えられよう。
 どちらかが正しいということはなく、その家の事情と飼い主の思想、さらに自分の文鳥の好みを考えて選択すれば良い問題で、思いこみからどちらかを絶対と主張する事は間違いだと思う。

 したがって、無駄にメスが卵を産むようならつぼ巣を取り外せば良く、老齢や病気がちであれば設置すれば良いものと思う。そうした必要な処置をとるのに、何らためらう必要はない(2000・7・30)。

 

 底網

 一つのカゴの底網が腐ってしまった。鳥カゴの底の間仕切りの事だ。さび付いてボロボロになってしまった。
 このようなものを単品で売っているものだろうか。某巨大雑貨店
(東急ハンズ)に行く。売っていない。ひし形のパネル状の金網はあった。しかしこれでは隅に脚が引っかかりそうで危険だ。仕方がないので、使っていない古い鳥カゴをペンチで適当な大きさに切って間に合わせた。

 底網、これも私には必須のアイテムだが、有害という主張も多い。事故の原因になるというのである。

 確かにあれがあると、歩きづらいし、つめが引っかかることもありそうだ。しかし、つめが引っかかる程度なら、経験上カゴの開閉口の方が危ないと思うし、それを気にしたら基本的に鳥カゴによる飼育は不適当というしかない。これだけなら、本来、つめを長く伸ばさなければ良いと言う話に過ぎないのではなかろうか?
 しかし中には、格子部分を踏み外し体を打ってしまうことがあるらしい。勢いつけて降り、さらに底網の下が深い鳥カゴであったりすると、強烈に打撲してしまうと言うのだ。

 底網の利点は、糞切りになるので、汚れた床面に文鳥が触れる心配がなく、落ちた古いエサを食べずにすみ、また床に敷いた新聞紙などをかじって散らかすという行為を防げるといったところだろうか。何より、文鳥が直接汚れた底面に降りれないので、毎日底材をとりかえる必要がないのが大きい。飼い主が楽できる。

 こういうことを言うと、楽しようなんてとんでもない奴だとか思う人がいるかもしれないが、別に山奥で修行するわけではないのだから、ナーバスにピリピリキリキリと文鳥を飼う必要はないと思う。文鳥のためにも生きているが、文鳥のためだけに生きているわけではないので、楽できるところは楽をするのは当たり前ではなかろうか。

 ただ、いくら楽でも、文鳥を危険にさらすようでは、たんなる手抜きと指弾されても仕方がない。しかし、結果論で言えば、20年来我が家では、床面で打撲などといった事故を起こした文鳥がいない。底網の上で亡くなっていた事はあるが、これは瀕死、もしくは心臓が止まり落鳥したと考えるのが常識で、底網があろうと無かろうと無関係だ。したがって、個人的には、何を問題視するのか奇怪な思いすらしてしまう。
 結局、慣れの問題であろう。巣立ちした当初から慣れていれば、文鳥はそれほど馬鹿ではないから、それなりに気をつける。さらに、もともと底網があるので底に落ちたエサを拾う事が出来ないので、結果的に底網の上に降りる必要がなく、事故の確率自体が少ないものと思う。

 飼育書の中には繁殖のプロは取り外すと言っているものがあるが、そもそも繁殖家は鳥カゴを使用しないので、全く比較の対象にならない。適当なことを言わないでもらいたい。

 もし心配なら、さらにいろいろ危険防止策も考えられる。底材に新聞紙などが敷いてあり、底網と底部にあまり隙間がなければ、万一踏み外しても、新聞紙の上に脚がとまり、いく分ショックを緩和出来るだろう。また底網の上に小判型の水入れなどを置いて底面を限定すれば、元々少ない事故の確率も大幅に減少するはずだ。
 いろいろと考えられるにもかかわらず、単細胞に一方的に絶対悪として否定するのはいかがなものだろう。

 しかし、交通事故的な確率としても、危険があるのも確かだ。それほどたくさん飼っているわけでもなく、毎日掃除が出来るのなら、とってしまうに越した事はないだろう。

 世の中には自分が完璧な飼育を出来るから他人もそうすべきだと考え、ましてそれが出来なければ文鳥を飼う資格なしなどと言いきる厳格な人もいるが、そうした限られた人達の思いとは別に、文鳥は本来庶民的なペット動物で、完璧さとは度外れた飼育環境に置かれているものが圧倒的多数なのである。「スーパーで売ってるのムキえさと水をやっとけば良い」と言う人がたくさんいて、文鳥文化の底辺を形成しているのが現状の中で、一部の特殊環境以外を認めないようでは、自分の足元を切り崩すのに等しいのではなかろうか。完璧な飼育が出来る人はそれは実に素晴らしい事だが、一般的には「たまに青菜もいれましょう」とか「ボレー粉も必要ですよ」と、ベストよりベターを求めるのが現実的だと私は思っている。

 ところが、もしも数が案外増えてしまい、毎日の掃除が苛酷な労働というまでになるようなら、底網が必要になってくるかもしれない。文鳥の世話が苦役だと思えるようでは、文鳥にも飼い主の人間にもよほど不幸なので、「毎日掃除、毎日掃除」と無理を続ける必要はない。完璧を求めて共倒れしても誰もほめてはくれないのである。
 ただ、その際は、文鳥も底網に慣れていないので、少し気をつける必要はあるだろう。

 せんじ詰めれば、底網も、目の敵にするほどのものではなく、事故の一因になりうるという程度で、利点は利点として認めて良いものと思う。
 ただ愛用者の立場から言えば、あれが金属であるのは頂けない。錆びてしまう。硬質プラスチック
(軟らかいと文鳥がかじる)など錆びない素材にかえてもらいたいと密かに望んでいる。


表紙に戻る