旧王朝の物語


第七回

 1983年秋のはずです。とにかく白文鳥を目指す中学生の私は、母と3代目の幸ちゃんとともに、以前父がチャコを買ったお店に遠征しました(歩くと小1時間かかりました)。白文鳥の婿を迎えて、今度こそ白いヒナにしようと考えたわけです。
 さすが歴史のあるそのお店は何羽も白文鳥を置いていました。いろいろ見ていた私は、1羽だけ別の竹カゴに入れられた白文鳥がいるのに気づきました。体は大きくつややかで、立派で真っ赤なクチバシをした、それは見事な文鳥でした。私は、無愛想なその店のオジさんにあそこに置いてある文鳥は売り物かどうか聞きました。オジさんは売り物だと言うので、早速幸ちゃんの入ったカゴの横において、お見合いさせることにしました。ところが、というか案の定、箱入りわがまま娘の幸ちゃんはそわそわし続けで、さらには威嚇もする始末。オジさんはおそらく自慢の白文鳥を、こんな不細工でわがままなのと夫婦に出来るものかと思ったのでしょう、さっさと元の位置にその素敵な白文鳥を戻してしまいました。
 しかし、私はすっかりその白文鳥が気に入ってしまっていたので、他の白文鳥を見ながらも上の空、そのうち相性も何も構うものかという気持ちになってきました。そこで何がなんでもこの文鳥を買ってしまおうと出資元の母と諮り、結局不服そうなオジさんの態度を「これをくれ」の一言で無視して、我が家に連れ去りました。

 家に帰りつくと、わがまま、じゃじゃ馬、きかん気の幸ちゃんは、早速カゴの中にいる異分子を威嚇し追い掛け回しました。ところが、見事な白文鳥君は相手にしません。適当に受け流し、少しずつたしなめる程度で、怒るようなことを決してありません。姿ばかりか性格も完璧な紳士だったのです。非常に感銘した私は「ツマ」と名づけました。「夫」と書いて「ツマ」と読むと古文の授業で聞きかじったばかりだったのです。

模様が眉毛に見えたものです 拡大写真でも立派に見えます
2枚しかない旧王朝の写真から拡大

 しばらくすると、紳士のツマはじゃじゃ馬の妻を完全に慣らしてしまいました。幸ちゃんは旦那を尊敬しておとなしくなり、仲の良い夫婦となりました。全くツマは人格者、いや鳥格者でした。

 さて、この夫婦も難なく卵を産み、当然のように孵化させました。2羽産まれました。今度はクチバシのピンクな白文鳥のヒナの姿をしていました。名前をいろいろ考えた挙句、結局、太郎、次郎と思いきり安易な名前となってしまいましたが、この4代目のヒナたちは、問題なく成長し、父親に似た非常に美しい純白の文鳥になってくれたのです。性格もおとなしい2羽は、まさに良家の優等生と言った感じでした。

残された写真から
ブク・太郎?・次郎?・チャコ

今のナツそっくりです。T鳥獣店系
雰囲気はヘイスケに似ているかもしれないです 父似です 綺麗な白文鳥です

 ところで、旧王朝の文鳥たちを写した写真は2枚しかなく(ズーム機能のない全自動カメラしかなく、もっぱら犬の写真を撮っていました)、1枚はツマだけの写真、1枚が、6羽が写っているもので、上の写真は、1羽ずつを拡大したものです。ブク・チャコ・幸ちゃん・太郎・次郎・・・・・、ところが1羽、どうにも思い出せないのがいるのです。それが右の威嚇姿勢のゴマ塩文鳥なのですが、見るとハッとするくらいに、まさにこの態度そのままの個性あふれる文鳥(オスだったような…)が確かにいたと思えるのに、名前その他を完全に忘れてしまっているのです。
 その姿から、おそらく太郎と次郎と同じ年に生まれたボンチと米太郎の子供だと思うのですが、早死にしてしまったために、わがままなキャラクターが重なる姉の幸ちゃんや後に登場する甥にあたる文鳥の記憶と混ざってしまったようです。私の記憶力は当てにならない証拠です。


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