慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団について




 慶應義塾ワグネル・ソサィエティーが、我が国初の「音楽学校以外の学生による音楽団体」として発足したのは1901年(明治34年)の晩秋、世間では日英同盟に涌き返り、日露戦争への道を歩んでいた頃、塾では創立者福澤諭吉先生が亡くなられた頃のことであった。
 ワグネル・ソサィエティーの名称は、近代世界の楽壇に一大生面を開いたリヒャルト・ワーグナーを敬慕して付けられたものである。
 発足当時の演奏会は、当時の部員の演奏技術だけでは単独で開くことはできず、専門の音楽家が中心であった。それでも、曲目が一般好楽家の趣味に一致するところが多く、多数の聴衆が集まり、ワグネルは洋楽の普及をなす上で、特異な存在であった。
 男声合唱団、女声合唱団、オーケストラの3団体での活動が、男声合唱では、1952年(昭和27年)から、東京六大学合唱連盟定期演奏会、東西四大学合唱演奏会が始まり、ワグネル全体としてのスケジュールの調整などに困難が多く、また特に男声合唱団は戦後いち早く立ち直りを見せ一層の発展を目指していたので、統一団体としての枠にとらわれず独自の道を歩もうという傾向が強かった。そうして1960年(昭和35年)の第85回定期演奏会から男声合唱団だけで行われるようになった。この年は、木下保先生に加え畑中良輔先生に指揮をお願いし、ヴォイストレーナーとして大久保昭男先生をお迎えした。こうして「ちょっと他に想像できぬほど強力」(福永陽一郎氏談)な指導スタッフが揃った。畑中・大久保両先生によりワグネル独自の発声が確立され、その重厚なハーモニーは「ワグネル・トーン」と呼ばれるようになった。
 現在では、東京六大学合唱連盟定期演奏会、東西四大学合唱演奏会、定期演奏会の他、塾行事への参加、TV出演、小・中・高等学校での音楽鑑賞教室、日本全国各地での演奏会などを行い、その活動は多岐にわたっている。



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