先生・職員の方々からのメッセージ
卒 啄 同 時
第八代校長・同窓会顧問 浅子 昭三
九品仏小学校の同窓会設立は、偶然の人の出会いからだった。一期姓の富田浩司氏が同期会開催の件で学校を訪問、私とお会いしたことから話が発展した。
開校して三十数年を経過していたが、卒業生全体としての同窓会が未だなかった。
学校への想いの多い卒業生の会が、ぜひ欲しいと考えていた学校側と卒業生の考えが偶々一致した。それはまさに卒啄同時ともいうべきものであった。
富田浩司氏が、諸条件を勘案して、着実に準備を整え、将来を見通した、新しい構想のもとに同窓会は発足した。
それは全国的にも他に類のない、素晴らしい会だった。よく配慮された名簿の整備、幹事の組織の系統性と合理性、会費納入法の確立・運営等により、年毎に末広がりに発展している。毎年発行する充実した会報の発行と、ホーム頁を設定して発信している結果、今では地域の心の拠り所となっている。
単なる卒業生の親睦会的のものに留まらず、地域の活性化と、青少年の教育問題等をも視野に入れた、社会的意義を力強く発信している会である。
これからの同窓会のあり方を志向した試みとしても、他に範を示したものであり、歴史が高く評価するであろう。
(編注 「卒」の字は原文では「口」クチヘンに「卒」ですが、標準的なパソコンでは表示できないため、この字で代用しました。)
九品仏小を想う
第十一代校長 島田 正子
発祥の由来も深く、文教に根ざして発展した町。その町に創立された九品仏小学校。その開校五十周年を心からお祝い申し上げます。
九品仏小学校は、またかの有名な石川達三氏(第一回芥川賞受賞)を初代PTA会長として迎えられ、活躍された学校でもあります。氏のお考えの中に自分達の生まれ育った郷土を愛し、人を愛し、更に国際人として世界の人々と共に歩むことを大切にされた至誠の哲学が存在していました。それは開校五十周年を迎えた今も、営々と営まれ続けている様に感じます。一人ひとりちがうお子様の個性が発見され、社会に役立つ人間として、学び舎がいつまでも前進し続けることを祈るばかりです。
大和 利子 S27〜37
満開の桜が爛漫の春を謳歌しています。「百周年まではとてももたないでしょうから…」と自分に言い聞かせて、昨秋五十周年記念式典に出席して、せまい運動場そのままの学校の佇いになつかしいひと時をすごしました。
その後主人が他界し、世の無常をかみしめる時もありました。
「整理、整頓」「明日ありと思う心の仇桜」言い古された言葉ですが、人生七十年を過ぎて、この平凡な言葉の重みにあらためて思いをいたす毎日です。
さあ、今日一日悔いのない一日のために、第一歩をしっかりふみだしましょう。
「健康にまさる妙薬はなし」ですよ。
小野 れい S42〜51
開校50周年おめでとうございます。
九品仏メインストリート中央にかかげられた横断幕に、50周年を祝う地元の方々の心意気を感じながら、豊かな心持ちで学校に向かいました。こじんまりと落着きのある校舎内に一歩入るといつも我が家に戻ったような心安まる気分になります。此の祝賀の日私が一番感動したのは全校生徒が参加された式典の空気です。長時間ことりともさせず、最後までがんばった低学年児童、又、総学学習のまとめともいえる街の歴史、学校の生いたちの呼びかけに子供たち一人一人の前向きの活動の過程が痛い程感じられました。先生方のご指導はもちろん、地元の方々、ご父兄の協力、そして先輩方が培ってこられた素直さ、精進、協調の精神が生き生きと伝承されているものと意を強くしました。これからもこの伝統ある九品仏らしさを大切に育てていくことができますよう同窓の皆さんで応援していってくださることを願っております。
人見 輝人 S44〜48
幕末の世田谷を紹介した地誌や紀行文の中で特筆大書されているのは九品山浄真寺です。その名を校名に冠し誇りとしてスタートしてより早くも50年の歳月が過ぎました。この間、本校を心の故郷として巣立った、幾百幾千の同窓生の心の絆を、より強く結び付ける同窓会の活動に対して深甚なる敬意を表明するものです。
昭和四六年の春、私は無事に19期の卒業生を送りました。30年を経た今年も、数名から賀状が届き当時を懐かしく思い起こしました。
なお、昨年は久しぶりで同窓会に出席致しました。立派に成人した卒業生は無論のこと、旧職員の方々を初め見知らぬ現職員の皆さんにまで温かく迎えられ、大変楽しい一日を過ごしました。
九品山浄真寺は、珂碩上人(かせきしょうにん)が奥沢の人々に温かく迎えられたことに感激して、生涯の地と定め大寺を興しました。皆さん共々祖先の心を心として同窓会九友会を盛りたてていきたいと思います。
赤松 慧子 S44〜51・61〜H8(音楽専科)
昨年開校五十周年の記念式典や同窓会祝賀懇親会に出席させていただき、学校をはじめ、地域の方々、同窓会のみなさんが一体となった心意気を感じました。
同窓会では、普段は立派な社会人として又お父さんお母さんとして活躍していらっしゃる中、どこか幼い時の顔が見え隠れする楽しいひとときを過ごさせていただきました。
九品仏小学校には、前後十七年もお世話になりましたが、その当時つぎつぎと発表されるNHK「みんなのうた」をよく一緒に歌いました。「大きな古時計」も子どもたちの大好きな歌の一つです。三番では思わず涙ぐむ子もいて、私も胸がいっぱいになったことを思い出します。二度目の赴任の時も音楽集会でのヒット曲でした。
心に響く歌はいつまでも歌い継がれていきますね。
綱沢 薫 S45〜54
九品仏駅に降り立つと温かい懐かしい空気が私をとり巻きます。九品仏に勤務していた頃と同じように30余年も続いているのです。勿論その只中にあるのが学校です。50周年の式に参列させていただいた時もそうでした。子供達のハキハキしたたたずまいに何かホッとしました。
―学べよ正しく、心は高く―
いつまでもいつまでもそうあって欲しいと願っております。
高久 仁 S56〜H3
九品仏小10年間で三回卒業生を送り出しましたが、改めて思い出すと、同じ子ども達を三年間二回、四年間一回、受け持ちました。
担任した子ども達の総数は少ないのですが、その分、親密な関係が築けたのでは…と思っています。
原稿用紙100枚を目標に書いた卒論、実物大の奈良の大仏作り、新聞紙の一万円札での国家予算作り、夏休み中のプール清掃、運動会前日準備での手作り弁当の差し入れ等、子ども達とのなつかしく、楽しい思い出が、よみがえってきます。
当時の教職員たちとは今でも月一回、自由ヶ丘で会っています。この会も一三年めに入りました。最近では、教え子たちも参加してくれて、大いに盛り上がっています。
又、九品仏商店街も大好きで、20年以上もお世話になっている柳文堂さんへは、今も月一回、本を受け取りに行っています。
砂原 桂子 S58〜H5
開校五十周年記念式典に出席させて頂き久しぶりに旧知の方々とお会いできました。タイムスリップしてしばし、懐かしさに浸りました。
それぞれの学年で出会った子ども達も自分の夢を見つけて学んでいること、社会人となり仕事の厳しさを感じつつ、頑張っていることなどを聞き、大変心強く思いました。
さらに、会長さんはじめ親子二代に渡って同窓会を支え活動されている姿に接して、九品仏小の地域の人々の温かさ、素晴らしさを改めて感じました。そこに十年間も在職できた幸せに感謝しています。私は現在さいたま市に在住、さいたま新都心ビル群を眺めながら暮らしています。「心のふるさと」として、九品仏小及び同窓会のますますの発展をお祈り申し上げます。
五十嵐貫治 S60〜H3
早いもので九品仏小学校を退職して十二年になります。最後の四年間は三、四、三、三年と中学年を担任しました。年令差が五十才位あり“先生それは古いよ”“昔の人”などとよく言われたものです。漢字、計算のミニコンテストで級を決め競い合ったこと、縄飛び日本一周、マラソンなど一緒にがんばったことが思い出されます。
昨年の五十周年の同窓会祝賀懇親会では何人かの教え子にお会いできお話しできたことを嬉しく思っています。
退職して始めた書も十二年になります。自分の雅号を彫ろうとてん刻も始めとり組んでいます。書は六年前からNHKの生涯学習の書道展に出品しています。今年はまぐれに“NHK学園賞”をもらいました。
こつこつ書いていて良かった。やっていれば必ず結果はついてくるものと実感しました。こんなおいぼれでも(七十三才)できるものです。どんな小さいことでもいい、こつこつと続けていけるものを持ってがんばってください。
玉田 一美 S61〜H8
1986年4月より10年間在職しました。最初の保護者会の自己紹介の時、一組の箭内先生が「鬼の箭内です。」と言ったので、対抗上「仏の玉田です。」と言ったところ、三組の高久先生が「私は蜘蛛の糸のカンダダの心境、上へ行ったり下へ行ったりオロオロしています。」と言ってのけたので大爆笑。
今でもその頃の同僚達と「十和会(とわかい)」と称して月に一回集まっては騒いでいますが、それこそ永遠(とわ)の話題です。
そんな楽しい雰囲気なのでたちまち九品仏小が大好きになりました。競い合うように様々な教育実践や奇抜なイベントをし、毎日五時から職員室の一隅に集まっては、ひけらかし合ったり、盗み合ったりの日々はとても充実しており、私の「花の時代」だったんだなあと今でもなつかしく思い出します。
高学年の受け持ちがほとんどでしたが、子ども達もやる気いっぱいで、おおいに奮闘し、突っ走っていました。「反戦・反差別・反公害」とお題目のように唱え、いっしょうけんめい語ったつもりですが、教え子の皆さんには改めて平和の尊さ、平等の尊さを考えてほしいと願っています。
岩谷 久子 H7〜15
このたび四月一日をもって深沢小学校勤務となり先日無事着任いたしました。九品仏小在任中はいろいろとお世話になり、心より感謝申し上げます。
最後に50周年の記念すべき年をみなさんと一緒に過ごせたことは、私の一番の思い出になっています。花びらのようにホチキスでとめたチケットを胸に子ども達が大喜びで参加したイブフェスタ。記念式典や子どもフェスティバルなどでも高学年を中心にみんなが一つにまとまりました。これも気持ちよくご協力してくださったみなさまの支えがあってのことと思います。これからも地域に生きる学校づくりをめざして、九品仏小らしさを大切にしてください。
同窓会のますますのご発展を心よりお祈りいたします。
伊藤 慎敬 H11〜15(図工専科)
素晴らしい先生方と子どもたち、そして保護者の方々と共に過ごした四年間の一日一日が全て私にとっては良い思い出です。本当に充実したそして楽しい日々でした。
日常の小さな出来事から展覧会や学芸会等の大きな行事に至るまで、あらゆることが一番の想い出です。
九品仏小学校と学校を支える地域、どちらも本当に素晴らしいと思います。その幸せをかみしめつつ、未来へとはばたいて下さい。自分の夢に向かって!
澤田 玲子 H12〜15(50期1組卒業担任)
雨が降る中ではありましたが、四十五名の子どもたちを無事に送り出すことができました。卒業式の子どもたちは立派に自分の決意を語っていました。その姿をみると一緒に過ごした日々が思い出され、涙があふれました。
初めて教師という職業につき、期待と不安を抱えながら出会ったのが、当時四年生だったこの子どもたちでした。学校のことが何もわからなかった私に、学校中を案内してくれたり、学校生活のきまりを話してくれたり。こんな子どもたちにたくさんのパワーをもらい、四、五、六年と三年間過ごしました。毎日毎日練習した連合音楽会。みんなで初めて寝食を共にし、興奮して眠れなかった川場移動教室。一つ上の学年に上がる度に仕事が増えた運動会。大騒ぎをしながら創った子どもフェスティバル。一回でも多く跳べるように何度も話し合い、そして練習した連合運動会の大縄とび。全校遠足に社会科見学…。行事の度にひと回りもふた回りも大きく成長していく子どもたちに本当に驚きました。
子どもたちと過ごした三年間は、私にとっても様々なことを学ばせてもらい、キラキラ輝く宝物になりました。これから苦しいことも楽しいこともあると思います。どんな時もがんばる力を忘れず、いろいろなことに挑戦し、心も体も大きくなって欲しいと思います。 (15年4月、大田区立志茂田小へ転勤)
竹中 浩 現職(50期2組卒業担任)
緊張した、一生懸命な卒業式でした。雨が降ってしまったので、写真があんまり撮れなかったかな、なんてことが少し気になりました。練習の最初からよくできていたことですが、入退場の時、しっかり顔を上げて歩く様子が、なかなか良かったように思います。自分のやり方を大切にする、今年の卒業生らしい姿でした。
50回目の卒業式が終わり、50期生が巣立っていきました。優しい子たちです。まだ、これから、多感な時期を迎えます。どうぞ、同窓会の新しいメンバーを見守って頂きたいと思います。