先生・職員の方々からのMessage
さようなら、九品仏小学校 吉田和子 H8〜H18 今年も九品仏小の校庭に、桜の花が咲きました。開花直後に寒のもどりがあり予想より長いことお花見ができたのはラッキーでした。 私にとっては、九品仏小で見る11回目の桜。退職という節目にあたって見る桜は、感慨深いものでした。たくさんの方々にささえられて、どうにか勤め上げることができました。本当に長い間お世話になり、ありがとうございました。 九品仏小での思い出は、たくさんあります。 特別活動の研究で取り組んだ川場村移動教室のレクリエーションプログラム。子供達の柔軟な発想から、楽しいレクタイムをすごすことができました。 単級の四年生を担任した一年間も忘れがたい思い出です。現在は全学年が一学級ずつですが、当時はその四年生のみが単級。個性的で活力十分の四年生。学芸会等の学校行事では団結して目標に向かってがんばり、さわやかな充実感を味わうことができました。 ことばの教室の開設にあたっては、試行錯誤をしながらより良い環境を整えました。 通勤途中に卒業生の皆さんと出会い、言葉を交わしてきました。会うたびに大きく成長していく姿を目のあたりにし、とてもうれしく思いました。これからも健康に気をつけて、活躍されることを祈っています。
懐かしい心のふるさと 九品仏小学校 遠山 純子 H9〜H18(54期1組卒業担任) 10年という長い間お世話になった九品仏小学校。勤務先ではありますがあまりにも多くの思い出があり、まるで住んでいたふるさとのような感じです。落ち着いた街並み。商店街を歩けば在校生は勿論のこと、卒業生やそのご両親などに出会い、いつでも気軽に声をかけて頂きました。私は春の気持ちの良い季節にこの町を歩くことが、(または自転車で走ることが)大好きでした。 10年とはいえ、2年ずつの持ち上がり、それも最後の学年は1度担任をしたことのある子どもたち、ということもあり、4学年の子どもたちと出会っただけです。 でも、一度も担任をしたことのない子どもたちやその保護者の方からも気軽に声をかけて頂き、まるでこの地域に住んでいるような気分になってしまう錯覚さえ感じました。 異動した学校も九品仏とはそれほど遠くは離れていません。お天気の良い日は自転車で通っているのですが、そのときは九品仏の学区を通っていきます。見慣れた風景(特に浄真寺が大好きです。)時々出会う知っている人たち。(子どもも そして保護者の方も)なんだかこのまま九品仏小学校へ行ってしまいたくなる日も多いです。 私の九品仏小学校での思い出はたくさんありすぎて、ここで全部書くことはできません。でも、大きなものはやはり昨年度行われた研究発表と、5年前の50周年式典です。 研究発表では「キャリア教育」という新しい領域にチャレンジしましたが、方法としては「地域」というキーワードを決してはずしませんでした。それこそが「キャリア教育」の真髄だと信じたからです。おかげさまで多くの方から「キャリア教育という新しいジャンルの発表なのにわかりよかった。」というお褒めの言葉をいただきました。はやり地域の中で生きていくことが、子どもたちにとって大切なことだというメッセージを送りたい気持ちが、発表を見ていただいた多くの方に通じたからだと思います。 もう一つの50周年式典については以前、この「同窓会だより」に書かせて頂きましたので、省略致しますが、今後60周年、70周年と続いていく中で、皆様の記憶に残る 式典であったらよいと思います。 卒業式の呼びかけではありませんが、九品仏小学校での思い出はつきません。新しい学校でも新たにこんな気持ちをもてるのか不安ですが、九品仏小学校で学ばせて頂いた事を生かして、がんばっていきたいと思います。
九品仏小学校から離れてみると 佐藤 樹里 H15〜H18(54期2組卒業担任) 毎日、九品仏駅を通過して、下神明駅へ向かいます。その度に、「あの時は…」と4年間を思い出します。今、九品仏小学校から離れてみるとその良さをたくさん実感します。 昨年、児童会の子ども達の発案から「あいさつマン」が始まりました。児童会のメンバーが毎朝、玄関で元気良くあいさつをする活動です。「全員の名前と顔を知りたい!」「みんな仲良くなりたい!」という熱い思いから始まった活動です。今では、その活動も九品仏小学校の朝の一部分になっているようです。そうなるまでには、子ども達一人一人の努力がありました。 「あいさつマン」初日。子ども達は張り切っていました。でも、いつもと違う小学校の玄関の姿を見た方々は、「何をしているの?」という目をして通りがかっていたように感じていました。「あいさつをしてくれない人がいるよ。」「通りがかりの人に声をかけたら、変な目で見られた。」とちょっと元気がなくなってしまいました。そして、数週間が過ぎた頃、計画委員の子どもが、「毎朝同じお兄さんにあいさつをしていたら、返事をしてくれたよ!」「私達のあいさつを待っているようだったよ!」と子ども達が目をキラキラと輝かせながら報告をしてくれました。そして、地域の方々からも愛されている「あいさつマン」と九品仏小学校の児童会は胸を張って活動を進めることが出来るようになりました。 このような活動を受け入れ、そして応援してくださる方々の中で育った子ども達は幸せだなと感じています。もしかしたら、九品仏小学校の同窓会の方かもしれなかったですね。どうぞ、これからも九品仏小学校の「あいさつマン」を愛して下さい。そして、応援して下さい。 私は、九品仏小学校が初任校でした。学校という職場のことは、何もわからず働き始めました。多くの方々から支えられ、育てていただいたことに感謝しております。そして、九品仏小学校で卒業生を出すことが出来たり、世田谷区のキャリア教育の研究発表会に携われたりととても有意義な時間を過ごすことが出来ました。九品仏小学校で学んだことは、私にとってとても良い事でした。 心より感謝申し上げます。
地域に根ざした同窓会 浅子昭三 第8代校長 同窓会創立20周年、立ち上げに関わらせて頂いた一人として感慨深い。ある日、学校に一期生の方が数人来られて、九品仏小学校の同窓会を作りたいとの相談を受けた。学校創立から30数年、九品仏小学校は全てに順調でまとまりのよい学校との評判が高かった。卒業生と地域のためにも、同窓会はぜひ創りたいと私も考えていたので、出来るだけの事をさせて頂こうと心に決めた。 雑談に移るや、一期生はそれぞれ九品仏地域で過ごした時代に尽きない愛着を持っている。ボートが浮かぶ浄真時裏の池、バラ園、寺の境内で遊び惚けた頃を懐かしく語り合った。一期生は今や子育て最中であり、子どもを愛する気持ちと、自分を育んでくれた地域への想いを、ぜひ子ども達に伝えたいとの心情が同窓会作りの原点だと察知した。 同窓会作りには、新住所に変わっている地番整理の煩雑さが伴った。これを克服するのはとても一期生だけで解決できる事ではない。各期の卒業生の幅広い協力が必要だった。この作業はまことに地味で手間のかかる仕事だった。原動力となって動いてくれる男性は今や社会での働き盛り、女性は文字通り家庭の中心、その皆さんが献身的に動いてくれた。会長、副会長、一期生を核とする各期の幹事と、その家族の協力がなければ、他に例を見ない九品仏小学校同窓会は生まれなかっただろうと回想する。中心となってまとめてくれた副会長の一人、宮本忠氏は平成7年に病没された。 組織の運営についての細かな手順にも詳しい人々の配慮で、公立校の範となる活力ある同窓会が動き出した。その活動状況を今ではインターネットで誰でも見る事が出来る。この地域にいる卒業生だけでなく、地方や海外に住む同窓生に懐かしがられている。 便利なインターネットの時代になる前から、わが同窓会発足の準備は開始されていた。二十年の月日は長いようで短かったとも感じる。 同窓会報の継続は地域の歴史にもなっている。最近は人間関係の希薄さから忌まわしい社会問題がたくさん起こっている。地域社会の公立校同窓会が核となって活躍する地味な協力関係が、地域興しに結びつき、子どもを見守り育てる地域力となっている昨今である。同窓会の新しい存在意義はこれだと思う。
九品仏の子ども達 兒島 喜代子 H18 初めて九品仏小を訪れた日のことでした。九品仏駅に降り立ったわたしは、ランドセルを背負った2、3年生かと思われる男のお子さんに「九品仏小学校へは、どうやって行ったらよいですか」と尋ねました。すると「あのね、この道をずうっと行って右に曲がるの。そしてずうっと行くと学校が見えてくるの」と澄んだ真剣な眼差しで答えてくれました。 わたしは、どこの角で右に曲がるとはまだ言えないその子のかわいらしさに思わず微笑んでしまいました。「ありがとう。」とお礼を言って、さてどの角を曲がるのかやはり不安になり思わずふり返ると、その男の子も振り向いて、「だいじょうぶですか?」と聞き返してくれたのでした。そのやさしさに心を洗われるような思いがして、わたしは幸せな気持ちで学校へと向かったのでした。 わたしが九品仏小にいたのは1年間だけでした。でも、わたしは子どもたちの素晴らしさを毎日感じて過ごしました。つまり、あの時出会ったあのお子さんの印象は九品仏のお子さん達そのものだったのです。相手の気持ちを汲み取り、優しくお互いを思いやり、学び取っていく力を九品仏小の子供たちは備えていたのです。幸せな日々でした。 子ども達がこれからも地域の方々に支えられ,人の温もりを肌で知って育っていくように願い、そして九品仏小のご発展を心より念じ上げてお別れします。ありがとうございました。
九品仏十年の思い出 渡部 理恵子 H9年〜 私にとって、とても楽しく、あっという間の十年でした。地域、保護者の方に温かく見守られ、またご協力頂いて、楽しいことがたくさんできました。 一番新しい思い出は、何と言っても「九品仏商店街」の方たちとのかかわりです。商店街ができてからずっと愛されている、二代目の方が引き継いでいるお店を子どもたちと取材しました。 その中で、佐原畳店さんからは、ミニ畳を毛利豆腐店さんからはおいしいお豆腐を、大和屋精肉店さんからはメンチカツを教わって作ったことは、子どもたちのきらめく笑顔とともに忘れられない楽しい思い出です。 お風呂屋さんに入りに行ったり、公園に繰り返し出かけて行ったりもしました。校内では、おやつパーティー、アメリカンパーティー、マヨネーズパーティー、カレーパーティー、七輪バーベキュー、香港パーティー(・・食べる活動ばかりですね)、詩の暗誦大会、読み聞かせや素話の会などなど、保護者の方と一緒に新しいものを創り出すことができました。 バスハイクや盆踊り、お餅つきなど地域の行事も楽しく素晴らしいもので、楽しく参加させていただきました。 この地域は私の第二の故郷です。いつでも帰ることのできる故郷の存在と思い出は、一生私の支えとなってくれることだと思います。十年間、本当にありがとうございました。
初めての学校で 宮本有規子 H16〜H18 私が教員になって初めての学校が、九品仏小学校でした。商店街を通って子どもたちと挨拶を交わしながら学校に来るのは、とても新鮮で楽しかったです。 ことばの教室の担任だったので、私には三階と一階に職員室があり、どちらの職員室でもたくさんの先輩の先生たちから、色々なことを学びました。 一年目、二年目、三年目と少しずつ色々な発見があり、去るのはさみしい気もします。 九品仏の子どもたちと過ごした思い出というと、合唱を通しての活動が印象に残っています。 「芸は身を助ける」と言いますが、高校生まで習っていたピアノが役に立つとは思いもよりませんでした。自分の伴奏で子どもたちが歌ってくれるのは、とてもうれしいことでした。また、子どもたちの歌声も伸びやかで、いつも癒されていました。次の学校では学級担任になり、また新たな気持ちで頑張ろうと思います。教員としての出発点である九品仏小学校を忘れません。三年間お世話になり、ありがとうございました。
|