連載小説  渚美智雄


『大和ファウスト』
第11回


私と岩瀬志麻は、“大和一”という古びた表札を確認した後、やや躊躇ってからだが、私がチャイムのボタンを押したのだった。私はこの場に及んでも、訪問主体者は岩瀬志麻であって、私はその付き添いに過ぎないという立場をハッキリさせたかったのです。チャイムも志麻が押すべきだと目で合図したつもりでしたが、志麻はあくまで私に押させようとして手を出す素振りは一切なかったのだ。こうなると、短気な私には、かような持久戦には勝ち目はなくなるのです。

チャイムを押した後、しばらく何の応答もなかったが、突然、引き戸とばかり思っていた玄関の板戸が内側に開いた。そこには上がりかまちに正座したひとつの人影があったのです。人影は正座したまままっすぐに伸びた背を直角に折っていたが、やがてゆっくりと姿勢を戻し、どこか機械的な声で私たちに語りかけた。

「お待ち、申し上げ、ておりました・・・」
それからわずかに私のほうに首を傾げ、やや声を落として、「ご無沙汰、いたし、おります」と言い軽く会釈してきた。顔も身体も若く、30歳前後にしか見えない。こんな若者に全く見覚えはなかった。加田麻里子はかつて“私と古くからの知り合い”と言って、“大和一”のことを私に説明したはずだ。私は70歳の半ばを超えた高齢者である。そんな私と、30歳前後の若者とが“昔からの知り合い”であるはずはない。あらためて完全な人違いであることを確信しました。

「・・・どうぞ、お上がり、ください・・・」
若者は立ち上がり私に微笑を投げかけた。岩瀬志麻は何も言わず目を大きく見開いたままである。

私は靴ひもを解いて上がりこもうとした。志麻は突っ立ったままである。若者は背を向けて家屋の奥に誘いこむ構えを見せている。その姿がわずかに遠ざかった時、志麻は私の左腕を抱え込むようにして囁いた。

「死んでる! あの人、死んでるわ!」
私は驚いて志麻の顔を覗きこんだ。顔色は真っ青に変わり両目は見開いたまま瞬きすらしない。私は、志麻の言葉が理解できないでいました。志麻は苛立った声でもう一度言った。「死んでるのよ、あの人!」
私はよほど腑に落ちない顔をしていたのだろう。志麻は真っ青に変わった唇を激しく振るわせて続けた。

「あれは死体なのよ! 誰かがあの死体をリモートで動かしているんだわ・・・」
「何を言っているんだ。そんな訳がないじゃないか」
私は小声で言って志麻を落ち着かせようとしたが、志麻は上体を振るわせたまま首を左右に激しく振り続けているのだった。まるで痙攣を起こしているようにすら見えましたが。


志麻は私を振り切ると玄関先から飛び出して、停めている軽自動車のところへ必至で走ろうとしていた。私は思わず後を追おうとしたが、先ほどの若者の声が私の真後ろでした。

「あの方、のことは、ご心配なく。クスノキが、捕まえて、落ち着かせ、ますので・・・」
若者とは思えない低く落ち着いた声だった。先ほどの声とはまるで違っていた。とにかくお上がりください、とせかされて、私はとりあえず上がりこむしかないと思い、脱いだ靴をそろえて、若者の背中に誘われるように奥に導かれた。長くもない廊下の突き当りに奥の座敷がありました。平屋の外見から考えても、これ以上奥に部屋があるとは思えませんでした。

部屋の中央には囲炉裏がありました。私は案内されるままに若者の横に腰を下ろした。
「・・・クスノキとおっしゃったですか?」
私は志麻のことが気になっていた。腰を下ろすや間髪を入れずに聞いてみたのである。

「ええ、クスノキです。あんな有能な男は、この国には、少なくなりましたなぁ・・・」
口ぶりが老人のように聞こえる。あの人は死んでる、という志麻の言葉が妙にひっかかる。若者は、囲炉裏を挟んで我々に向かいあう位置に置かれていた大型のディスプレイをオンにした。リモコンを何やら操作すると、吉野川の渓流沿いの道を白い軽自動車が猛スピードで走っているのが遠景で写し出された。志麻であることは間違いない。

「こんな辺鄙、なところにも、最近は、防犯カメラとか、いうのが、幾つか付けられとりましてのぅ・・・。これはその映像、という訳です・・・」
と大和はいう。話しぶりが老人臭くなり、先ほどと違って背中を丸めて胡坐を組んでいる若者を見て、私はもう“若者”などとは言わず、“大和”と書くことに抵抗がなくなった。相変わらず顔の形は青年のままなのだが。

「防犯カメラの映像が、一般家庭で見られるんですか?」
「ここらあたりは、住民が少なくて、駐在所も何キロも先、でしてな・・・特別に民家のテレビで見られるように、なっとるんです。まぁ、住民による監視自治特区、のような、特例措置だと思いますがな・・・」

そんな会話をしている矢先に、大型ディスプレイは信じられない光景を写し出した。志麻の車の後ろから、あの馬上の男が馬を走らせて志麻の車を追いかけているのだ。志麻もそれに気づいたらしい。動揺は車が左右にぶれ始めたことで容易に推察できた。私は何故こんなことが起こるのか信じられず、横にいる大和一の方に向き直って事情を聞かずにはおかなかった。
大和は悠然とディスプレイを見つめたまま返してきた。
「・・・あれが、クスノキです。長居さんも、先刻会われたはずですが・・・。とにかく、優秀な男です。勇気もある。・・・それに誰よりも、この国を愛しております。志麻さんのことだって、決して悪いようにはしないはず・・・」

そのクスノキとかいう馬上の男は、みるみる志麻の車に猛伯していた。志麻の車のブレが一層激しくなった。私は思わず危ない!と叫んだほどでした。
流石に大和もイカンと一言発した程です。その瞬間でした。吉野川の渓流沿いの崖から志麻の車は真っ逆さまに落ちてしまったのです。大きなクラッシュ音が聞こえたような錯覚に陥ったほどです。あれでは志麻が無事だったはずはない、と思いました。何故こんなところで死なねばならないのか、私は憤りを禁じられなかった。

しかし、大和は“流石だ・・・”と奇妙な言葉を感嘆を込めて吐き出したのです。私は思わず怒りを大和にぶつけたくなった。
大和は自慢気に微笑を浮かべてさえいたのです。私に顎をあげて、ディスプレイをよく見ろとでも言わんばかりでした。
あらためて身を乗り出すようにしてディスプレイを凝視しました。なんと、馬上の男の左腕に大きな白い布がパラシュートのように翻っているのです。志麻の白衣であることは間違いありませんでした。そして驚くべきことにそれは白衣だけではなかったのです。男は左腕で志麻の右の上腕を握りしめていたのです。どうやら男は志麻の車が絶壁を滑り落ちる瞬間に開いていたウインドウに腕を入れ志麻を掴んで車外に引きずりだし、どこかに運んでいこうとしているようなのです。

「これで、お連れさんのことは、クスノキに任せておけば、良いと思いますよ」
大和の得意げな言葉を今は素直に受け止めるしかありませんでした。
一息ついて私は本来の自分の仕事を思い出しました。背負ってきたザックから例のスケッチ帖を引きずりだし、大和の前に差し出しました。

「私は、加田麻里子さんから預かっていたコレをお返しに来ただけですので・・・」
これ以上、こんな異様な男に関わり合いになりたくなかった。そういう思いを込めて出来るだけ冷たく事務的に言ったつもりでしたが。

「おおっ! ありがたい、ありがたい・・・」 大和一はスケッチ帖を両手で持ち、背筋を伸ばして頭上に掲げる姿勢を作ったのです。女性器の画集を押し抱く姿は、変質者のそれであると私は確信しました。

「いやいや、まことにお世話を、おかけしました。これにはずいぶん時間をかけ、苦労したものですから、万一紛失したら、取り返しがつかないと、ずいぶん心配しとりました。本当に、何と御礼を、申し上げていいのか、分かりません。今晩はここにお泊りいただいて、ゆっくりとお寛ぎください。何にもない、辺鄙な里ですが、珍しいキノコ類もありますので、吉野の郷土鍋でも、召し上がっていただければ・・・」。

私はせっかくのご厚意ですが遠慮申し上げたいと言おうとして、つい別のことを口に出してしまったのです。

「このスケッチ帖の、どこがそんなに大切なんでしょうか?」
一瞬、大和は怪訝な表情を見せました。それから、わずかに苦笑を浮かべるようにして、つぶやくように言いました。

「そうでしょうな・・・。事情を知らない方にとっては無理もないことですな・・・。さぞかしこんなものを熱心に描く男は変質者に違いないと思われたことでしょう・・・」

「いえ、そういうことではなく・・・私はあなたのことが思い当たらないんです。お目にかかれば何か思い出すこともあるかと思っていましたが、お見掛けして非常にお若いのに驚きました。世代的にも私たちが知り合いであったことは絶対にあり得ませんし・・・」。

「そうですか、そんなに、私が若く見えますかな・・・。これでも、私は太平洋戦争の終戦直後に生まれた団塊の世代なんですよ。間違いなくあなたと同じ世代なんですがな・・・」。

大和一の顔に深い悲哀のようなものが浮かんだように思いました。やがてそれは底知れぬ深い苦悩の色を見せ始めていきました。私は訳が分からないままに、口にすべき次の言葉を見失ってしまっていたのです。

「いや・・・いや、無理もありませんな。私が身の上話をいくらしたところで、信じてもらえる話でもないでしょうから・・・。どうか私のことも、このスケッチ帖のことも、お上(オカミ)から、ご説明していただく方が良いでしょう。あなたがはるばる鎌倉から来られるというので、お上は楽しみにされておられて、奥吉野の御座所から、こちらに向かわれておられるのです。・・・もう、そろそろおつきになるはずですので・・・」

私は、またまた狐につままれた気にさせられました。“お上”などという呼び方は今の時代にめったに使われぬ言葉ではないか。ましてや、“御座所”などという大仰な言い方は・・・。

大和一は口を堅く閉ざして何も言わなくなりました。まるで座禅でも始め、魂の潔斎をしたうえで“お上”を迎えようとでもするような・・・。

私は、あらためてそれほど大きくもない座敷を眺めてみました。囲炉裏を中央にしつらえた部屋の造りは一般的な農家の居間としか思えませんでした。もっとも囲炉裏につきものの吊るし鈎がないので、私は高く宙に収納されているのかと思い、天井に目を向けて見たのです。

驚きました。思わず、これは!と声を出しそうになりました。天井はめったに見られない格天井になっており、古くなって一部に落剝が見られるものの金箔が貼られていたのです。よく見れば、ひとつひとつの格子の中に、獅子や孔雀のような様々な動物が描かれているのに気づきました。
天井に吊るされているはずの照明器具もなく、明かりは周囲の壁に埋め込まれ、格天井との隙間から灯りが漏れ出すように工夫されているのでした。

囲炉裏に思えたものは、ひょっとすれば、密教の護摩を燃やす秘儀のものではないか、と思えてきました。

再び視点を水平位置に戻すと、対面の位置に置かれていた座布団は二重になっており、方丈の茶褐色の厚いものの上に円状の紫の敷物に金糸で華やかに刺繍されたものが用意されているのです。ここが“お上”が座られる聖座であることが理解できました。
その背後にある大型ディスプレイには、今や何も映されず鎮まっていたのですが、やがて様々な色の帯が無数に絡み合ってゆっくりと回り始めた。まるで、オーロラのようだと、一瞬思ったものでしたが。

(続く)

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