連載小説  渚美智雄


『大和ファウスト』
第13回


「あんた!しっかりしてくださいよ、あんまりいい加減なことを言われると、ますます疑われるだけですからな。こういっちゃ何だが、警察というところは、昔から勘を重視するカルチャーがありましてな・・・。怪しいと睨んだ人物をマークして、そこからエビデンス(証拠)を固めていくんですわ。証拠を並べたてて、その結果、この人物が重大容疑者だ、なんてやり方はしない。そんなことをしていたら、時間がいくらあっても足りませんからな。でね・・・刑事はどういうところで勘を働かせるかといいますとね、こいつは嘘をついているな、という直感なんですわ・・・」

佐田刑事は私の周りをゆっくり回りながら、しゃべり続けました。我々の頭上には、ヒューヒュルヒュルという甲高い鳴き声を浴びせてくる鳶の群れがいた。佐田刑事のややしゃがれた声が、鳶の鳴き声でかき消されるようなことがあったほどです。

「あんたが岩瀬志麻と一緒に奈良の国栖に行ったことに嘘はないでしょう。防犯カメラで岩瀬志麻が運転する車の助手席にあんたが写っていることもありますしね。・・・問題はそこからですな。大和一の家に入ったなどと言うが、長い間空き家になっている家に何のために入ったんですかな。・・・ここからが我々、デカ稼業の勘の働かせどころでしてな。あんたは、空き家であることを幸いに岩瀬志麻を誘いこみ、コトに及んだ。岩瀬志麻という女性はなかなかの美形ではありませんか・・・。あんたがヘンな気を起こすのも不思議ではない・・・と思うんですがね・・・」

ヒューヒュルヒュル・・・鳶の声が一層激しく大きく聞こえました。

「刑事さん、私をいったい幾つだと思っているんです? もう後期高齢者と呼ばれる年令なんです。若い女性に欲望を感じる歳じゃありませんよ!」
私がそういったとき、佐田刑事は私の周りを歩くのを止め、私の正面に立って、こう言ったのだ。

「なるほど・・・しかし、最近は世の中の常識がだいぶん変わってきているようでしてな。うちの署でも痴漢逮捕者に占める高齢者の割合は年々増えてますよ。つまりね、歳をとってもアッチのことは衰えずに元気いっぱいなジイサン達が増えておるということですな。もっとも、取り調べは苦労しますわ。アッチの方は達者なのに、アタマのほうはだいぶんボケてますんでな、自分のしたことを覚えておらん! 認知力の衰えはホント、取り調べ泣かせでしてな・・・」

佐田刑事は片側の頬を歪めるように笑ったかと思えば、突然、鋭く険しい目つきに変わりました。その一瞬、彼の顔面は、下降してきた鳶の群れの影に黒く覆われた。

「あんたは今のところ、認知力は確かなようですな、正直に言いなさい! あんたは岩瀬志麻を大和一とやらの空き家につれこみ、劣情を満たそうとしたんだ。ことが成就したかどうかはともかく、あんたは岩瀬志麻の抵抗に手を焼いて殺害してしまったんじゃないんですか?」
私は呆れてしまった。しかし、佐田刑事の目はますます鋭さを増していたのです。

「奈良県警も同じように考えていましてね、長年の放置空き家であることから、特例的に大和一の家を家宅捜索したそうですわ・・・。結果、何が出てきたと思います。床下から白骨が出てきたんですよ! それが岩瀬志麻かどうか目下鑑識で検証しているようですがね。・・・さぁ、これ以上とぼけてもムダなんですよ。署までご同行いただきましょう!」 

佐田刑事は私の左腕を掴んで引き立てようとした。その瞬間、ヒュルヒュルという鳶の鳴き声が悲鳴のように変わったんです。思わず上空を見上げると、鳶の群れを引き裂くようにして、巨大な黒い鳥が舞い降りてきた。恐らく人間の背丈近い大きさはあったでしょう。その鳥は鋭い爪を持つ脚を延ばし、佐田刑事の両肩を鷲掴みにしたのだ。

ギエーという異様な声を佐田が発したのをよく覚えています。巨大な黒い鳥は、佐田の身体を地上から1メートルほどの宙に持ち上げたままにして、その場にとどまっている感じでした。
よく見ると、佐田の身体は三本の鳥の脚にがっちりと抱え込まれていたのです。黒い大きな鳥には3本も脚があったのだ。そして、その背にまたがっている人影に気づきました

「クスノキ?」。

「いかにも、拙者はクスノキでござる。お覚えいただいておったとは恭悦の限り・・・。キョウメイ殿、もう心配いりませんぞ。こ奴は海にでも捨ててしまいます。早々にお宅にお戻りあれ。オカミのミコトノリが発せられました。後ほど、このオオヤタガラスがお伝えに上がりましょう」

それだけ言うと、クスノキはまるで馬に鞭でも当てるように黒い鳥をはるか上空に飛翔させ、あっという間に黒い点のようにしか見えなくなったのでした。

何が起こったのか分からないままに、10日近く経っていたでしょうか。私は出来るだけ隅々まで新聞に目を通し、テレビの報道番組を注意深く試聴し続けた。佐田刑事のことが何か報道されていないか、非常に気になっていたのです。新聞もテレビも何も報道していない。

考えてみれば当然だと私は思い始めました。私の目の前で起こったこととはいえ、私自身が今だに信じられないくらいなのですから。そもそもあんな巨大な鳥(おそらくカラスの一種か)が、鎌倉のような人出の多い首都圏の観光地に生息するとは思えないのです。まるでクレーンのように、あっという間に大の大人(佐田刑事は小柄な人物ではありましたが)を空中高く釣り上げるなどということがあるでしょうか。あのクスノキが鳥にまたがっていたとなると、あの鳥はドローンだったのかもしれないとも思ったのですが・・・。

佐田刑事が行方不明になっていたのなら、神奈川県警も何らかの動きをするだろうが、とも思う。しかし、定年まじかの刑事が一人、何処をうろついてるのか分からん程度の認識なら、わざわざ公にすることはないのかもしれない。これが一般人なら、所属する会社や家族などから警察への捜索願もだされるだろうが、警察が警察に届を出すのも間抜けな話ということかもしれない。

いずれにせよ、警察は表ざたにはしないだろう。考えてみれば、奈良で起こった事件を捜査したところで手柄は奈良県警となれば、本気で取り組む訳はない。担当であった佐田刑事がいなくなれば、誰かが後任に選ばれることもないのではないか。そう考えると、妙に気分が軽くなるのでした。加田麻里子がここに来て以来の奇妙な出来事の一切を私は忘れてしまおうと思ったのです。

世間が騒ぎ出したのは、むしろ私がそんな気持ちになってからでした。SNSに投稿された1本の動画がバズっていたのです。スマホで撮影された画像には、あのオオアケガラスが写っていました。そして、人間を釣り下げたまま、海の上を飛んでいく姿が相当に鮮明に写っていました。撮影者は鎌倉の海岸(恐らく材木座海岸でしょうか)を散歩しているときに、この珍しい光景に出くわしスマホの動画撮影ボタンを押し続けたものと思われる。

わざとらしい編集も演出もない動画で、『信じられます?』というタイトルが冒頭の映像にスーパーインポーズされているだけなのです。反響が凄まじかったのは、この画像が生成されたものかどうかが論争になっていたからです。

投稿者は“私が実際に目撃した光景です”と強調していたが、視聴者のほとんどは、どうやって動画生成したかに関心を寄せているようでした。

私だけはもちろん、この動画がホンモノであることを確信していました。私が遭遇した出来事が幻覚ではなかったことを証明してくれているのですから。それと、背景の空が明るすぎるため、吊るされている男の顔は黒い影になっていて判別不可能なことです。これなら、神奈川県警の同僚が目にしても、佐田刑事だと気づくことはないはずです。私はそのことに何故か安堵していました。それから奇妙なことに気づいた。あの大鳥にはクスノキがまたがっていたはずなのに、動画の映像には全くクスノキは写っていないのです。これはどういうことだろうか。

今回の一連の出来事のなかで、私が最も気になったのは、あの奈良の国栖の集落で、大和一の家だけに人が住んでいたという私の確かな記憶が、奈良県警の話では、周囲の家には居住者がおり、大和一の家だけが空き家であったというあべこべの話に転換されているという点でした。これは私の認知的衰弱の結果では決してない、という確信がありました。この逆転現象は、動画にクスノキの姿が写っていなかったことと関係しているのではないか・・・。

私は長くこだわり続けていたようです。そして、数日後、私は突然ひらめいた。少年時代に読んだSF漫画の記憶である。

作者はもとよりタイトルさえ思い出せない、私はそのコミックで、私たちが住む世界は3次元世界であり、そこに重なるように4次元世界というものが存在している、ということを教えられた。私は何となく自分たちが生息する世界だけがすべてではなく、世界には我々が認識しえない別の世界があるのだということを不思議に納得させられた記憶がある。
少年期特有の感受性の作用であったろうか、4次元世界の存在は私には確信として、成人し、今日、高齢者と呼ばれる年令になっても、これは私の世界観として揺ぎなくありつづけているのです。

私は夢中でその漫画のことを思い出そうとしていた。一次元は直線の世界、二次元は平面の世界、そして3次元は立体の世界だという。では、4次元とは何なのか、それはもはや空間的概念ではない。空間的でないとすれば何なのか。それは時間軸世界なのだと漫画は説明していた気がする。

空間軸なら、1Dから2Dへ、さらに3Dへと発展するが、時間軸においては、ただ“時間が存在するかしないか”だけで区分されるという。第二次大戦後、フランスのサルトルという哲学者が人気を博したが、主著『存在と無』が示すように、“あるのか無いのか”だけが問題とされる世界が存在するのだ。今日風に言えば、“オンかオフか”がすべてのデジタル世界に酷似していると言うべきかもしれない。

あの漫画では、時間がない世界を4次元世界と規定していたことを思い出す。一次元世界も二次元世界も三次元世界もすべて時間が存在する世界でもある。そこに“時間がない”4次元世界が表裏のように重なって存在する。

そして、決定的な説を私は思い出した。時間のない4次元世界では、そこに存在するものは“見えない”ということだった。なぜなら、我々の視覚は光によって成り立つからだ。光が差し込み、ある物体に当たり、それが反射して私たちの視覚器官に受容される。光の速度の速さによって、我々はこの時間的プロセスを忘れがちになるが、視覚には時間が不可欠なのだ。

とすれば、4次元世界に住む者の姿は、3次元にすむ我々には見えないことになる。大鳥に跨ったクスノキが4次元世界に住むものならば、その姿は我々には見えない。

奈良の国栖の集落での奇妙な体験もそう考えれば解けるのではないか。集落に入って私と岩瀬志麻は3次元世界から4次元世界に踏み込んでしまったのかも知れない。4次元世界には時間がないとすれば、そこに住む人の姿は3次元の人達には見えなくて当然なのだ。

逆に4次元に踏み込んだ我々には、周囲の家々に暮らす人々の姿は見えなかったに違いない。

ハナシがアベコベだと思ったのは、そのためなのだ。3次元から4次元にシフトすれば、3次元的常識は通じない。では、時間のない世界とは何なのか。3次元的常識で言えば、“死の世界”であるに違いあるまい。

思えばあの時、私たちの前に姿を現した大和一を見て、志麻は「あの人、死んでる!」と叫んだのではなかったか。あの時、私は4次元にシフトし、岩瀬志麻の五感は3次元世界に固執し続けていたからではなかったか。

彼女はクスノキ(恐らく4次元的存在、つまり死者というべきか)に追われ、渓谷に車ごと墜落する瞬間、クスノキによって4次元世界にさらわれてしまったのではないか。だとすれば、奈良県警がいくら捜査しても志麻を発見することは永遠にないだろう。

そこまで考えると、私の頭に痞えていたものが溶解していく快感があった。3次元に留まって見れば、“超常現象”に見えるものが、4次元世界に立つと何の不思議でもなくなるのだ。

しかし、頭の中に爽快感があったのは一瞬だった。
では、私は何なのだ、という疑問が恐怖とともに沸き起こった。私に、大和一の姿もクスノキの姿も見えていたのは何故なのか?!
ひょっとすれば、私は既に4次元世界に移り住みつつあるのではないか。3次元的に言うなら、半分、死の世界に入っているということではないのか!
そう考えたとき、二階のベランダに出るドアを鋭く叩く音がした・・・。一瞬、心臓が身体の奥に落ち込んだかと思った

ごんごん・・・誰かがドアを外からノックしているのは明らかだった。二階のベランダに外部から人が上がってこれるはずはない。私は勇気をふり絞ってドアを開けたのでした。
そこには、鳩ほどの大きさに縮んだ、あのヤタガラスが私をじっと見つめていたのです。


(続く)

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