1999年11月2日(火) 
○ハイデルベルグ→ローテンベルク

 朝、6時47分起床。
 日本ならもう明るくなっている時間だが、まだ真っ暗です。
 時差ボケのとーとに夜中にかーかは2回も起こされて寝不足らしい。
 かーかを起こすつもりは無かったがお腹がすいて夜中にぼりぼりお菓子を食べている音で起こしてしまったらしいのです。

 そんな寝不足の中、今日はロマンチック街道のスタートの町、ハイデルベルグでハイデルベルグ城や旧市街を観光します。
 REGAホテルのチェックアウトを済ませバスに乗り込もうとしたところで部屋に忘れ物をしたことに気づきました。
 きのう空港のコンビニで買ったジュースを飲まずに冷蔵庫に入れておき、そのまま置いてきてしまったのです。
 べつに置いていってもよいのですが、せっかく買ったジュースをみすみす置いてくるのも悔しいので取りに行こうと思いフロントに行きました。
 「Something was left」が出てこないので「えー、あー、ルームキープリーズ」と言っただけでちゃんと部屋の鍵を渡してくれましたよ。
 ルームナンバーも言わなかったのに、顔と泊まっていた部屋を覚えていたのです。
 さすが??ヨーロッパのホテルマン。

 小雨が降る中ではありますが、初めて目にするヨーロッパの中世の町並みには感動しました。
 廃墟同然となったレンガ色のハイデルベルグ城は、プファルツ選帝候によって、14世紀に建造された城です。

増改築を重ねた為、ゴシックやルネッサンスの様々な建築様式が残っています。
 廃墟の城の中庭に立つと、いまにも崩れ落ちそうな建物が並んでいますが、城内に入ると大きなワイン樽が置いてあり、繁栄していた頃のワイン作り様子が再現されていました。

ハイデルベルグ城のテラスからはライン川の支流であるネッカー川や川沿いの赤い建物の町並みが一望できました。

しかし、ここは日本人観光客の定番コースということで、なんと駐車場からハイデルベルグ城に上がっていく途中のみやげもの屋の壁に「円、使えます」の張り紙があって、唖然・・・・・。
 ドイツまで来てこの張り紙にはちょっとがっかりしてしまいました。

ここまで円パワーが蔓延しているとは・・・・。

以前韓国に行った時も、「しぇんえん、しぇんえん」と、夜の街をはじめ観光地ならどこでも円が使えましたが、まさか日本から10万キロメートル以上離れたこの地で「円、使えます」とは驚いてしまいました。

ハイデルベルクの街角の小さなレストランで昼食を取りました。
 日本と違い水も有料となる為、料理はツアー料金に含まれていても必ず飲み物は別料金なので注文を取ります。

 注文はガイドの原田さんがやってくれるのですが、水よりもビールの料金の方が安いので酒好きの人は、ついついビールの方を注文してしまうようです。

 ドイツに来たからには一度くらいドイツ語を使わなくてはと思い、トラベル英会話・・・じゃなくて独会話の本で調べて「おいしかったです」という言葉を丸暗記してあります。
 店を出るときに店員に「エスハット、グッド、ゲシュメット」と声をかけたら、にこにこしながら「ダンケシェン」という言葉が返ってきました。
 「やったー!通じたぜ!」とかーかに自慢しているとーとでした。

昼食を済ませたあとの自由時間にハイデルベルクの町を散策します。
 旧市街はハイデルベルク大学の学生の町として知られているますが、ハイデルベルクの町は大学の構内と言うことで昔は治外法権だったらしいのです。

そのため大学独自に牢屋を作り学生を閉じ込めるための、この学生牢を作ったらしいのです。
 牢屋と言うものの学生たちの間ではここの牢に入ることはある意味名誉なこととされていたらしいです。
 中に入るとそれらの学生が書いた落書きがそのまま残されているらしいです。

 ハイデルベルク城のたもとにあるネッカー川に架かるカール・テオドール橋で紅葉をバックに写真を撮りました。

ヨーロッパの紅葉は黄色一色であまり綺麗ではないと聞いていたが、思ったよりもカラフルで綺麗な紅葉です。

13時頃JALバスでハイデルベルグを後にしました。

ネッカー川沿いに車窓から川と森と古城の美しい風景を眺めながら古城街道―ロマンチック街道を一路ローテンブルクへ・・・・。

 この街道は中世の頃から旅人の往来で賑わっていました。
 街道沿いにはネッカー川を通行する船から通行税を取るための城、また盗賊が船から物資を巻き上げる為に建てた城や、中世騎士の城、軍事目的で築かれた要塞など数多くの城が残されているそうです。
 城と一言に言っても、一地主が暮らした小さな館から、王侯貴族などの権力者の城館まで、様々な城があるようです。
 中には今でも個人の持ち物の城もあるらしいですよ。

 2時間半ほどバスに揺られていると赤い屋根の家が集まった街、ローテンブルクが見えてきました。

ローテンブルクはタウバー川沿いの高台にあるロマンチック街道屈指の観光地で、街を囲む城壁が現在も残っています。
 ローテンブルクとは「赤い城」という意味で、遠くから見る街の景色は名前の通り一面赤い屋根です。

この町並みは第2次世界大戦時空襲で壊滅したものを、世界中からの寄付によって町並みを再建したものらしい。

15時30分ローテンブルクに到着ししたが、観光バスの進入する通路は城壁の門の間口すれすれだ。古い町並みのために道が狭くバスが通れる道は限られているらしいです。

 ローテンブルクでの宿は城壁の内側にありペンション風でかわいらしく、外壁に紅葉したツタが這っていてなかなかしゃれたホテルでした。

 ホテルにチェックイン後、添乗員の原田さんの案内により1時間程度簡単に全員でぐるりと徒歩で観光します。
 道路のほとんどが石畳で歴史ある町並みらしいたたずまいです。

 正ヤコブ教会はローテンブルクの主教会で、ゴシック様式の建物は1311〜1490年頃の創建。小さな町にしてはその大きさが示す通り、当時町が極めて重要な役割を荷っていたことが分かります。

正ヤコブ教会を出て、散策を続け、「一気飲み市長と将軍のからくり時計」がある市議会員宴会堂でからくり時計の逸話を原田さんから聞きました。

(この建物にはからくり人形の仕掛けがあります。30年戦争時この街を占領した将軍が、誰かこの大ジョッキのワインを飲み干したら街を助けてやると言ったところ、当時の市長が3・5リトルのワインを一気飲みして街を救ったという。市長は気絶して3日間寝込んだそうです。時間になると左右の窓が開いて将軍と市長が現れ、市長がジョッキを持って一気飲みするのが見られます。)

からくり時計が動くのは11,12,13,14,15時および21,22時だけらしいので今の時間は見ることが出来ません。
 夕食後、散歩がてら見に来るのもいいですよと勧められました。

 夕食後ホテルの部屋で一服していたがいまだに雨がしとしと降り続いています。

 雨が降っているとはいえ、せっかくなので例の一気飲み市長のからくり時計を見るついでに、ローテンブルクの町を散策しに出かけました。

ホテルすぐ横に城壁があるので上に登ってみます。
城壁の上を歩けるのですが、雨がしとしと降っている上に暗くて不気味でした。

 城壁を降り、ぐるりと夜のローテンブルクの町を散策していると、そろそろ21時近くなってきたので「一気飲み市長と将軍のからくり時計」を見るために市議会員宴会堂に向かいました。

時計を見上げられる広場に着くと、すでに大勢の人が集まっています。

 定刻の21時にからくり時計が動き始めましたが、高い場所でなにやら動いているのが見えます。

かーかはバッチリ見えたようですが、目の悪いとーとはさっぱり見えないのですが、なんとなく雰囲気はわかった気がします。

散策を終え、ホテルへの帰り道スポーツ用品店でお土産用のドイツサッカーナショナルチームユニフォームを購入しました。
 購入にはクレジットカードを使用しましたが、後日ドイツのこの小さな町のスポーツ用品店での買い物の代金が引き落とされたという通知が来てなんとなく感激してしまいました。

 夕方から夜にかけての市内観光だったため街の景色が写真に収められませんでした。
 こちらのサイトで街の様子がよくわかります。

ホテルに戻り、シャワーを浴びようと浴室に入りました。
 日本人観光客が大勢泊まるとあっという間にお湯切れするとは聞いてはいたけどまさか本当に・・・・。

 とーとがシャワーを浴びようとして蛇口をまわすと、何かちょっと温度が低い感じがしました。
 気にしながらシャワーを浴び始めたとたん、みるみる冷たい水しか出なくなってしまったのです。
 しばらくすればお湯が出るだろうと思い、服を着て30分程待っていましたが一向にお湯が出る気配がありません。

 フロントに電話して「ホットランニングウォーター キャントビーユーズド」(お湯が使えないぞー)と言ってみましたが、中途半端に英語で文句を言ったら「ソーリー、ナントカカントカ」と英語でぺらぺら返されてさっぱり判りませんでした。
 仕方なくフロントに直接行って得意のインチキ手話(身振り手振り)でコミュニケーションをとった結果、「ボイラーが故障したからちょっと待っていてくれ、そのうちお湯が沸くから」みたいなことを言っているらしいことが判りました。(ジェスチャー付きでも正確には理解できませんでした)

 故障(トラブル)と言ってはいますが、他の日本人観光客グループのおばちゃんばかりの宿泊客が大量にバスタブに湯を張ったのが原因か?
 夜遅くまで待っていたがとうとうお湯が出ないため今日はシャワー無しで寝る羽目になりました。
 夏じゃないからまだ良かったけれど。