1999年11月4日(木) 
○ミュンヘン→ルツェルン→インターラケン

 朝起きると、かーかが青い顔で「お化けが出た・・・・」と言って騒いでいます。
 なんでも、夜ふと目が覚めると窓際のソファーに座っている人影があって、またとーとが腹減ったといって目が覚めて煙草を吸っているのかと思って見ていたけれど、よく見るととーとは隣のベッドにちゃんと寝ていたというのです。
 しかも、ソファーに座った人は煙草をふかしながらかーかの方をじーっと見ていたというのです。
 とーとは、夜中に目が覚めて煙草を吸ったのは間違いないので、かーかはそれを見たのかもしれない。
 でも、ベッドで寝ていたのは誰?
 それがお化けだったのかな? 歴史あるヨーロッパのホテルだからそれくらいのものは出てもおかしくないでしょうが、おそらくかーかが寝ぼけて見間違えたのだと思いますがね。

ミュンヘンを出発して今日はいよいよスイスに入りますが、今日からはJALバスではなく地元の観光バスに変わりました。

 アウトバーンをスイス国境に向けて走る途中、パーキングエリアでトイレ休憩をとります。

 周りの景色は見渡す限り草原で、日本では絶対に見られない景色ですね。

 ミュンヘンを出発して約2時間半で国境を越えました。

 国境では添乗員の原田さんにパスポートを預けてまとめて手続きをしてもらいます。

今度は残ったドイツマルクと円をスイスフランに両替をしなければならないのですが、これも原田さんにまとめてやってもらいます。

 

スイス国境を越えたあたりからはハイジが駆け回っていそうな景色が続き、飽きることがありませんでしたね〜。

 ヨーロッパで一番高い駅があるユングフラウヨッホに向かうベースとなる街、インターラーケンに向かう途中、ルツェルンに立ち寄りました。

 カペル橋近くのレストランで昼食後、ルツェルンの町を散策しました。

 まず、瀕死(ひんし)のライオン記念碑を目指します。

観光地図を見て「溺死(できし)のライオンって何?」とかーかがトンチンカンな質問をしてきました。
 瀕死と溺死を読み間違えたらしいのだが、良くある間違いらしいですよ。

スイスを支えている産業は時計・銀行・傭兵といわれています。
 ルイ王朝時代、王家を守るため多くの青年たちが傭兵として出兵し、果敢な働きをしたことに感謝したフランス国から送られたのがこの記念碑なのです。
 スイス傭兵の責任感・忠誠心はフランスでは現在も絶対的な信頼を得ているそうです。

ライオンの右手下のユリの花の紋章はフランスの印で傷つきながらも必死でフランスを守っている姿を現しているということです。

瀕死(・・)のライオンを後にして、人通りの少ない裏路地に入りとぼとぼ歩いていると地元の学生?の女の子に「ハーイ」と声を掛けられました。
 (げっ、なんでこんな見知らぬ観光客に「ハーイ」なんだ。もしかして知り合い?でもスイスに友達も親戚もいないし・・・・)
などと考えていて、とっさに答えられずに・・・沈黙。

 日本人はなんて無愛想なんだろうと思われてしまったかもしれませんねぇ。

 それよりも見ず知らずの観光客に気軽に「ハーイ」と声をかけて来るこの軽さ?(明るさ)は日本人には考えられないかも。(関西人ならあるのかな?関西の人ごめんなさい)

 ヨーロッパの町は城壁に囲まれた町が多いですね。

 外敵の襲撃に備えてこのような城壁を作り、町全体を要塞化しているようなんです。

バスを降りた集合場所に近いところにカペル橋があります。

ロイス川にかかっているカペル橋は14世紀前半に街の要塞として建設された屋根付き木造橋です
 近くの聖ペーター教会のチャペル(カペル)にちなんで名付けられたということです。

17世紀になって梁に飾られた板絵には、スイスとルツェルンの歴史物語や、街の守護聖人レオデガーとマウリツィの伝記などが描写されていて、その長さは約200mあります。
 1994年に半分が火災で焼失したらしいのですが、すっかり修復されています。

 ルツェルンを後にしてインターラーケンに向けてバスは走ります。

途中ガイドの原田さんお勧めの景観スポットの峠でバスを降りて景色を眺めました。

 遠くのほうからカウベル(cowとはいえ実際には牛ではなくヤギが付けているらしい)のガラガラという音が聞こえてきます。
 いかにもスイスらしいBGMです。

インターラーケンのシャレー・ホテル・オーバーランドに到着し、夕食をとりましたが、パスタみたいな物と、鶏肉を串に刺して(つまり焼き鳥じゃん)クリーム和えにしたような変な料理が出てきました。

とーとは何でも来い!なのだが、かーかはこの手のくどそうな食べ物は苦手なのでがっかりしていました。