1999年11月7日(日)
○パリ観光(パリ、市内観光→ベルサイユ宮殿)
午前中は市内観光ということで、観光バスで市内をあちこち見物しながらノートルダム寺院に行っきました。
シテ島(セーヌ河の中洲)にあるゴジック建築の結晶と言われるノートルダム寺院は石造りの建造物で傷みが激しく、一度には修理ができないのでいつもどこかが工事中になっているとのことです。
寺院の裏側が改修工事中で足場やネットが張ってありましたが、表側はそんな様子も分からず、記念撮影の妨げにはならなかったのでよかったです。
今日は日曜日ということで寺院内部ではミサの真っ最中です。
教会内部は木の柵で観光客用と礼拝者用と分けられていて観光客は中に入るのに有料です。
内部はストロボ撮影禁止となっていますが、必ず無視してストロボを焚いて撮影している観光客がいるものです。
しかもほとんどの場合が日本人・・・・・、情けない。
そんなわけで内部の様子がはっきり分かる写真は無いのですが、あの厳粛な雰囲気をはじめて目のあたりにして、もしもミサに参加したらクリスチャンになってしまいそうだと感じました。
そしてこんな歴史ある教会の厳粛な雰囲気で結婚式を挙げられたら、すごい感動するだろうなとも思います。
本物の教会で結婚式を挙げるには洗礼を受けなければならないらしいのですが、最近では金儲けのために日本人相手に本物の教会でも洗礼無しでも式を挙げられるところがあるようですね。
ノートルダム寺院には裏口から入ったみたいで、一旦外に出てから表側に歩いていきました。
するとテレビや雑誌で見たことがある外観が見えてきました。
再びバスに乗り、車窓から凱旋門を見ながら通過して、エッフェル塔が良く見えるパーキングでバスを停めてくれました。
エッフェル塔に電工掲示されている「J55」とは21世紀までの日数のカウントダウンです。
新年にはエッフェル塔から花火が出て、タワー全体が花火のようになるらしいですよ。
見てみたいものです。
いかにも”観光地エッフェル塔”らしく屋台のみやげ物が並んでいましたが、パリらしくおしゃれなみやげ物が多く並んでいます。
昼食前に海外旅行客には定番の免税店“カムス”に『連れて』いかれました。
店内に入るとスーツや毛皮のコートなど高級ブランド品がずらりと並んでいます。
店員がしきりにバーバーリーのコートを勧めてきます。
「日本で買えば10万円以上する物が、6万円ですよ!」てな具合です。
いくら日本で買うよりも安いといっても6万円ではとても手が出ない代物です。(*_*;
かーかも毛皮のコートを勧められていましたが、二人ともブランド物には全く興味が無いため、飽きてきて店外に出て待っていました。
ツアー客の他の人達は最初から目当てがあったらしく、ほとんどの人が何かしら購入していました。
何も買わなかったのはとーと&かーかだけ?
昼食はレストラン「LE PANTHEON」で名物のエスカルゴ料理ですが、店の中に入ったとたんかーかが固まっています。
この店、なぜか蜘蛛をモチーフにした変な店だったのです。
店に一歩足を踏み入れると、蜘蛛の巣に蜘蛛がへばりついていたり、蜘蛛が糸を出して垂れ下がっています。
もちろんすべて作り物なのですが、蜘蛛が死ぬほど嫌いなかーかは気を失う寸前でした。
それでも、楽しみにしていたエスカルゴ料理を食べてみるまでは気を失えないと思い頑張っていたようですね。
そしてエスカルゴ料理が出てきましたが、見た目はカタツムリというよりも巻貝のような感じでおいしそうです。
これが本当に角が出たような状態で料理されて出てきたらちょっと怖かったのですが、これなら大丈夫です。
とーともかーかもおそるおそる食べてみましたが、少々味付けが濃いものの思ったよりもおいしかったですね〜。
昼食でエスカルゴ料理を堪能した後、ベルサイユ宮殿に向かいます。
ベルサイユ宮殿は漫画「ベルサイユの薔薇」のおかげでとーともよく知っています。
しかもその漫画のおかげでフランス革命に関してはそこらのパリっ子よりもよく知っているぞ!と自負しています。
恐るべし、マンガパワー。
そんなわけで今回の旅行ではユングフラウヨッホの次に楽しみにしていたベルサイユ宮殿です。
パリ市街から郊外に向けてしばらく行くとベルサイユ宮殿に2時半ごろ到着しました。
パリ屈指の観光地だけあって駐車場もだだっ広いです。
正面入場口から中に入ると大理石が敷きつめられた王の中庭があり、馬に乗ったルイ14世の像の向こうに宮殿が見えます。
太陽王ルイ14世が1682年に完成させたバカでかい宮殿はルイ16世の時代、1789年フランス革命の時に宮殿からかなりの調度品が持ち出されてしまい、宮殿は豪華なのに中の調度品はたいした事がないらしいです。
宮殿内は写真撮影OKだが、フラッシュを焚くのは禁止されています。
にもかかわらずフラッシュを焚いて写真を撮っているのは・・・・やっぱり日本人観光客ですね。 いい加減にしろよ!!。
こっちはノーフラッシュで撮影したおかげで、ぶれた写真ばかりになってしまっているのにぃ。(帰国後プリントしてみてガッカリ)
宮殿内を見学し終え、南側の庭園に出ました。
広いっ!とにかく広いっ!
総面積が800ha、宮殿内を通る道の全長は約20キロ、3つの宮殿と大庭園があり、部屋の数も700以上あるということです。
南の花壇は、王妃の宮殿の窓の下につくられていて「アラベスク模様」が描かれています。
庭園内には騎馬警備員がいてムード満点です。
向こう側が地平線の彼方に消えているのではないかと思うくらいのだだっ広い庭園を歩くと、どのくらいかかるのだろうか。
一日では回りきれないと色々なところで耳にしますが、実際に歩いてみた人はいないのでしょうか?
時間さえあれば一度歩いてみたいものです。
ベルサイユ宮殿からホテルに戻る途中、ダイアナ妃が事故で死んだ場所の近くを通りました。
どうせなら現場を通ってみて欲しかったなあ。(野次馬根性)
日本に帰ってから「ダイアナ妃の事故現場の地下道の近くを通った」というのと「ダイアナ妃の事故現場を通った」というのではインパクトが違いますからねぇ・・・・・。
夕食はJAL設定のオプションでディナーショーか、添乗員の原田さんのお勧めのセーヌ川ディナークルーズのどちらかを選ばなくてはならないのですが、旅行に来る前からディナークルーズをしよう決めていたとーと&かーかは迷いませんでした。
他の人達も大半がディナークルーズを選んだようです。
ディナークルーズには襟付きのシャツとネクタイが必要ということなので、この日だけのためにわざわざ日本から持ってきたスーツとネクタイ、革靴に着替えていざ出発です。
ダイアナ妃がパパラッチに追いかけられて激突死した地下道の横を歩いてセーヌ川岸のアロマ橋たもとのディナークルーズ乗り場に着きました。
予約だけはしておいてもらったので窓口で料金を支払って船に乗り込みます。
ここで添乗員の原田さんとは別行動です。
原田さんはパリにいる友達(♂)?のところに遊びに行ったのかな?(余計なお世話だって(^^ゞ)
船内は窓際にテーブルがずらりと並び、窓から外の景色が良く見えるようになっています。
テーブルの上にはすでに、シャンパンとワインが冷やしてあり、おいしそうです。
8時の出航と同時にコース料理が次々と運ばれてきたが、味はイマイチでしたねぇ。
日本で食べるフランス料理はやっぱり日本人の下に合わせて作ってあるんでしょうね。
料理よりも雰囲気かな?
途中、エッフェル塔の横を通過する時にはデッキに出て記念写真を撮ったりしました。
ワインも、シャンパンも飲み放題なのでワインを飲みすぎたとーとは途中でダウンして、寝てしまっていました。
最後のデザートが出てきたところで目が覚めてびっくり。
大きな皿の上にくどそうなアイスクリームが大量に乗っているではないですか。
これが一人分のデザートなのです。
散々飲み食いした最後にこれはとても食べられないぞ、と思いながらもちょっと食べてみました。
やはりものすご〜く甘くてくどくてとても食べられません。
フランス人はいつもこんな食事してるのか、だから太った人が多いんだよ!とかーかとふたりでぶつぶつ言っていました。
約2時間半のクルーズを終えて船着場に戻ったのは10時半です。
やはり飲みすぎてダウンしている人の姿が多く、酔いつぶれたまま肩を担がれて下船している人もいます。
中には船を下りる桟橋の上からセーヌ川にゲロを吐いている人もいましたねぇ。
なんとも情けない姿だ、パリにまで来てあの”セーヌ川”にゲロを吐くとは・・・・・・。
とーとは船内で寝ていたのですっかり復活していたが、実は危ないところだったのですが。
ここまで来るのに地下鉄を使ってきたので、帰りも同じように地下鉄を使えば帰れるのだが今度は添乗員の原田さんはいません。
みんなでどうしようかと話していましたが、よく見ると回りには白タク(無許可の違法タクシー)らしき車がいっぱい停まっています。
同じツアー客で仕切っていた年配のおじさんが「あれで帰ろう」と言い出し、白タクの運ちゃん交渉を始めました。
運転手を入れて9人乗りのワゴン車に14人の乗客を無理やり詰め込みホテルに向いました。
軽いかーかはとーとの膝に座り、ぎゅーぎゅー詰めで15分ほど走ってホテルに到着しました。
料金はワリカンだが、いくら払ったのか忘れてしまったが、観光客あいてだから結構ぼられていたと思いますよ。