河合メンタルクリニック


職場のメンタルヘルス

 大学病院の教職員を対象とした院内講演の記録


 ただいま紹介いただきました河合と申します。
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 次に、やや大上段に振りかぶって、この経済の不況に喘ぐところに、追い打ちをかけるように東日本大震災に見舞われた “日本人の心の有り様” について、堀北真希出演の昭和のリバイバル映画 “ALWAYS 三丁目の夕日” を題材としてお話ししたいと思います。出演者として、他に吉岡秀隆、堤真一、薬師丸ひろ子といった人たちが、しっかり脇を固めていますね。

 “ALWAYS 三丁目の夕日” に代表されるような昭和三十年代のブームが何故、今起きているのでしょうか。これも “うつ” の変異した病としてのノスタルジーなのか、それとも、もう一度、高度成長へ向けて進んで行けるのではないかと心のどこかで思っているせいでしょうか。

 二週間程前にも、TVで映画 “ALWAYS 三丁目の夕日” の三作めが放映されました。時代は、東京タワーが建設され、新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された半世紀も前に遡ることになります。あの頃は、それが東京の下町の風情にしろ、向こう三軒両隣に止まらず、住民の共同体意識が近隣に深く根付いていた、のどかな時代でした。

 この栄光の60年代も後半になると、大学のストライキ闘争が始まり、それに呼応してか、当時都立新宿高校で同級生同士だった、ミュージシャンの坂本龍一と自民党で官房長官もやった塩崎恭久が血気にはやって高校でバリケード封鎖した時代にはいることになります。

 そして70年代の石油ショック、80年代後半のバブルなどを経て、大量消費社会から情報化社会へと進んでいくわけですが、その中でおそらく必然的に「公共」よりも「何より自分」という風潮が強くなり、バブルの世界を謳歌した世代あたりがモンスター化してきたと考えられます。

 その世代より上の、「三丁目の夕日」の時代を家族の一員として過ごしてきた、今の孤独な単身所帯のお年寄りには、当時思い描いていた自分の晩年と、今の自分がおかれた現実が余りに懸け隔たっているものとして映っていることと思われます。

 このように子供の独立や配偶者と死別したお年寄りばかりでなく、今シングルライフを送る人たちも、気づいていたらそうなっていたとか、そうしたいわけではなかったのに、せざるをえなかった、という人たちも少なくありません。

 今、診察に訪れるこのような単身の方たちも、人との繋がりを求めても周囲に誰もいないので、ある人はネコを飼い、またある人はスマホの中のコミュニティで、仮の仲間を作り、何とか「おひとりさま」の自分を意識しないようにしながら生きているのかもしれません。

 外来で苦情を言う人も実は寂しく、コミュニケーションをそのような形でしかとることができないのではないかと思います。

 そういう方に対しては言い返さず、何よりも “聴く” 姿勢が求められます。聴き続けるうちに、相手の方も喋った分すっきりしてくることもあるかもしれません。

 阿川佐和子さんの著書 “聞く力” 、この本は出版以来、去年一年だけで百二十万部を越える大ベストセラーとなっていますが、その阿川さんの本に、 “「あれ?」と思ったことを聞く” という項目を発見しました。人の話を聞く上で必要とされるものは、素直に驚く感性かと思います。

 人は真実を語りたいという衝動と同時に、真実を隠したいという欲望もあります。虚心坦懐に “心の耳” で聴きましょう。

 良いフィーリングで会話が終わって余韻が残る方が、次回の収穫が大きいということもあります。テレビドラマを見ていても、効果音だけが鳴っていて、言葉がいらないシテュエーションが少なからずあります。

 人は対話している時、様々なレベルでコミュニケーションを行っているものです。

 単に言葉のやり取りだけでなく、表情、態度その時に発せられる声の抑揚等々、いくつものレベルで相手の発する信号を受け取り、こちらも信号を発しつつ、やりとりをしているわけです。 “目は口程にものを言い” という表現もあります。

 だから、相手が何を言っているかという他に、相手から何をフィーリングとして感じとれるかがコミュニケーションということになります。

 相手を本当に思いやっていることがスムーズに伝われば良いわけですね。

 話し手というものは、自分に寄り添って聴いてくれる相手を必要として、聴き手を、それが無意識にしろ自分自身を映し出す鏡として用いているのかもしれません。

 プリントの中でも触れていますが、 “人は人によって癒される” のだというささやかな主張を感じとってもらえたらと思います。

 それでは、配布したプリント “受難時代の子どもたち” の中で触れていますが、 “大量消費社会の果てにある、地域共同体が崩壊した中で、大きな災害が起きた時は、それぞれの近隣での助け合いが犠牲者を少しでも少なくする” と書きましたが、これを書いた時は予想もしなかった、東日本大震災が現実のものとして起こりました。 この国の大きな不幸がきっかけとなって、今再び「三丁目の夕日」の世界にみる、他者を思いやる心が復活し、何に関しても「俺が、俺が」という、自己中心的な行動を取ろうとするモンスター化に果たして歯止めがかかるのかということです。

 私個人としては、小さな自己犠牲や手間を提供しあうことこそが、ゆるやかな共同体を復活させることになるのではないかと思っています。

 やはり本日配布したプリント “「モンスター」と呼ばれる人達” に書いたように、バブルを過ぎたあたりからサービス業になりつつある医療の現実がありますが、医療がサービス業になりきれない理由は、対価に見合うサービスを提供できない場合が考えてみればいくらでもあるわけです。

 今巷ではインフルエンザが猛威を振るってきましたが、一方、うつ病は目立たない形で、季節に関係なくじわじわと人の心を蝕んでいる印象を一精神科医として受けています。

 成果主義と並行して、社会の格差は経済のみならず心の領域にまで及び、今はちょっとでも非能率なものは切り捨てるという風潮の中で、一種の排除の作用の結果、社会の中から “うつ” というものがでてくるのかもしれません。

 心優しくて負のエネルギーを他者に向けることなく、自身に内攻してしまうような人が心を病むということなのかもしれないと思っています。

 本日もお疲れさまでした。通勤の行き帰りの公園の通りすがりに、足元の草花に春の兆しを探して、どうか心のエネルギーを充電してください。

 これで終わりにします。

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