マリア         

第2章第1話「SLUM TOKYO」

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 悪魔に蹂躙され荒れ果てた東京。そこに珍しく1台の自動車が走っている。
 案の定というか、道路はあちこちひび割れたり瓦礫に被われたりしていてかなりの注意が必要だった。
 運転手が荒れた道に慣れてきた頃を見計らって、砂村は尋ねた。
「それで藤堂さん、どこへ行くんですか?」
 後部座席からの声に、ユキはちらりとルームミラーを見やった。
 
「とにかく人のいない所へ行きましょう。その後で、ゆっくりこいつの相手をしてやるわ。」
 砂村は正直なところ、ユキの腕に取り憑いた悪魔を一刻も早く駆除してしまいたかった。しかし悪魔は昨夜の一件以来暴れるでもなく、宿主を支配しようとするでもなく、眠ったように大人しくしている。それに彼女が周りの人間を巻き添えにしたくないのだということも分かっていたので「そうですね・・・」と渋々頷いた。

 砂村にとっては一年前の悪魔の出現以来、初めて目にする外界であった。辺りには悪魔の姿こそ無いものの、街は彼の記憶から余りにかけ離れた無惨な姿となり果てていた。それは大戦の空襲の後とか、震災で壊滅した都市といった、歴史の教科書の1ページを思い起こさせた。
 非常事態宣言が解除されたからだろう、人の姿は意外に多かったが、何から手を付けようか途方に暮れたように座り込んでいる者もいて、走りすぎる車を無表情に眺めていた。


 いつしか車窓を飛ぶように流れだした景色に、砂村がスピードの出しすぎではないかと声をかけようとした時、
「ちょっと、銃を用意して。」
 ユキが急に言った。
「悪魔ですか?」
「多分・・・馬が追いかけてくる。」
「は?」
 振り向くと、確かに後方から1頭の白馬が近付いてくる。しかし馬では有り得ない。車はすでに、荒れた路面では危険な程のスピードで走っているのだ。サラブレッドでも追いつけるはずはない。
 砂村が慌てて車の窓から身を乗り出して、ライフルを構える。
「何してるの、早く撃って!」
「だって、これ引き金が動きません!」
「安全装置外した?!」
 ユキが後ろに気を取られている間に、前方に倒れた標識が迫っていた。咄嗟に進路を変えると道が登り坂になる。そして料金所を通過・・・高速道路に入ってしまったのだ。これでは脇道に逃げることもできなくなってしまった。舌打ちしてバックミラーを確認すると、悪魔もかなり近付いてきている。
 考える間も無く、自動車をすさまじい衝撃が襲う。悪魔が後ろから体当たりしてきたのだ。その額には物騒な長い角が生えていたので、後席の砂村はたまったものではない。ようやくライフルを撃つ準備ができていたのに、思わず車内に引っ込んでしまった。
 ユキは汗のにじんだ掌でハンドルを握りしめ、ミラーに映る悪魔に意識を集中させる。昨日と同じように、できるだろうか?
 悪魔は体当たりの反動か、いったん少し離れたが、すぐに距離を詰めてきた。そして全身のバネを使って再び跳びかかろうというとき、ユキの見えない力がカウンターのように炸裂した。
 悪魔は激しい衝撃に吹き飛ばされ、転がりながら遠ざかっていった。しかし二人はその様子を確認するどころではなかった。車の方も爆発的な力を受け、コントロールを失いかけていたのだ。タイヤを滑らせ2、3度大きく蛇行しながらも、なんとか体制を立て直すことができた。

「ちょっと走っただけでこれじゃ、先が思いやられるわね。」
 首都圏を抜けるまでに、いったい何匹の悪魔と遭遇しなくてはならないのだろうか?


 とにかくこの周囲から丸見えの高速道路を降りようと、インターを探して車を走らせていると、
「なんだ?あれ・・・。山じゃないですよね・・・」
 ユキにちっともいいところを見せられなくて後席でしょんぼりしていた砂村だが、前方にかすかに見える異様な影に思わず声を上げた。
 ビルの多い東京といっても、高架の上では意外に遠くまで見渡すことができる。それは山と間違っても無理もないほどの、巨大な樹だった。
 二人は知るはずもなかったが、それは先の戦いで魔王サタンが人間界侵略の橋頭堡とした妖樹イグドラシルであった。人々の生命を吸い取り、魔界へと送り込み、また魔界とこの世とを貫いたイグドラシルであった。
 しかしそんなことは知らなくても、荒れ果てた街とその向こうにかすむ尋常ならざる大樹との組み合わせはまさにシュールリアリズムの絵のようで、人を不安にさせるのに充分だった。

 気を取り直して高速を降りてからも、道行きははかどらなかった。ユキたちの乗用車では荒れた道は通ることができないし、悪魔が多いという場所を避けて遠回りをしたりするので、なかなか思うようには進まないのだ。

 悪魔との遭遇戦をさらに何回かくぐり抜け、両側に工場や倉庫が並ぶ人気の無い道にさしかかった頃、幾分荒っぽいブレーキと共に車が停止した。砂村はまた悪魔の襲撃かと周囲に目を配るが、運転席のユキが言った。
「まだ早いけど、今日はここまでにしましょう。」
「いいですけど・・・」
 まだ夕方と言うにも早い時間だ。怪訝そうな砂村の方を振り返ろうともせず、彼女は車のスイッチを切った。
「ごめん。もう疲れちゃって運転は危ない。・・・やっぱり栄養取られてるのかなあ。」
 冗談めかしてはいたが、声の調子から相当に疲弊しているのが感じられた。運転も、悪魔との戦いのほとんども彼女に任せっきりの砂村にしてみれば、反対する理由は全く無い。彼は車から降りて運転席の外に回った。
「大丈夫ですか?」
「多分、休めば大丈夫。」
「それじゃ俺、見張りしてます。」
 これ以上話しかけるのも悪い気がして、砂村は車から5メートルほど離れた植え込みの縁にライフルを抱いて腰を下ろした。


 それから何事もなく2時間ほどが過ぎた。砂村はこういう時こそ頑張り所だとばかりに、彼としては珍しい真面目さを発揮して見張りを続けていた。

 ふいに、彼の後ろで羽音が起こった。
 そちらを振り向くと、先ほどまで何もいなかった塀の上に人間ほどもある鳥が一羽とまって、何かしきりについばんでいた。その大きさから、ただの鳥であるはずはないのだが、砂村は一瞬攻撃するべきかためらった。鳥の頭は人間にそっくりだったからである。
 そのうち凶鳥フーシーは砂村の姿に気付き、脚で掴んでいた何かを放り出してふわりと舞い上がった。塀の下に転がったそれが人間の体の一部らしいのを見て、砂村も戦う覚悟を決めるしかなかった。
 悪魔は砂村の周りをつかず離れず飛び回っている。まるでからかっているかのようだ。砂村はライフルを2,3発撃ったが、とても照準を合わせている余裕など無く、多少の牽制になっているだけだ。
 フーシーは獲物がほとんど抵抗もできないと見て、大きく翼を打ち一気に間合いを詰めてくる。
「わわっ、来るなっ!!」
 砂村はなんとか防ごうと、ライフルを盲目滅法に振り回した。それがかえって悪魔にとっては相手の動きを読みにくくさせたのだろう、バキッという音とともにかなりの手応えがあった。見ると悪魔は地面にうずくまり、その片方の翼はだらりと下がっている。
 翼を折られて飛べなくなるということは、悪魔といえども物理法則に従っているのだ。そう思った途端、ここ数日理解を超えた出来事の連続に麻痺しっぱなしだった彼の理論的な思考が回復してきた。
 一方手負いの凶鳥は彼を上目使いに睨んでうなり声を上げていたが、翼を引きずりながらもなかなかの脚力で砂村に跳びかかってきた。
 だが彼は、今度はその様子を冷静に見ることができた。鳥の体に人の頭を持つこの悪魔には、当然の事ながら嘴がない。だから鋭い爪を持つ脚の一撃さえまともに受けないように気を付ければ良い。そして悪魔も生き物であるならば、急所はあるはずだ。
 ライフルを盾代わりにして待ちかまえる砂村に、凶鳥の姿が覆い被さるように重なり、力を失って地面に落ちた。その胸にはメスが柄まで埋まっていた。

 事切れた悪魔の姿が目の前で空気に溶けていく様を、砂村は不思議そうに眺めていた。


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