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両親の経過 2010年から2011年まで


2011年の出来事
財布が壊れた 2011年11月
買い物に行く度に、小銭の利用をせずにお札で支払いお釣りを貯める一方なため、財布が膨れ上がり中に仕切りがボロボロになった。で、とうとう財布が壊れた。
ババは、お金勘定ができなくなり(多分考えるのが辛い?)、そのためお札で支払うようになったようである。なので、あっという間に札がなくなるという事態で金がないという小言がでる。フー!

北海道旅行 2011年10月
ババたちと姉が北海道旅行にいってきた。フォローが大変だった。
羽田への送り迎え、お金の工面,待ち合わせの調整など。
一方、面白い事があった。それは出発前のことである。
ババは化粧ショーポーチを複数カバンの中の忍ばせていた事だ。それを見つけた家内が多いので1つにする事でババに納得してもらった。その後、目を外したさいに又ババは別のポーチをいれたのである。それを見つけられたババはアラばれちゃった!だって。一体何個ポーチを持っているんだ!
又、お金を渡そうとしたらなんと4万財布にある。一体どこから?ヘソクリしていたか、どこか保管場所を思い出したかの何れかだろう。
お土産は、姉から聞いていた物品のうち半分をもらった。ババは、どれがどれだかわからなくなった様だ。とにかく無事で帰って来たので良かった。
来年もこうしてどこか行きたいだって!フーーー

介護の本 2011年8月
家内が購入した本”岩波新書 痴呆を生きるとういうこと 小澤 勲著”を読んだ。
ババのケースと良く当てはまる。これを読んだ私たちは、今まで考えてきたこと、対応方針など概ね妥当であったようだ。実践できたかは別だが。。これで家内も自信がついたようだ。
ライフイベントが痴呆を抱える人にとって重要でこれをいかに回避、乗り切るかがポイントということを痛感した。

ババ安定して来た? 2011年7月
ケアセンタでの行動に変化が見られている。ジジとババを引き離す様にし向けていた。ババは女性陣との交流をする時間が増えて、話し相手ができた様だ。そのためか、前日の頭痛,意欲の喪失などの症状がめっきり改善した。単に慣れただけとは考えづらい。

困ったXx温泉通販 2011年6月
ババたちは金銭感覚が弱くなっているので、Xx温泉のお酒通販の履歴を消去する依頼をすると同時に残金の清算をした。これで不必要な購入は無くなると思ったが、、、
Xx温泉はご丁寧にも残金の振込完了の電話をすると同時に、勧誘をした。お陰でババたちはその誘いにのってさらに購入を依頼した。支払い残務の連鎖が起きてしまった。認知症だと説明しているにもかかわらず勧誘するという姿勢に腹が立つ。以後の連絡は私達にするように依頼した。上手く行きますように!

ケアセンタを一元化 2011年5月
今まで、2箇所のデイケアセンタに通っていた。前から通っているケアセンタはマッサージが特徴であった。しかし、それ以外のケアとしてのアクティビティが少ないためジジババ2人で孤立してしまうケースが多く見られた。そのため、ケア全体のイメージがネガティブになる傾向が見られる。また、先入観があるせいかババは通っている2つのケアセンタの場所の違いを理解できてきない弊害が出ている。
ケアマネさんからのアドバイスもあり、混乱を避けることと、グループ活動をして脳の活性を維持するためにも2つ目のケアセンタに統一して通ってもらうことにする。

介護している私たちの気持ち 2011年4月
姉とババたちの様子について会話するたびにババたちの認知症の進行度合いに付いて姉の感じていることと私たちの感じていることにギャップを感じる。
情報発信が不十分なところもあるかもと反省するところあり。
ババたちの様子は、最近、何をするにしても多大なフォローが必要になって来ている。なので、通常生活の対応でこちらの精神的、物理的に制約をかなり受けて、段々ストレスがたまってきている。震災後のACのCMが耳に付いてウンザリしてくるのと似ている。なので、さらに突発的なイベントをすることはつらい。
一方で、簡単にこなす事が出来ると思っている節のある姉の考え方にはちょっと困る。
ババたちは何もできないので全てこちらがお膳立て、準備心のケアーなど苦労する事。さらに、その対応に、私たちやババたちがいっぱいいっぱいになってしまうこと。本当はこういったことを何も言わずに気遣ってくれたらどんなに楽か。
ソロソロ姉の考えを修正する必要があると思う。でも、話しをしても理解することは無理かもしれないという恐れが付きまとい、対応に迷うところがある。

心理検査の結果 2011年3月
横浜の主治医にババの状況を話した。正常と思って付き合いすると介護する私たちが振り回されて精神的に壊れるので気をつけろとアドバイスを受けた。頭では理解しているつもりでもやはり難しい。”ちゃんと理解出来る、して欲しい”などの期待をやはり持ってしまう。そしてあとで後悔するハメになる。先生のいう言葉は正論だが実践する私たちはなかか難しい。
ある時、ババに”最近姉と話したか”と何気なく聞いたところ”全く無い”とのこと。
別件で姉と話したところ、数日前に話したと言う。この事実が判明して、ババが姉との会話を隠しているのではと疑問をもってしまった。そのため、頑張ってくれている家内の気持ちを打ち壊しにするところだった。
しかし、最近のババの様子を考えると、実は短期記憶無くなっっているということが分かり、一件落着し納得することが出来た。

心理検査の結果 2011年2月
心理検査ADARの結果から、ババは軽度の認知機能障害と診断された。我々としては、もっと進んでいるとおもっていたのだが!
確かにババは自立してかなり生活できるので、病院に来る方々の相対的な位置を考えるとそういう結果は納得かもと考え初めている。
先生と相談して、アルツハイマーの前段階としてアリセプトの投薬を開始することにした。
ババは8月、ジジは来年1月をめどに再検査(ADAR)することになった。

新年 正月を迎えて 2011年1月
両親、姉、私たち(子供たちは抜き)で、横浜ニッコウホテルの上階にあるフランス料理店にて昼食会をした。
ジジは出る間際にマンションの鍵を見失う。ババは、出発早々、財布と孫のお年玉を忘れた。
さて、ビールと前菜をとっていたところ、ジジの様子がおかしくなってきて、トイレへ。その後しばらくして出てきたが非常に顔色が悪い。下腹部が変で気持ち悪く、出そうに出ないとの事。でも、もどしている気配があったが、そこは言及しなかった。
スープを勢い良く食した後、再度トイレへ。メインは摂れずに、帰宅する。
帰宅した後は、安定してなんともないようだ。
彼の様子から、オープンな環境で適応できなくなっているのでは?と感じた。
今後、親しい身内で会う場合でも、場所を配慮する必要がありそうだ。


2010年の出来事
精密検査 2010年12月
SPECT、MRIの結果が出た。
ジジは脳の萎縮、血流結果からアルツハイマーと断定された。いろいろ学説はあるが効果の可能性を期待してアリセプトを摂ることになった。
ババは脳の萎縮は見られるものの、長谷川式スケールによる問診とあわせて歳相応のもといわれた。こちらとしては納得がいかないところではある。
今後精神科による詳しい問診を行うことになった。
後日、主治医にそのことを話したところ、いつも一緒にいるわけではないので簡単には理解してもらえないよとのコメントがあり、ほっとした。

グループホーム準備 2010年11月
グループホームは認知症の方が入所できる場所である。話を聞きに言ったところ、
  •  すぐに入れるケースはなく順番待ちとなること。
  •  申し込みは、特別老後養護施設とまったく関係なく何箇所でも申し込める
  •  申し込んで、順番が回ってきてたとき、こちらの都合を加味して次の機会にまわすことができる
  •  申し込みには、認知症の診断書が必要

らしい。
もともと、ジジの進み具合とババの症状が一体何なのか明確にすることもしたいこともあり、精密検査をすることにした。一回目の受診で丸1日を費やした。SPECT、MRI、問診の流れで来月実施予定とする。私もなるべく休暇とってフォローできればと思っている。

デイケア その後2 2010年10月
2人でデイケアにいく日に限って、今日は疲れているからとか、ジジがいきたくないと理由を付けては行くのを拒むようになってきた。ジジが単独で行く日に限って、トラブルは出ない。
どうも、ババが行きたくないということらしい。当日、説得してセンタに行くと別段何ともないらしい。不思議だ!
何回か認知症を防ぐために行くことを何回か納得してもらっているにもかかわさず、それを忘れてババはジジに付き添うためにデイケア行くと思っている。
ケアの人に聞くと、通うことになれるのは3から6月かかるらしい。特に、ババみたいな生真面目な人は、時間がかかるようだ。
あまり環境をかえずに、しばらく静観。

家内はちょっとバテ気味で心配である。
認知症であるババに、いろいろ気遣って世話をしているのに、ババの行動や言動で家内を傷つけるようだ。
例えば、金の管理について真剣に説明をしてババに納得してもらう。ところが翌日、先日納得したはずのことを完璧に忘れてしまい金がないという。こういったことが立て続けに起き、気持ち的に家内は参っているようだ。認知症であることを頭でわかっているにもかかわらず、真剣に説得して納得してもらう作業をある程度割り切ることが必要なんだが・・・。ちょっと家内が心配である。
早く会社から帰宅して、彼女のストレスを吐き出せるよう話を聞くよう心がけたい。

デイケア その後 2010年9月
デイケアを当初 火曜日 父のみ、金曜日 父母のコンビネーションではじめた。が、認知症が進んでいるように見える母が家に一人でいるとかえってよくないと判断した。そこで、急ではあるが火曜、金曜に2人ともいってもらうことにして様子を見ることにした。
金銭感覚がだいぶ悪くなった母は、お小遣い制に切り替えても、食材を過剰に買う傾向があり財政難に。こういった背景もありワタミの弁当サービスを導入して不要な食材の購入を抑える作戦にした。
似たような介護者を抱えている友人がいる。うちのババより半年症状が進んでいるようだ。時間かまわずかけてきた電話もぱったり止まり、金の管理の不平もまったくなくなっている状態。考えることや、意欲が低下している症状だそうだ。つまり半年後にはこうなることを想定に入れる必要がありそうだ。
バラ

デイケア 2010年8月
ケアマネさんのアドバイスの元、体験を行ってケアセンタを決めることになった。
最初は、認知度が重くなっている方が多い所で、ドン引きだった。
次は、風呂やマッサージや体を動かすことを中心とした、比較的体を動かすことを中心にしたところだった。また、マッサージと食事のバリエーションが多い所だった。
両親の性格から言って、グループで何かゲームやエキササイズをやると言ったところが前面に出ないところだったので、父は火曜と金曜、母は金曜日のスケジュールでとりあえず行くことにした。

母は料理することや献立を考えることが難かしくなってきている。そこで何とか弁当サービスを導入したいと思っていたが、昔気質のまじめな母だったので、受け入れてもらえなかった。ある時、そういったことをすることが辛いと母が言い出したときに、料理サービスがあることを知らせ、自分がしないといけないという昔ながらの気質を乗り越え、一気に夕食をきり切り替えることに成功した。やはりものは言い様で、気持ちをいかに汲んでこちらの進めたい方向に持っていくテクニックが大切であると痛感した。


徘徊の兆し? 2010年6月
父は、毎週金曜日知り合いの会社に好意に甘えて行っている。
認知症が進んで道がわからなくなるまでと思っていたが、とうとう帰り道がわからなくなって数時間秋葉原を歩き回ったことが判明した。
予期していたとは言え、とうとうきたなと思う。
早速、会社に連絡して出社状況を確認、当日は通常に帰宅したようだ。かなり認知症のせいで会社には負担がかかっていたようだ。残念ながら、甘えすぎであったこと、また通って事故になるのも困るので、6月いっぱいでやめることになった。
ババと会社に挨拶に行った際、家内はババの言動に不安を感じたようだ。食事と喫茶の時間間隔、食べる量など。また、帰りの弁当購入時や、購入する物品の判断や量についても危険を感じたようだ。
ケアプランの見直し時期にあたるので、早速デイケアサービスの利用をする前提で調整を開始することにした。ケアマネージャは温泉、地魚料理付のケアセンタで気を引くことに成功し、プライドの高い両親をうまく誘承諾させた。すばらしい!さすがプロ。


心臓の薬と認知症 2010年6月
薬による副作用で認知症が進行する旨のサイトを見つけた。
そこで、血流阻害(細かな動脈硬化と梗塞)による認知症と心臓の薬との因果関係が気になったので主治医からその可能性を聞いてみた。
心臓の薬は冠動脈を広げ、心臓の活動を落とす効果がある。薬を服用する結果、当然脳への血流も落ちる。動脈硬化、梗塞を起こす可能性が血圧が高いほうが生じやすい。また、ストレスにともなう血圧上昇による梗塞の発生リスクもある。よって、心臓の薬が血流性の認知症を促進する可能性は低いとの見解をもらった。一方で高いほうが良いという説もあるらしい。
こういった主治医のコメントは私としては納得感がるので、認知症のためにあえて薬を減らす交渉は不要と考えている。

お金の管理 2010年5月
”通帳とカードがないの”と切羽詰った電話がババからかかってくる。
”先週、私と妻でババのところに行った際、あったよ”(私)
で、ババのところに行ってみると本当に見当たらない。
ところが、しばらくするとなぜか探したところで見つかることがしばしばある。
何回も通帳や書類を出してはしまうことをやっているらしく、しまいにはどこに入れたかわからなくなっているようだ。
本人は、”いろいろ整理しなくちゃと思って整理してるのよ。”と言う。で、ないないと探しては不安になっているようだ。
必ず同じところを行ったり来たりまるで、リスの様に探している。
一緒に探し物を手伝いながら、そのうち出てくるさ!と笑って気を落ち着かせるようにしている。
大半の通帳と判子、カード類は一度失くされてひどいことになったので、年金関連の通帳とカードだけ残してこちらに引き上げている。
このようにどこ行ったと、家中探し回るのも、不安によるストレスもババの健康には良くない気もするが、ある程度の自主性や人格を守るためにも、お小遣い制にするのは控えているが・・・
通帳やカードをもって行った、行かない、確認したという問答を繰り返し、結局はババを苦しめる。それならいっそ管理を全て私がするよう切り替えたほうが良いかもしれないと最近考えている。


薬の管理 2010年4月
毎週休みになると両親の薬を小分けする作業をしている。
両親はくすりの管理ができなくなり、ある時、父の自室からほとんど手付かずの薬が1年分ほど出てきた。そこで、私が100円ショップで手に入れた薬入れ(1週間用)で2人の飲み方を確認している。2人とも夜の薬を飲み忘れがちで、注意してもなかなか改善しそうもなさそうだ。
一番大事な心臓の薬は朝服用するのでよしとしている。こちらが強く怒っても返って精神的に悪影響を及ぼすことも考えての判断だ。残り少ない人生を楽しく過ごしてもらうためにも、何事もバランスが必要と思う。
バラ

ケアープラン 2010年3月
毎週水曜日午後2時間で、部屋の掃除(風呂含む)、ベッドメイク、追って食事の準備作業等、余った時間はヘルパーさんとの会話とういう構成でスタート。
2W もすると両親も落ち着いてきた。
上記のようなヘルパー業務は1時間単位で構成してるらしい。また、両親2人だったのですべての部屋を対象としてもらうことができたが、片親だけでは片親のテリトリーしかケアしてもらえない。結構堅苦しい制度である。
花


ケアーの準備 2010年2月
ケアマネージャにケアプランを立ててもらう。ケアマネージャは依頼する側が選ぶらしい。まず、近くのケアセンタに複数紹介してもらった。その際、どこがよさそうかちょっと聞いいてみた。本当は教えないらしいが、XX、YYがよさそうと聞き出し、早速XXに電話して面談日時を決める。
面談にて両親の状況を確認しケアの方針を立て契約を取り交わす。
数日後、市役所から介護保険のケアマネージャ名入りの証書が送られてきた。(認定の際送られてきた先の証書は破棄だそうだ。まったく役所仕事)
6っ月後には介護申請(役所)に再度する必要であることをここで知った。
ケアを実際に行う会社と再度面談し、ケアの方針に従って実際の作業内容を決定する。決まったら、また契約書を交わす。
ケアの準備で感じたこと。認知症の人に契約書を取り交わすことに違和感を感じた。契約したことすら忘れたり、何を契約しているかも理解できないこともあるのだから。
花


介護認定 2010年1月
知り合いの医療関係者に認知症についてアドバイスを受け、まず介護認定をまず受けることがよいとのことで早速活動を開始。
介護認定は区役所だそーだ。取り合えず申請
区役所の担当がヒヤリング(両親の生活具合を確認するためのもの)を実施。
  母は見栄っ張りのため、忘れぽくなっているにもかかわらず、何でも自立できているような言動をした。そこで、担当者には別のときに電話にて両親の状況・言動についてメモ(怪しい時からメモしていたので、それを抜粋)の内容から正確な状況を伝えることにした。
  また、かかりつけの医師に状況を説明して診断書を書いてもらった。
結果、介護認定(要介護1)を無事受ける(証書が送られてきた)ことができた。(毎週両親の部屋に入って部屋の匂いについて気になっていたが、やはりこの点も判定に影響したかもしれない。)
後にわかったのだが、医師からのコメントで認知症となるとよほどでないかぎり要介護1になるそーだ。
申請からひと月でここまでこぎつけた。
要支援と要介護では介護サービスの費用と内容がぜんぜん違うので、ケアプランを立てる道筋ができてほっとした。
バラ