文鳥問題.

《獣医の誤解》

ここをクリック 聞きかじり、読みかじりの知識をひけらかしたり、素人考えをふりまわすのは馬鹿だと思っており、理屈より何より自分の文鳥が幸せだと飼い主の自分が思いこめればそれで良いと考えています。しかし、たまにインターネットで文鳥関連の情報を集めてみると、獣医さんに吹きこまれたらしい知識のいい加減さには驚かされます。他人事で余計なお世話ですが心配にもなってもくるのです。
 そこで、あえて2、3の獣医さんによる飼育素人的見解を、これまた素人ながら文鳥飼育に関しては多少知見がある立場から、批判してみたいと思います。ただ、それぞれのHPには迷惑がかかってはいけないので(
というより、すでにどこで見かけた話か忘れてしまったり、また確認のメールを送ると嫌がらせのようになってしまうのでやめました)とりあえず、ここでは文鳥に関する噂話として扱い批判します。拙速ながらいちおうの理論武装はしているつもりですが、矛盾するところもあるかもしれません。擁護論なり、反論なり、経験談なり、どうぞご遠慮なくお願い致します。言い負かしてもらえれば幸甚です。
 なお、『獣医』というだけで、矛盾だらけの思いこみを他人にさかしらに「指導」して良いものか、内容そのものから具体的に検討し批判するのが目的ですが、現在それに従って文鳥を飼育している個人を非難する気は全くありません。それで病院通いの必要がないくらい健康なら結構この上ないことです
(それぞれの家庭環境や文鳥個体の食べ方の相違でうまくいっている可能性もあります)。理屈では完全におかしくとも、実際うまくいっていれば何の問題もないと私は思います。また、「とにかく獣医さんを信じこんで、文鳥が薬づけになろうがどうなろうが、病院通いをしなければ飼い主の気がすまないのだ!」というお考えでも、それはそれで個人の自由です。関知するところではありません。ただおかしいものはおかしいから、おかしくなったら、やっぱりその飼い方がおかしいのかもしれないと、文鳥のことを思うなら、ほんの少しは疑ってみた方が良いとは思っています。


 

続編

とにかく何でも混ぜなさい 【付】ヨード問題  一ヶ月したら調教せよ

カナリアシードは5粒だけ   文鳥診療についての個人的意見

     看護の時は明るくしなさい      生後3ヶ月まで閉じ込めておけ

     餌づけはソノウが空になってから     標準体重は20〜25g

     アワ玉を与えてはいけません


「何でもかんでも混ぜなさい」お勧めエサの異常性★

 

 文鳥系のホームページだったと思います。獣医さんのお薦めらしいエサの与え方が紹介されていました。その内容はこのようなものでした。

 殻つき配合餌にペレットを粉状にまぶしたものを主食とする。病院で処方されたタンパク質とカルシウムの粉薬もまぶす。
 飲み水にはビタミン剤と
ヨード剤を入れる
 
青菜は毎日与え、白ボレー粉は洗浄して与え、カトルボーンも欠かさない。塩土は週に1回を与える。

 これを見て、一体普通の人はどう思うのでしょうか。私はこれで文鳥が元気にしていて飼い主の気も済むのなら、それはそれで良いと思うのですが、頻繁に調子がおかしくなるようなら、即刻このような食事を止めるべきだと強く主張します。それほどこの食事には問題があるのです。
 この食餌で万一太るようなら、タンパク質粉末による摂取過剰、またはペレット粉末添加による脂肪の過剰
(『ペレット論』で検討した本来文鳥向きにはなっていないペレットを使用していると明記されていたが、このペレットの脂肪分は7.0%で、市販の配合飼料に含まれる最も脂肪分の多いらしい穀物カナリアシードの6.2%未満よりも高い)、甲状腺がおかしくなったらヨード剤(人間用のうがい薬の名前があげられていた)によるヨウ素過剰、さらに、ビタミンAやDの過剰摂取による内臓疾患なども十分に考えられます(ビタミン剤は人間用のポポン何とかいう商品名があげられていた)。つまり、太るのも心疾患や内臓疾患も甲状腺障害も異常脱羽も骨格不全が起きたとしても、
すべて栄養分の過剰摂取でも説明出来てしまえるのです。

 なぜ、上記の食餌が危険な過剰摂取につながるかといえば、理屈は簡単です。これを実践する飼い主さんは、初心者でその特定の獣医さんの思い込みしか知らないかもしれませんが、普通の飼育では、水と配合飼料、青菜、ボレー粉、そして動物性の栄養素としてせいぜいアワ玉くらいで、すべての栄養はまかなっています。従って、何とか粉末とか薬剤といった部分は、健康な文鳥にとっては明らかに余計なのです。
 しかも、ご丁寧に粉にしてエサに混ぜたり、液体を飲水に溶かしてしまうのですから、強制的にしかも日常的に文鳥に摂取させていることになってしまい、余計な部分は
みな過剰摂取につながる危険がきわめて大きくなるのです。
 せいぜい補助的なものは、その効用と危険性を十分に認識した上で、一つ、二つ、実際の必要と飼い主の思想で添加する程度で良いはずなのですが、この場合、それをすべて与え尽くしているのですから、はっきり言ってあきれてしまいます。

※ 人間の食事で例えておきましょう。ご飯は玄米にしてその上に『カロリーメイト』をばらして降りかけ、ゼリー状のプロテインや各種サプリメントなども混ぜこぜる、おかずは焼き魚とほうれん草のおひたし、と純和風できめておきながら、お茶一杯なく、うがい薬とビタミン剤が混ざった液体だけが置かれている・・・・・。健康的なのでしょうから、これを文鳥に強いている獣医も飼い主も、まずご自分で毎日実行して頂きたいです。

 獣医さんに処方していただくにせよ、市販のものを買うにせよ、ヨードもビタミン剤も、カルシウム剤もタンパク質粉末も、すべて基本的に薬のはずです。ベタベタの薬づけでいるのが健康的な話かどうか、まずその一点を冷静に考えるべきだと思います。もし一時期、病気でそうしたものが必要となったとしても、それを恒常的に服用して良いものか、常識的によくよく自分の頭で考えるべきです。
 ヨード、つまりヨウ素という元素など、動物にとってその必要量は極めて微量であり、それだけに、本来日常添加するのは非常に難しい薬剤なのです
(詳しくは後述)。また、そうした理屈以上に、必要もないもののために苦い水を飲まされる
文鳥が気の毒だと、なぜ思わないのでしょうか。
 また、ビタミン剤を使いたければ青菜を毎日与える必要が一体どこあるのでしょう
(ただし青菜のビタミンAはβカロチンなので過剰摂取しても大丈夫)。第一、毎日青菜を食べる健康な文鳥に、何で過剰摂取の恐れを、
わざわざ飼い主が招く必要があるのか不思議としか言いようがありません。
 ビタミンD
3も必要ですが、それは本来日光浴によって体内で自然に形成されるものです。一体、そうした物を添加しなければならない程、これほどに手間隙かけている飼い主が、一日中真っ暗な地下室に文鳥を置いているというのでしょうか。何でもかんでも添加してしまう前にその必要性を冷静に考えることが必要となるはずです。ビタミンDの過剰は内臓器官にカルシウム沈着を起こすのは、犬猫の人工フードでも問題になっている話です。それを承知であえて危険を犯す程の必然性とはいったい何でしょう?
 また、ボレー粉でもカトルボーン
(イカの甲)でも食べるのなら、どうしてカルシウム剤の必要があるのでしょう?カルシウムの過剰摂取はかえって骨格形成を阻むとされているのは、医学的な勉強をした人が知らないはずはないにもかかわらず、どうしてそのようなものを容易に薦められることが出来るのでしょう?

 文鳥は普通に食事していても、自分の知らぬところで栄養を取らされてしまって、体調を崩し動物病院通い、さらにそれ以上の薬剤を処方される・・・、このようなサイクルを、「薬づけ」と表現する以外にありません。そのような危険を飼い主に説明せずに、いろいろ処方する獣医さんは無知か無責任かのどちらか(もしくは営業か)だと残念ながら断定せざるを得ません。

 この獣医さんの指導によるという食餌などは、きわめ付けの老鳥や、病気のためエサを十分に食べられない場合など、ごく限られたケースに必要となり得るかどうか、といった程度の栄養過剰食なのです。第一、ペレットなどは粉末にして粒餌に混ぜるために作られたものではありません。そのような与え方は、粒餌からペレットに切り替える時に、慣れるまでに一時的に行う方便に過ぎず、恒常的に行うのは誤使用以外の何物でもないのです。これを日常的に続けられたら、ペレットを製造したメーカーも驚いてしまうに相違ありません。

※ ペレットは総合食なので、それだけで飼育できるように作られています。従ってビタミンもカルシウムも塩分(商品に数値はない)も十分含み、おそらくヨウ素も含まれています(ペレットを作っている合衆国は人間の食塩にもヨウ素を添加する国なので、特別記載は見当たりませんが、原料の「solt」に含まれているのではないかと想像しています)。これを粉末にしてまぶしたいのなら、せめて、他のビタミン剤や何やらは止めなければ無茶苦茶というものです。

 このように、何でもかんでもゴテゴテ・ガチャガチャとやって、「医者いらず」に健康に過ごしているのなら、文鳥も一昔前に比べたら3倍程度の栄養価が必要なように、いつのまにやら進化したものと、無理して納得する余地もあります。しかし、このように飼育をされている文鳥ほど、病院通いをせっせとさせられているように感じてしまうのは私の錯覚でしょうか?
 少なくとも、普通に健康にしている文鳥に、上記のようなエサを日常的に与えるのは、理屈上明らかに無駄なのは誰にでもわかるはずです。そして、科学的には有害である可能性すら十分考えられる所業なのです。理屈に合わない妙な獣医さんの話など疑らなければ、大切な自分の文鳥が薬づけになるだけなのです。

 文鳥への愛情は薬の量とも病院通いの回数とも比例しません。その点をよくよく考えるべきだと思います。


関連事項
 ヨードと甲状腺障害

 素人が、医学的な話に首を突っ込むべきではないのは、重々承知しているのですが、何やら一部の獣医さんが文鳥を甲状腺が弱い動物ということにして、日常的にヨードを飲水に混ぜなければならないとしているようで(何の兆候すらなかった我が文鳥にすら「出しておきましょう」と簡単に処方しようとしました)、一方それを危険視したり、問題視する話を今のところ目にしていません。そこで、その安易な利用に少し警鐘を鳴らす意味で、あえて極めつけに聞きかじりの素人見解を提示したいと思います。

 『鳥の飼育と疾病』(学窓社1980年)という専門的な直訳本によれば、セキセイインコにヨード不足によると思われる甲状腺肥大が、ヨーロッパで1950年代から指摘されていたようです。しかしそれは、粒エサと水のみの飼育においての話らしく、ドイツ人で鳥疾病学の大家の著者は、その点でヨードの摂取を強調しつつ、一方で、セキセイインコに一年半にわたって「飲料水0.5gに対しヨード水5滴」を与え続けたところ、「飼育した幼鳥で翼羽、尾羽のない鳥、いわゆる跳躍や走れない鳥が目立った。これらの鳥は発育不全で、若干のものは死亡した。組織学的には、正常活性または軽度障害の甲状腺が見られた」との実験結果を紹介し、「長期間ヨードを与えると」「マイナスの作用がある」と過剰摂取の危険性も明確に指摘しています。組織学的に、つまり甲状腺が肥大したりしていなくとも、ヨードの過剰摂取は、死につながりかねない悪影響を招くわけです。

 ヨードなど一切与えない我が家で、甲状腺肥大を起こしたものなど一羽もいませんし、そのようなことを指摘する飼育書もいまだかつて見たことがないので、日本の文鳥で増えたとしたら最近のことではないかと思います(新しい飼育本【『文鳥の本』】には文鳥に多い癌として腺癌をあげていますが、原因を不明とされています)。すると、これは恐ろしい推測ですが、獣医さんの過剰医療こそが原因となっている可能性も指摘できるのではないでしょうか。暑かったりして一時的に口を開いているものを、「甲状腺障害!」と診断して安易にヨードを日常的に強制摂取させた結果、かえって障害にしてしまっている場合があるのではないかと思えてくるのです。
 というのも、口が開いている=甲状腺障害
(この場合は甲状腺肥大でしょう)などと言う短絡的な表現を耳にしたことがあり(まさか、そんな簡単な診察はしていないと私は信じたいのですが…)、実際にかなり安易にヨードを処方している獣医さんは多く、まるでそこに危険の認識がないように映るのです。しかし上記の『鳥の飼育と疾病』によれば、本来の甲状腺肥大の症状というのこうです。
 「甲状腺が肥大したセキセイインコでは、鬱血症状、呼吸困難とそのうから胃へ食物を送る事が困難なことを示す。最もいちじるしいのは呼吸困難である。鳥は上くちばしを使って横の格子の棒に好んでぶら下がり、これによって頭とクビを広く伸ばし、口腔を開き、胸口の気管を圧迫することによって困難な呼吸を楽にしようとする。呼吸は時にか細い鳴声と一緒になる。腹壁が呼吸を助ける。たいてい呼吸数は高まり息づかいは早くなる。通過障害のため、摂取したエサがそのう内に停滞し、膨張し、拡張と嘔吐を起こす。鳥は非常に興奮しやすくなる。運動障害、調馬状運動、回転運動と痙攣が起こる事がある。・・・」
 「口を開いている」などと言う単純なものではなく、明らかな諸症状が現れて甲状腺肥大の疑いが濃厚になるということでしょう。私の文鳥も電気ポットの上にしばらくいれば、口を開けてハアハア「腹壁が呼吸を助け」たり、「か細い鳴声と一緒に」なっていたりしますが、本当の症状は、とてもそのような人間の湯治客が、温泉で示す姿のような悠長なものではなく、呼吸のため必死に口を開き、嘔吐し、飛び回るといった
悶絶、鬼気迫るものなのです(甲状腺障害か否かは少なくとも「兆候」段階では解剖でもしない限り神様でもわからないはずですが、日本の獣医さんには神をもしのぐ人がいるようです。もちろん嫌味です)

 ヨード、つまりヨウ素と言うものは、海産物に多く含まれるものです。従って普通に文鳥を飼育する場合、おもに海産物の蠣殻であるボレー粉から供給されるのものと考えられます(『ヨウ素とその工業』という本によれば、100g中魚介類のカキ0.08〜0.6mg、穀物の小麦0.005mg程度、野菜のほうれん草で0.09mg、玄武岩などの鉱物が0.05mg程度ヨウ素を含むそうです)、しかし必要量はごく微量で、例えば上記の『鳥の飼育と疾病』では飲水の性質、つまりミネラル分を多く含む硬水かほとんど含まない軟水かによって、欠乏症状の有無が分かれるとしている程度の極めつけの微妙さなのです。
 日本の水道水は、地域で若干の差異があるとしても、ほとんどミネラルを含まない軟水と思われるので
(川の流れが滝のよう早いため土壌成分を十分含む前に海に達してしまう)、それだけを考えると、硬水地帯の多いヨーロッパ以上に、ヨウ素欠乏がまん延していても不思議ではない風土だと思います。ところが実際には甲状腺肥大で呼吸困難になって悶絶した文鳥など、江戸時代から数百年連綿と飼育されながら、まずいなかったのではないでしょうか。
 つまり、一部の獣医さんの見解と全く反対ですが、文鳥はセキセイインコ以上に
ヨウ素を必要としない生物である可能性があり、ボレー粉程度で十二分に必要量が満たされていたと考える事ができるように思います(文鳥はスズメ目、セキセイインコはオウム目、大きさが同じくらいで食べ物が似ているだけで、本来全く違った生き物です。安易にインコ類の実験データを文鳥に当てはめるのは不適切と言わねばなりません)

 このように考えていくと、文鳥にボレー粉を与えた上で、インコ類同様のヨードを添加してしまったら、過剰摂取の危険は極めて大きくなると見なしても、それ程的外れとは言えないことになりそうです。少なくとも、セキセイインコにすら過剰摂取の弊害が明らかである以上、実験データすらない(らしい)文鳥に容易な気持ちで処方すべきではないことだけは明らかでしょう。

 第一、ヨーロッパのセキセイインコに起こったヨウ素欠乏に基づく甲状腺障害にしても、粒餌しか与えず、しかも軟水であったという前提条件のもとでのみ生じる事態であり、常識的にボレー粉(インコではむしろカトルボーンでしょうか)や青菜を与えていれば、なかなか起こらない話のはずだったのです。前提付きの実験結果を、安易に実際の飼育に適合して騒ぐのは短絡に過ぎます。まして、地域も品種も異なる話を直輸入して文鳥に当てはめて良いものではありません。
 万一ため人工的に強制摂取させるなどといった考え方があるとしたら、一体文鳥を何だと思っているのか訊きたくなります。もし、甲状腺肥大のその激しい現象が起きたら、薬剤としてヨードを与え、症状が収まれば、徐々に減らしながら、粒餌のみでなく、ボレーや青菜を与えるように指導するのが常識的な対応だと私は確信しています。欠乏すると嫌だから予防するなどと言う大雑把な考え方には、腹を立てずにはいられません。

※ 似たような話は犬にもあります。玉ねぎを食べると赤血球が破壊され呼吸不全になる(その名も『玉ねぎ中毒』)と獣医さんの一部は宣伝して回り、「犬には玉ねぎは絶対いけない」と脅し、飼育書にも取り上げられ、一般の飼い主たちは神経質になったものでした。しかし、実際は、大学の研究室内の実験で、犬に毎日大量に玉ねぎを与えつづけた結果、中毒症状を起こしたという報告があるだけだったそうです。つまり、家庭での飼育で大量に玉ねぎを与えることはまずありえないので、血相かえて指摘するほどのものではなかったというのが真相だったのです(『本物の獣医・ニセ物の獣医』1998年など)。せいぜい、牛丼の残り汁は与えない方が良い、といった程度の内容だったと言えるでしょう。研究実験の結果だけが無批判に一人歩きすると、妙な知識が広まる好例だと思います。

 


「手乗りにするのは孵化一ヶ月後」その理由の根本的間違い★

 

 これも文鳥系のホームページで見かけた話だったと思います。文鳥の餌付けについて獣医さんの言葉として載せられていました。それはこんな内容です。

 手乗り文鳥にするには、人間になれやすいように孵化2、3週間で親からヒナを引き取ると良いとされているが、それは間違い。なぜならニワトリやアヒルは生まれた時に見たものを親と認識するが、文鳥は目が見えない無力な状態で生まれてくるために、すぐには親を認識しない。したがって、一人立ちをする孵化30日以降でも十分に人になれる可能性がある。つまり2、3週間で取り出すのは、かわいらしいヒナを餌付けしたいという人間の勝手な欲求に過ぎない。おかげで、ヒナは親文鳥からの自然な食事を断たれ、人間にいじくりまわされて不幸な事になってしまっている。

 この話を聞いたその文鳥患者の飼い主さんは、これを最新の研究による認識と思い、鳥類の研究は遅れていて誤解が世の中にまん延していると考えられ、そういった趣旨の事を強く主張されていたようでした。
 ところが残念ながら、誤解は世の中の方にではなく、その獣医さんの方にあるのです。第一、町の獣医さんが、動物行動学や鳥類研究についてまで、詳しいと思うこと自体、あまりに単細胞と言うものです。これは例えば、国文学者に英語を聞いてもわかるわけがないのと同じ事です。専門的であればあるほど、その知識は深くとも狭いのが世の常で、「学者馬鹿」という言葉すらあるくらいです。鳥の診察や治療をする専門家である獣医さんが、医療研究以外に手を出しているとしたら、専門をサボっているか、よほどの天才か、専門とは別の趣味として
(素人として)行動学に興味がおありなのか、のいずれかでしかないのです。
 また、そもそも鳥類の研究が他の動物より遅れているとは、私のようなど素人の目に触れるだけでも莫大なその研究の蓄積を知っていれば、とても思えません。まして、上の内容など
どこも新しいところはないのです。はっきり言ってしまえば、ど素人が適当に誤解して、思い込みで言っているとされても仕方がない程度に、くだらない内容でしかありません。同じ全くの素人でも、これに関しては私の方がいく分ましな知見を持っていそうなので、少し説明します。

 はじめて見るものを親(危害のない同種の存在という意味)と本能的な反射で認識することを「刷りこみ」【inprinting】と呼ぶのは、『生物』の授業で誰もが習った有名な話です。そして、文鳥のヒナが孵化直後、羽毛もなく目も開いておらず、とても他の存在を視覚で認識できる段階にないのも事実です(もっとも正確にはニワトリなどの場合も生まれたてで「刷りこみ」反応が起こるわけではなく、例えばカモの場合は孵化半日後くらいたった時に見たものの後を追うと実験結果が出ているそうです〔『比較・動物行動学』1981年〕)
 しかし、そこから一人立ち後に手乗りにすると良い、などという話になってしまうのは論理の飛躍というものです。文鳥の場合は、
2、3週間後に親を認識する段階に達するから(専門的には『感受期』というそうです)、その時期に親文鳥と引き離すだけの話で、これはニワトリなどと文鳥では発育段階に相違があることを示すだけの話なのです。文鳥の場合も『感受期』に餌付けによって人間を親と「刷りこみ」するわけですから、これはニワトリなどの「刷りこみ」と全く同じ科学的な理屈に基づくものといえます。
 つまり、この獣医さんは「刷りこみ」はいかなる動物でも産まれた直後に起きるものと、信じがたいほど単純に考えてしまい、種族による『感受期』の相違という初歩的な事象すら全く考慮出来ていないわけです。

 ところで、このように素人が専門外の説明をしてみても、文鳥の餌付けが「刷りこみ」なのか疑問に思う人もいることでしょう。そうした方は、より具体的な例で考えてみてください。
 例えば、一羽のヒナを手乗りにした際にえてして経験する
「自分の文鳥が他の文鳥をいじめて寄せ付けない」という話です。これも「刷りこみ」で説明できるのです。つまり、自分を親である人間と同一種であると「刷りこみ」された結果、自分を人間と錯覚しているために、他の文鳥を自分とは別の生き物と認識してしまっているというわけです。
 それでは逆に、刷りこみの時期を逸した文鳥はどうなるでしょう。自分を親や兄弟と同じ文鳥と認識しているため、
強烈に人間を敵視しておびえまわる「可能性」が非常に高くなると、簡単に科学的に予想されるものと思います。そして、まさにそうした経験は多くの人が共有しているところなのです。
 しかし科学云々、「刷りこみ」云々より以前に、これは常識的にも当たり前の話でしょう。見たこともない巨大な動物が「仲良くしようね」と、どんなに善意をこめて言ったところで、なかなか納得するわけがないではありませんか!文鳥はこの「なれなれしい化け物」を前に、死の恐怖に震え上がってしまうだけです。

※ 兄弟姉妹と一緒に餌付けされて手乗りになった文鳥は、今は文鳥の姿でも、大きくなったら人間の姿になるものと、密かに考えれいるに違いないです(人文系の私の説・・・)

 ただし、巣立ち後の文鳥が人に慣れたという話も、日本では何と明治時代から存在します!しかし、それは個々の性格差の激しい文鳥の中で、順応性の高いものが、飼い主=人間が危険な生物でなく自分にエサと水をくれるものと、徐々に学習して依存するようになった、一種の飼い慣らし行為であり、本能的な反射による「刷りこみ」とは、科学的には全く違ったものなのです。しかも一方で、絶対に慣れない頑固な文鳥も存在することを前提とした話でもあるわけです。
 どのように敵視するものから信頼を得ることが出来るのか、文鳥の個体差もあるので方法も一定しないでしょうから、結局、
巣立ち後の手乗り化は困難この上ない行為と言わざるを得ません。例えばこのHPの『文鳥伝説』で紹介した話のように、無理せず徐々に親しくなるには時間と根気が非常にかかる話で、しかも成功するかはわからないといった性質のものなのです。
 さて、絶対に文鳥の信頼をかちとろう、これから手乗りにして家族同然に親しもうと考えている飼育者を前にして、ここで問題とした獣医さんによる
「可能性」の話は見当違いではないでしょうか?繰り返します。30日後以降に慣れさせるのという飼い慣らしと、生後2、3週間で餌付けをはじめ、基本的に親と勘違いさせる「刷りこみ」とは全く別の行為なのです。そこを混同し30日後などと飼い主に勧め、一体、手乗りにならずにおびえ続けるようになったら、どうしてくれるのでしょうか。手乗りとする行為を、はじめから完全に否定するならともかく、いい加減なことを言って、混乱させるようでは困ります。

 また、この獣医さんはヒナに人工餌を与える不自然さを、ヒナの栄養面での健康を考えて指摘したいようですが、手乗りにするという前提に立ったとき、それが誤解とはいえ、無意識のうちに人間に親しめる「刷りこみ」の利用の方が、いかにその文鳥にとってストレスがかからず幸せか計り知れないといった、精神的な側面をまるで無視しています。なぜなら、30日どころか孵化3週間を過ぎたヒナは、人間に対して敵意を持って逃げ惑い、腹が減っても容易に口をあけず、無理やり餌を押し込んでやらなければならなくなるのは、これも飼育者の常識なのです。
 それは「刷りこみ」の時期を逸したため、文鳥が飼い主を自分と同種のものと認識出来なかった結果、人間を化け物と認識したことによる反応と、前述のように科学的に明確に説明がつきます。そして親ではないはずの化け物に、無理やり餌を押し込められるそのヒナが、一体どれくらいショックをうけるものか、考えてみればわかりそうなものです
(実際に猛烈な拒否反応を受けることを前提にしており、いたずらに文鳥を擬人化して想像で言っているわけではありません。念のため)
 つまり、化け物に慣れさせるよりも、孵化2、3週間の時期に「親」と思わてしまった方が、手乗りにする目的においては、よほど
適当で、自然で、理にかなっているのは明らかなのです。

 私はこの獣医さんは、鳥を手乗りにするのは間違いだ、とするのであれば筋が通っていると思います。親鳥が育てた方が、『自然』には違いないのです。ただ、それなら町で『不自然』なペット相手に獣医などせずに、野鳥保護でもすれば良いとも思います。
 「動物を自然な姿で飼うべきだ」などといった矛盾の塊のような単純な正義感類似の感情から、全くの善意として人為的な文鳥の餌付け行為を憎み、「刷りこみ」と「飼い慣らし」を混同した検討はずれな思い込みを形成するにいたったものと私は推測していますが、自分の頭の中だけにしてもらわないと、非常に迷惑な話となります。

 最後に、この獣医さんの正義感のためにも参考までに言うと、文鳥の餌付けによる手乗り化は、実はもっと人間の都合から生じた習慣の可能性があります。おそらく白文鳥が爆発的に売れた時期(明治大正期)に生産量を増やすために、つまり親文鳥を育雛から早く開放してより多くを産卵させるための方法として、人間が差し餌したのが起源らしい形跡があるのです(ただしこれは私の説)。とても「可愛いから」などと言った現代的、叙情的ものではなく、あくまでも経済性の追求が手乗り文鳥を生んだのかもしれないわけです。
 このような事を言うと、やはり、結局は人間の勝手だけではないかと思う人がいるでしょう。しかし、それは一面で親文鳥の負担を軽減するのも事実なのです。この獣医さんに飼育経験があるのかないのか知りませんが、まさに孵化2、3週間から始まる猛烈なヒナの食欲を前に、ヒナが4羽とか5羽もいれば、
親文鳥はボロボロ、ヨレヨレ、疲労困憊するのは、経験者の飼い主なら誰もが目の当たりにする姿です。そのヨレヨレの親たちも、愛する我が文鳥なのですから、飼い主はそちらの体調が心配でそわそわするのが常です。とても御気楽な他人事として、「親に任せておけ」などと言えたものではありません。

 何事も複雑なのです。一面的に考えすぎてはいけないという事です。

 


「以下の注意点を守って下さい」その思い込みの粗雑さ★

 

 これは、獣医さんのホームページでした。ごく簡単に飼育法が紹介されており、その中で次のような事が明記されていました。

 エサは自宅で殻付きエサを夏はヒエ:アワ:キビを7:2:1、冬は6:2:2の比率で配合するのが理想的。カナリアシードは高脂肪のため、一日5〜6粒をおやつに与える程度にしなければいけない。
 そして平均体重(文鳥20〜25g)内に保つように時々チェックし、平均以外では
早めに健康診断を受けるように。

 この夏と冬に配合率を微妙に変えていることについて、例によって説明は片言半句もなく、想像するしかありませんが、あげられた3種の雑穀の中では、ヒエは最も脂肪価が高いので、普通冬場は多めにするように昔からいわれているものです。したがって、なぜ逆に減らすのかわかりません。また、一割程度がヒエとキビの間で増減したところでさしたる違いはないような気もします。つまり、なぜこうした結論に達してしまっているのか自体、実に奇怪千万なのですが、何やら断定的に言い切ってしまうのです。
 あえて似たような主張を探すと、1978年初刊の飼育書
(『ブンチョウ』)に「普段の配合基準」とする中で、ヒエ:アワ:キビを7:2:1、「繁殖期」とする中で6:2:2という比率が出てくるのが配合比率としてこのHPと全く同じです。しかし、この飼育書の著者の場合は、キビが3種の中では最もタンパク質に富む事に着目した結果、冬ということではなく、
産卵を前提に比率を上げているのもので、夏、冬と大雑把に分けた話ではありません。また、同飼育書には冬季用は7:1:2、夏季用は3:5:1と別に考えられてもいます。つまり、ヒエを高脂肪として、冬に多く、夏に少なく配合するわけですから、そのような細かい変動が必要かどうかという議論を別にすれば、全体にその主張は筋が通っているのです。
 それに対して、別段繁殖時期ということもなく、夏冬での微妙な配合率の変化をわざわざ指摘する意図は、やはり全く理解できないとしか言いようがありません。
「何となくかえてみた方がそれっぽい」といった幼児性に基づくのではないかという疑念さえわいてきてしまいます。

 さらにカナリアシードについては、奇怪をとおり越して滑稽です。この獣医さんは、カナリアシードを毒物か一種の薬物だと思っているのではないでしょうか。「5、6粒」動物病院で処方していただけるのでしょうか?
 一体、市販の配合餌に一割以上のカナリアシードが配合されるようになって、何十年が経過したと思っているのでしょう。そしてそれによってどれだけ頻繁に問題が起こったと言うのでしょう。これを食べた多くの小鳥が高脂肪で身動きできないようになるのなら、そのような配合は、すでに消えてなくなっているはずではありませんか。ところが現在でも、普通はカナリアシードもきっちり配合されており、文鳥の大好物でもあるのは周知の事実です。そうした過去、現在、一般社会の事例をすべて否定しさっておいて、その理由は「高脂肪」のみなのですから、もはやあきれ果ててしまいます。
 一体この獣医さんは、どれだけカナリアシードを高脂肪のものだと思っているのでしょうか。この点、6.2とも4.9とも3.5%とも言われており、はっきりとはしませんが
(あの伝統と格式のある山階鳥類研究所の人が監修する『原色飼鳥大鑑1』は6%としているので、とりあえず目安として従っておこうと思っています)、いずれにせよ、アワ・ヒエ・キビにせよ3〜5%の脂肪率なのですから、科学的には
驚くほどの違いはないと言って良いはずです。その点、インコ類の配合飼料に含まれる数10%の脂肪を含む種実(麻の実、エゴマ、ヒマワリの種など)とは明らかに異なっており、また、イネ科の一年草の種子である点はアワ・ヒエ・キビと全く同じ存在なのです。グリコのキャラメルではあるまいし、一粒でどうこうなるものではないのは明らかでしょう。このような、わけのわからない思い込みの「指導」から、好物が食べられなくなってしまう文鳥がかわいそうです。

 さらに恐ろしい事に、このHPの注意書きは、文鳥のみならずジュウシマツやカナリア、セキセイからオカメまでに適用させているのです。私は門外漢で全く知らないのですが、オカメあたりで、ヒエ・アワ・キビだけの食事では、栄養不足になるのは必至ではないでしょうか(オカメは文鳥の約4倍はある生物)
 まさに1960年代以前の飼い方、いやカナリアに、カナリアシードを与えないと言うことになると、もはや
古今東西前代未聞の主張と言えるのではないでしょうか(小学館の百科事典によれば、カナリアシードはカナリーグラスまたはカナリークサヨシと呼ばれる地中海沿岸原産のイネ科の一年草の種子だそうですが、ようするにカナリアが食べるからこの名称があるわけです。それこそカナリアがヨーロッパで飼鳥化した15、16世紀から食べさせているという代物なわけです)

 また、この獣医さんが文鳥の平均体重を20〜25gとし、「肥満が病気の原因になることが多」いから「平均体重内に保つように」して、それ以外の体重では「健康診断を受けて下さい」と断定するのは、気分を一層重たくします。なぜなら、この平均体重は軽すぎるのです。おそらく文鳥で20g以下の成鳥は、現実的にほとんど存在しないと思います。まず一般的に言われる平均体重は25gで、上下3gくらいを範囲とすれば、21〜28gと幅広く考えるのが適当でしょう(ちなみに我が家の15羽は22〜30g)。つまり、この獣医さんの設定では上限だけが低すぎるのです。
 これでは、この動物病院の影響をうけた飼い主は、
少し体格の良い文鳥はすべて太り過ぎと見なし、今では粗食の類に属する、いわゆるカナリアシード抜きに餌の変更を迫るなどして、無理やり25g以下にしようとするされる事態が想像されるのです。
 普通の餌で普通の体格を維持していたものを、大昔の標準に適合するように無理やり粗食にされるとしたら、文鳥がかわいそう過ぎます。まるで人間が江戸時代の庶民と同じ食事をとらねばならないと言っているようなものではないでしょうか?

 このようなHPの記載を見て、体重を計ったら27gだったりしたら、ビックリ仰天、病院にかけこむ人が出てきてしまうのではないかと想像しますが、とんでもない話です。健康にしていれば、本来体重など何でも良いはずなのです。せいぜい目安に計っておけば良いくらいでしょう。
 そして、もし動きが鈍いなどと感じたら、体重を量り、以前の体重より重くなっていたら、・・・病院など行く前に、まず飼い主自身の頭で原因を考えるのが、飼い主という当事者の責任と言うものではないでしょうか?偏食ではなかったか、運動不足ではなかったか、などなど、何の原因も自分では考えず獣医さんまかせでは、自分の文鳥に対して無責任な態度とみなされても仕方がありません。

 第一、先ほども触れたように、太っている=カナリアシード抜きなどというのは、あまりにも妙な話ではありませんか?繰り返しますが、それだけが原因なら、世の中の文鳥はみんな太り過ぎで身動きが取れなくなっているはずなのです。つまり、太ってもカナリアシードが主原因であることは、極めて稀だと考えるのが常識的な判断でしょう。
 まず、青菜をたくさん食べさせるように努力する
(偏食なら食べる野菜を探す、数時間野菜しか与えずに様子を見るといった簡単な工夫をしてみるという事です)、カゴの外で遊ぶ時間を少し増やしたり、カゴそのものを大きくしてみる、そうした努力を飼い主は先にすべきですし、もし相談されたのなら、獣医さんは妙な「指導」より、そうした常識的で容易な対応をアドバイスすべきではないでしょうか。
 脂肪太りの場合は、お腹に白く脂肪が浮き出て見えるらしいですが
(我が家の文鳥はカナリアシードを盛大に食べてますが、いまだにその例はゼロです)、すでにそうした症状が現れているのなら、若干とはいえ相対的に脂肪価が高いと思われるカナリアシードを抜くことにも必然性があります。しかし、それは
一時的な話で日常的にする必要はないはずです。青菜も食べ、運動もしているにも関わらず、脂肪太りになってしまう特殊な場合のみ(あったとしたら体質や内臓疾患)、そのような食事制限も日常的に必要とならざるを得ませんが、そうでもなければ、せっかくの好物を取り上げる理由などまったくないのです。

 ようするに、万一太ったとしても、それに対する処置は常識的に飼い主が工夫すれば済む事ばかりで、獣医さんの出る幕は本来少ないはずなのです。
 一体、どうして上限を低く設定して慌てさせる必要があるのでしょう?病院に呼びこもうとする意図でもあるのかと勘繰りたくなってしまうではありませんか。

 むしろ体重による体調管理を問題にするのなら、増加よりその減少に気を付けるように注意するべきでしょう。なぜなら、文鳥は体調を崩すと保温のため羽毛を膨らませるので、おそらく初心者は外見ではなかなか体重の減少に気がつかないと思うのです。うっかりまん丸の外見にごま化されている内に、羽毛の下はやせ細ってしまっているという事態もありえます。こうした場合、もし体重を量っていれば、外見に惑わされず、病気の可能性に早く気づく事が出来るはずです。
 しかし、それはあくまでも
健康な時の体重との比較で明確となる話なのは言うまでもないでしょう。当然、平均体重などで一括りに考えられるものではありません。平均体重ばかりを気にして、例えば、健康時25gだった文鳥が20gになっていても、「平均体重内だから大丈夫」などと、誤解してしまったらどうでしょう?25gだったものが、羽毛を膨らませるようにして20gなら、本当は大変な話なのです。例えば、50kgの人間が同じ生活をしているように見えて40kgに体重が減ってしまって、健康だと思う人がいるでしょうか(同じ比率です)。それは、もはや「健康診断」どころでは済まず、即刻入院かもしれません。
 つまり「普段の体重を計り、調子が悪そうなので体重を計ったら、何gも減っているようなら、すぐ病院に来てください」としてこそ、家庭での体重測定利用法の説明として正しく、理屈にあった指導と言うものなのです。平均体重で惑わせるのは、危険なのでやめて頂きたいものです。

 以上、いついかなる時にし入れたのかわからないような無根拠の思いこみで、今となっては一般的には非常識な飼料情報や、紋切り型の平均体重など掲げ、致命的な誤認識を与える可能性のあることを、無反省に恥ずかしげもなく平気でHPで「指導」してしまう獣医さんの無神経さには、あきれてしまうだけです。


獣医さんとの付き合い方は慎重に★

 

 以上ずいぶんと辛らつだったでしょうか。これでも気を付けたつもりですが、表現がキツイかもしれません。その点はご勘弁下さい。何しろかなり腹が立っているのです。
 ゴテゴテの食事を最新の飼育方法と思いこんでるらしい獣医さん、反対に昔ながらの粗食を絶対的な価値と疑わないらしい獣医さん、専門外の動物行動学で見当違いな話で自己陶酔しているらしい獣医さん、その主張は
科学的や論理的のみならず常識的にすべて間違っており、それは、矛盾だらけで、仄聞するこちらのほうが居たたまれない気持ちになるくらいの代物なのです。
 すべて明らかな素人
(医学知識以外)の認識不足からくる一個人の思い込みの産物を、獣医を職業としているという看板だけを頼りに安易に信じこみ、栄養過剰、栄養不足、手乗り化の失敗などを引き起こしてしまっては、何か問題が起こってから「おかしいな」では済まないのではないでしょうか?

 もちろん、大学、大学院で非常に多くのことを学ばなくては獣医さんにはなれません。それは膨大な学習量ですから、普通の人より科学知識を豊富に持っているはずですし、一般的に尊敬に値する存在であることは間違いありません。しかし、その知識はあくまでも動物治療に派生した知識でしかないのです。したがって、十分な自己検証もせずに、自らの主張を絶対視する事など厳に慎まねばならないはずです。まして、無闇に一般的な飼育方法を軽視出来る程の知識も経験も持ち合わせてはいないのが、残念ですが真相に近いと言わざるを得ないと思います小鳥治療の泰斗である故高橋達志郎先生は、10年間飼鳥生活をした上で「小鳥の病院」を開業されていますが、それくらいでなければ飼育面はわからないでしょう)
 そしてそのことに、一部の獣医さんはあまりにも無自覚に見えて仕方がありません。なぜなら、普通の配合エサで何十年も問題ないという事実を直視すれば、安易にゴテゴテ薬剤を混ぜさせたりするような『指導』を恥ずかしくて出来ないでしょうし、カナリアシードを危険視するようなことを、他人にしゃあしゃあと言えたものではないでしょう。まして手乗り化の時期の話など、問題にもならないたわ言でしかないのです。こうした主張は、飼育の実際面についての無知、無理解、無経験に起因しているものと思わずにはいられません。
 獣医という職業にあぐらをかいて、断片的な素人知識から、全く自分のみが正しいと思いこんでしまっているのではないかと疑わしい気持ちになります。そして始末に悪いことに、その一部の思いこみ獣医さんの主張がそれぞれで全くまちまち、正反対ですらあるです。

 本来飼育法などというものは、患者飼い主と一緒になって、その人それぞれの事情も考えつつ、少しずつ手繰りで考えていくべきもののはずです。一緒に考えるべきもので一方的な『指導』など出来はしないのです。
 全知全能のような顔をして、血迷ったことを無知な飼い主に押し付けるのは、とんでもない間違いではないでしょうか。また、一方の飼い主も自分の頭で常識的な判断もせずに、たまたま遭遇した獣医さんの言葉を信じこむようでは、盲信としか表現のしようがありません。個々の飼い主は、獣医さんの話も参考として拝聴しながら、その是非は自分で考え、無知を克服していかなければどうしようもないのです。

 飼い主を叱りたがる獣医さんのうわさもありますが、医者と患者(というより飼い主)の関係は、教師と生徒の関係とは違います。それは、病気を治すために一緒に努力しなければいけない関係のはずで、一方的に叱り付けるなど、本来出来るわけがありません。患者を叱るなどと言う不遜な行為は(確かに叱りたくなる困った飼い主は多いとしても)、熱意の表れではなく、自分を全能のように錯覚した誤解の表れかもしれません。はっきり言えば、一部の患者にちやほやされて、増長しているのだと思います。自分もいろいろ学んでいく立場だという謙虚な気持ちがあれば、頭ごなしに出来るものではないはずなのです。
 面倒な話には違いありませんが、いろいろな飼い主の話を聞いて、一緒に考え、必要ならを注意を促すといった、インフォームドコンセントの考え方こそが、望まれる関係の前提ではないでしょうか?他人の言葉に聞く耳も持たず、何ら反省もなく、独りよがりの正義を相手の都合も考えずに振り回すだけでは、医療技術も人間性の豊かさも、いつまでたっても深化などしないと私は思います。例えその飼い主が非常識な飼育方法をしていたとしても、曲がりなりにも病気の小鳥を連れ、不安な気持ちでいっぱいの飼い主を、平気で叱れる神経など、これは医者云々どころか、まともな人間の出来る事ではないです。
 私の知る獣医さんは、どう見ても手入れの行き届いていない下町の犬猫を、黙々と治療されていました。余計なことを言っている暇などないようです。文句を言う前に爪を切ってやり、小言を言う前に耳掃除…、私はそのような態度を眺めながら、余計なことは獣医さんなどに言われずとも飼い主が考えるべきものだと、諭されているような気がしたものです。獣医さんは治療を、飼い主は看護生活を、私は自分の文鳥が病気なら、獣医さんと一緒に黙々と努力したいと思います。病気の文鳥を抱えた時に、権柄症の獣医の小言などに付き合う暇などないです。(追記2004年6月)

 

 さて、この際動物病院に行くことについて、参考までに本音を申し上げます。病院に頻繁に通う人には、かなり気に障るでしょうが、一面で、こういった考え方もあり得るものとお考え下さい。

 まず、文鳥に人間並の定期検査など意味がないと思っています。それどころか個人的には、出来れば動物病院などに行っていじり回されるより、家で静かに見取るのを選択した方が自然だと思っています。獣医さんには、外傷や卵づまりなどの病気の様子が確認された時のみ、診療していただきたいと思っているのです(このような飼い主ばかりでは、小鳥の動物病院は経営が成り立たない気もしますが…)
 一般的には、間違っても、
それがステータスのように、文鳥を愛する気持ちの指標のように、獣医さんに通うべきではないとも考えています。病院に頻繁に通うなどというのを、ごく一般の文鳥を飼わない他人が見れば、「何でそんなに不健康なのか?」「一体どんな飼育しているのか?」などと怪しまれる可能性すらある話だと思うのです。

 もしかしたら、「早期発見のために定期検診を」などと、一部の獣医さんは言うかもしれませんが、人間の癌検診ではあるまいし、健康な文鳥に定期検診をしたところで一体何の意味があるのでしょうか?一々、運搬されいじりまわされ、喉の奥を無理に引っ掛かれるそのう検査など、される身にもなってやったらどうかと思います。そもそも病院通いと言う行為自体が、一体どれほど小さな生物の負担となってしまうか考えても良いのではないでしょうか?
 第一、一般の家庭の中で健康にしている成鳥が、何に罹患すると言うのでしょう?原虫などヒナ段階で市販のものでもなければ心配しすぎる方がおかしいです。なぜなら、家庭の文鳥は外部との接触は基本的にないのですから、ほとんど感染経路がないではありませんか。まして、万一罹患したものに接触したところで、
健康な状態では抵抗力があるので簡単に感染などしないはずです。従って、せいぜい一度検査して、何らの異常も発見できなければ、そのう検査や検便(たかが光学顕微鏡をのぞくだけですが)などたびたび行う必然性など皆無としか思えません。
 最近は、顕微鏡をのぞいて、何とか菌を見つけて喜んでいる獣医さんが多いような気配ですが、無菌の方がよほど異常だとも言えるのです。以前に病気になったとか、体調不良が見て取れるとか、そういったこともなしに、手柄顔に何とか菌が出たなどと飼い主に言っている神経は、私には理解不能です。顕微鏡が好きなら、臨床など辞めて研究室にこもるべきではないでしょうか。

 第一、文鳥の体調変化は急激です。数ヶ月に1回程度、獣医さんが診察したところで無意味に近いことになぜ気づかないのでしょう。とりあえず早期発見で意味がありそうなのは、お腹の羽毛を分けて視認する肝臓検査くらいなものでしょうが、文鳥の内臓疾患など、どれほど一般性を持つものか(近親交配などでは遺伝的要因があった場合頻発するような気がします)怪しいものです。それでも心配なら、ただ羽毛を分けてお腹を見るだけのことですから、飼い主が自分で実行すれば済む話のように思います。
 さらに、それで障害がわかったところで、現段階の医療水準で、どれほどのことが出来るのかという根本的な疑問すらあります。遺伝的なものなら根治は不可能、
慢性化したものを延命するのが関の山ではないでしょうか。そしてその延命というのは、一面で長く苦しませるだけと見なすことも出来る話なのです。

 確かに、獣医さんの存在は非常に貴重でありがたいものですが、本来飼い主がしっかり毎日観察していれば異常は誰よりも早くわかるはずです。と言うより、わからなければいけません。病院に行きたければ、その後で行けば良いことでしょう。人間の子供でも、小児科に連れていくのは、親が体調の変化に気づいてからのはずです。「もっと早く病院に連れて来たら・・・」などとお医者さんが言ったとすれば、定期検査などの話ではなく、親(飼い主)の注意不足に対する指摘以外ではないはずなのです。
 しかし。毎日の観察など、別に難しい話ではありません。基本的に外見だけ気にしていれば良いだけの話です。もし、いつまでも初心者気取りで体調変化に気づく自信がなければ、せいぜい体重変化を目安に利用する程度だと思います。この点では、糞の観察なども文鳥の健康管理には重要だと言われ、獣医さんが「指導」されるのか非常に気にする人がいますが、健康な時には毎日飼い主が血眼になって気にする必要などないと考えます。色がどうの、尿酸がどうの、水分がどうの、
気にしだしたらみな異常に見えるような話なのです。一体、人間である飼い主自身も毎日同じ大きさ、同じ形の「もの」を便器で確認はしないでしょうし、少し下痢気味だから胃腸科に駆け込む人は滅多にないではありませんか ?
 生き物は機械仕掛けではないのです。毎日違って当たり前なのです。様子がおかしい、糞も異常だ、早く病院に連れていこう、というのが常識的な行動プロセスというものです。

 獣医さんは動物治療の専門家ですから、もし治療が必要になったなら、勝手な素人判断をせずに、その診察を尊重し治療方針の説明をしていただくべきでしょう。そして、納得すれば指示に従い信頼して治療していただくのは当然で、処方された薬を勝手に服用したりしなかったりするのは論外だと思います。・・・しかし、このような事は、病気の人間がお医者さんと接する時と全く同じです。特別なことは何もありません。
 それは常識なのです。しかし、さて、そのお医者さんに普段の家庭料理のレシピを聞くでしょうか?子供のしつけを相談するでしょうか?
 この辺のことを、患者
(飼い主)がはっきりと認識していないと、あたかもかかりつけの
獣医さんを全知全能と錯覚し、また、結果的に獣医さん本人もそのように思い込ませてしまうことになるのではないかと心配します。爬虫類と戯れながらテレビに頻繁に出てくるヒゲの獣医さんの本に(あの先生が派手な腕時計をはめながら診察する姿は不衛生で異常に見えるのですが、何か意味があるのでしょうか?)、イグアナの飼い方を知らないくせに、適当に映画のグレムリン(架空生物)の飼育の仕方を患者に「指導」したらしい『知ったかぶり獣医』の話が出てきますが(『飼いたい新書』1995年かなり癖の強い本です、たまたま出会ってしまったそうした獣医さんを信じたら、取り返しがつかないのです。

 余計なこととは知りながら、どうしても考えてしまいます。ある程度長く文鳥を飼っていて、それぞれの飼育スタイルがある程度あれば、それなりに分別はつくはずですが、経験も自信もない人はどうすれば良いのだろうか、と。そして、たまたま付きあうことになった獣医さんから受けた『飼育法の指導』などという、実際は矛盾だらけの個人的な見解を、最新だ、絶対だ、などと簡単に思い込んでしまう・・・、そして無邪気に公開しているHPなどを読むと、非常に暗い気持ちになってしまいます。もう少し獣医さんに対しても、余裕を持った態度が出来ないものでしょうか?

 フランスの哲学者ミシェル・フーコーの言葉を引用して長い話を終わりましょう。

 「哲学は知識ではない。哲学はすべてを問題とする反省の方法なのだ。ただ、それには一つの条件がある。それは君たちの思考力だけを用いることだ。思考するとは、賛成と反対に耳を傾けることのできる公平な判断力であり、少しばかり高められた良識なのだ。」


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