同窓会だより24号

同窓会だより24号
クラス会だより
これからも「若葉」のように
第3期2組 木村 宏一郎
2010年6月27日4年ぶりに、自由が丘のすし処で、クラス会をもち交歓しました。いまだ家事や孫の世話に追われている、旅や音楽などを楽しんでいる、すでに愛する伴侶に先立たれたと、久しぶりにそれぞれ近況を語る女性は皆さん、髪も黒々肌もつやつやと若々しく、とても○期高齢者に入ったとは思えません。そればかりか、遠くは関西から近くは群馬から飛行機や新幹線でかけつけるパワーもあります。男性の方もすでに仕事や教職を退いたもの、まだ現役の「万年」社長とさまざまですが、さすが白髪やシワも目立ち、たとえ太極拳などして抵抗していても、年は隠せません。参加(敬称略)は飯村(松本)、和泉(山口)、小倉(林)、坂田(美智子)、関田(内田)、永戸(川村)、中村(山中)、堀口(大河原)、山崎(高峯)の女性9名と、男性は、鈴木(正昭)、本田、柳生、保岡、渡辺(弘)、木村の6名で、女性は在籍20名の半分近い出席率、男性は在籍31名の2割です。やはりこれから「若葉会」(クラス会名)は女性が担うのでしょうか。
今年は還暦同期会 やりましょう!
11 期 3 組 湯 淺 正 敏
2010年はワールドカップアフリカ大会の年であった。わが同期会(11期)は、ワールドカップの年に開催されるため、11月20日自由が丘の居酒屋「土風炉」にて総勢34名余りが集まり、4年ぶりに旧交を温めた。今回は卒業して以来、また久々に参加される人たちもいつになく目立ち、大盛況であった。また、ご高齢で決して体調が良好ではないにもかかわらず、2クラスご担当だった中村良子先生も参加され、しっかりしたご挨拶には、ただ、ただ感服する次第であった。
思えば、戦後復興から高度成長期の頃に小学校に通ったことは、日本の成長期という古き良き時代とともに歩んだ貴重な体験であり、いつまでも心にしまっておきたい宝物である。故加藤和彦の名曲のタイトルをもじれば、仲間とともに『あの素晴らしい時代をもう一度』である。
こうして私たちももうすぐ還暦を迎える年に近づくころとなった。そのため、今度のワールドカップ(ブラジル大会)の前に、今年は還暦をお祝いする会として早くも開催することが決まった。
私は、25年間民間会社に奉公した後、2003年4月から日本大学法学部で教鞭を執っている。ゼミ生も100名を超え、年に一度OBOG会が催される。還暦を迎えるシニア層と、一方では20代のヤング層と大きな年齢の揺れの中で、その両方に加われる機会を持てることに感謝したい。
9期1組のクラス会
第9期1組 神林 恵三 2010.8.11
2010.7.31に第9期・6年1組のプチクラス会を銀座・東武ホテルにて行いました。
計画してから一ヶ月足らずでしたが総勢10名の参加があり、約40年ぶりの再会を果たしました。
そして、すぐに全員が打ち解けて和気藹々と話し楽しいひと時を過ごしました。
さすが6年1組チームワークは抜群!!
三次会まで盛り上がり、来年は早めに行うことで決まりました。
来年は早いうちにお会いしたいと思ってます。
当日の参加者です。
菊池・瀬川・宮崎・吉田・荒井・大須賀・佐久間・白金・諌山・神林
22期 同窓会リポート (2009 11/28 & 2010 7/24)
「渡る世間に友がいる」
中年男女が、男子女子と呼び合う奇妙な宴、その名も同窓会・・・これは、ふつー、たまーにしか開かれないクラス会とか同窓会と呼ばれる集まりが、二年連続で開催されたというお話です。そこには今年49歳を迎えるアラフィフ達の、四年に一度の連続ドラマ、「渡る世間に友がいる」があったのです。
昨年の会場は、自由が丘の遊歩道沿いにある、この街で一番最初にできたイタリアンレストラン、MOCCO。
昭和49年度卒業の二つのクラスはここ十年、ワールドカップ開催の年に会を開き、参加者は増え続け今回は2クラス合わせて合計36人、担任の先生以外にも音楽や図工の先生もご参加いただき、合計40名の大集会となっていた。もはや誰が1組で誰が2組かは問題ではなく、当時の「席替え」だの「初恋」だのと、記憶のメリーゴーランドが回るたび、会話も酔いもグルグルとバターの様に溶けてつながり、毎回、驚きと発見の連続なのだ!
が・・・なぜ2連続で? 他にやることないんかい? たまにだからイイんじゃないの? などなど、同世代の大人の声が聞こえてきそうですが・・・・いえいえ、それにはちゃんとした理由があったのです。
それは一昨年の同窓会での事。時代に敏感な我が九小卒業生は、会場となったお店に、モニターからネット環境まで持込み、スカイプテレビ電話を設置。ハワイに住む伝説のクラスメイトやスペイン在住のミス2組と卒業以来の再会を実現!そこで、「来年は日本に行く!」などなど、海外組やいつもは来れなかった初参戦組が翌年なら集まれることが発覚!それならばということで2年連続で同窓会を開くことになったのであった。
ちなみにそこのお店はネパール人が働く、超アナログなカレー屋さん。
閉店後、故郷を想い、涙したスタッフがいたとかいないとか・・・
話は、昨年の夏、2年連続で開かれることになった同窓会当日に戻る。
実は僕は、集合時間の3時間前から猛暑の太陽の下、既に舞い上がっていた。恩氏との再会、海外組の参戦は勿論のこと、この日、四年生のたった一年間だけ九小に在籍し、今は医師として関西で活躍する山名君、通称ヤマケンの緊急参戦である。(彼の連絡先を突き止めた敏腕幹事エバポンの、ネット大調査編はまた別の機会に!)親友と呼び合った彼が38年ぶりに九品仏に戻ってくる。クラスメイトの顔と名前を思い出してからみんなに逢いたいと言う彼の提案で、ぼくの家で会うことになり、感動の再会は、九品仏の商店街を駅と環八から歩いてきてかち合うという、テレビ番組でも使えそうなドキドキ企画に!どんな著名人に会うよりワクワクしつつ汗だくで向かう一本道の先に、大きく手を振り近づいて来る中年男を発見!その笑顔に小学生の彼が重なって僕も大きく手を振りかえしたのだった。
焼き立てのピザの香りに包まれ、隣同士の「ご無沙汰してます!」を合図に始まった同窓会。出席された先生方の紹介、初参加の人、海外組の挨拶と、席を入れ変えては、輪が大きくなったりつながったりと、気がつけば自由が丘の裏通りに響く笑い声!(あの頃に比べ声はかなり低くなりました。)全員集合の記念撮影をはさみ、二次会へと店を移動した頃から、話題は大人の世界へと、酔っぱらいの階段を皆で一緒に登って行くのであった。正直、いつも思うことだが軽い緊張感を楽しみつつ、気がつけばアダ名で呼び合う開放感に過ぎゆく時間の早いこと猛ダッシュなこと。近況を伝え合ったかと思うと、急に幼きあの時、アノ話に舞い戻って忘れていたエピソードを思い出したり、知らなかった真実に大声をあげたり。結果、僕たちの同窓会は、毎回新しい思い出を刻む、四年に一度の連続ドラマなのです。
最後に、ご参加頂いた永遠の若大将井上先生、変わらぬ笑顔の小野先生、合唱でクラスをつなげてくれた赤松先生、自由な感性を育ててくれた木田先生へ。僕らがあの頃の自分たちに戻る時、そこには先生方それぞれの愛情を強く感じます。永遠の感謝を込めて…またお会い出来る日を楽しみにしています。
追伸:毎度ながら幹事の皆さんの見事な心遣いに拍手、いや大拍手!
文 昭和49年度卒業生六年二組 元祖いきものがかり ねだしんじ