嘉彦エッセイ


第1話(2004年4月掲載)


        



  私のピンチヒッター論『千載一遇』



 プロ野球では極端に分業が進んでいて、先発の投手がリリーフに回ったり、投手がピンチヒッターになったりするケースは極めて稀なことである。自分の与えられたポジションを全うするために、それぞれ専門の日常訓練を怠らないのである。そしてその専門のポジションでプロの選手としての人気や記録、年俸が決められてくる。

ピンチヒッター一筋、ピンチランナー一筋で、それも成功を収めて生涯を終えた選手は枚挙に暇がない。
しかし、我々ビジネスの世界では、通常狭い特定のポジション等はない。何でもこなせられる人が望まれている。大会社になればなるほど、そもそも適材適所と言いつつも素材のポテンシャルが掴めず、最初の配属はクジ引きのようなり、配属後大勢の中に埋もれてしまう。勝負は、運よく良い仕事に恵まれたか、本人が自分でどこを伸ばしたかにかかってくるが、それも仕事での結果を出す機会に恵まれなければ特に評価は受けない。更に同じような仕事をする人が多いとなるとなかなか差を示す機会がない。(昇進等の)人事は運が7割、本人の努力が3割などと言われる所以である。

 長いことサラリーマンをやって来て思うことがある。サラリーマン社会にはプロ野球とは異なったピンチヒッター論が存在することである。

プロ野球では、ピンチヒッターはその時の状況に会わせて確実に結果を出せば良い。一アウト三塁ならヒットか悪くても外野フライ。塁に出れば後はピンチランナーが引き受けてくれる。浅い外野フライや内野ゴロではダメ、三振等は論外で、二〜三回同じことを繰り返すと二軍行き、年末にはお払い箱。ストーブリーグとは良く言ったもので、あれは熱くなるのでなく、屑になり、燃やされてしまう事を言っているのだと思う。

 我々の世界では平穏無事に過ごしていればお払い箱の話はまずないが、それではおもしろくもおかしくもない。特に今日、低成長、機械化・コンピューター化の時代。そして縦割り。人に頼る仕事が徐々に減って来ている。与えられた機会は逃してはならないのである。

まず仕事の指示が出たら、これぞ「千載一遇」のチャンスと思い、ピンチヒッターとして最高の答えを出すことである。まず結果を出す(その仕事を全うする)ことは当たり前のことで、その後が重要なのです。内野安打でも塁上に立ったら投手を牽制して次のバッターの支援をする。合間に盗塁をし、牽制で打ちやすくなった次打者のヒットの確率は高く、うまく行くと一振りで一点。こうなると監督は次も指名したくなる。

いくつも役割を果たすと、単なるピンチヒッターの役割ではなくなるのである。これがサラリーマン社会のピンチヒッターに求められる素養ではなかろうか。

一仕事成功させたから満点ではなく、それは当たり前のこととして特段評価は受けない。その機会を捕らえてどれだけ幅広い仕事をしたか、可能性(ポテンシャル)を持っているかを示すことが重要なのである。

例えつまらない仕事を仰せつかっても、「その仕事は何のため」の仕事か考えると、言われたこと以外の仕事が存在することに気づくものである。(コピーを頼まれた。単にコピーして渡すだけでなく、目的によっては綴じたり、穴を空けたりすれば喜ばれ方が変わる)それが牽制であり盗塁なのである。

 VEが本質的になかなか浸透していない等と度々グチを言っているのだが、VEの奥行きは深く、如何様にも幅広く仕事をすることができるものを持っている。目的志向であり、使用者本位の原則に立ち、手段を創造する。そしてロジカルであるから、外部の人を説得するには最適の技術である。

 VEを振りかざして、ライバルに差をつけてみるのもおもしろいのではありませんか。

             (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS, FSAVE