嘉彦エッセイ


第8話(2004年11月掲載)


        



     『VEとゲートボール』


 またまた本文に入る前に…ありがたいことにこのエッセーの愛読者が増えてきたようで書き概が有ります。ホームページの構成上はニュースの欄に書くべきですが、今月はVEの全国大会が開かれます。講演・発表、とてもためになるものばかりですので是非ご参加ください。(情報はVE協会のホームページ=関連URLにリンクしてください)

では本文、

 『君たちは本を読まない』とよく上司が指摘をする。そうすると「いや、私は読んでいる」と反論する。『VEをやらない』と指摘をすると「いや、やっている」と反発が起こる。『品質管理が行き届いていない』とすれば「前に比べたら随分良くなっている」とくる。正に『アー言えばこう言う』で良く見られる姿である。読者の方々の身近には、このような例は枚挙に暇が無い事かと思う。

 この行き違いには三つのポイントがある。

 一つは定義のズレ。VEを拡大解釈して、CR(Cost Reduction)や何でも改善をみんな一緒くたにしてしまっているから会話が合わない。品質管理を(まさか今時こんな解釈はなかろうが)検査をしっかりすることのように思っていれば会話は合わない。本質的な定義が存在していることを無視(忘れて)しているから起きる現象である。

 二つ目は目的の違い。要求している人の目的は何であったのか。目的が理解されていないから食い違うのだと思う。何を求めて読書と言っているのか、何を求めてVEと、品質と言ったのか。言っている人と答えている人が、異なった目的で判断しているから合わないのである。VEで例えると、『VE』で求めたのは改善結果なのか、思考プロセスやマネージメント能力の向上なのか。VE=CRと考えれば、「今期は目標を達成したいから」が目的になり、「行っている」答えかもしれないが、「体質改善のため」なら「行っていない」事になることがある。

 もう一つは基準値が共有されていないこと。即ち要求する側の基準と回答側の基準のズレ、相違がある。何事にも「度合い」があり、『VEをやっていない』…どこまでやったら、「やっている」ことになるか。この基準の取り交わし、共有ができていないことである。この曖昧さにかまけて、自分に都合の良い方に解釈し、繕った回答をしていることが多いのである。

 本を読めば・・・・期待する結果が付いてくる。VEを行えばまたしかり。「アー言えばこう言う」で片付けてしまうと、結果は何も残らず、シコリのみが残ってしまうことになる。言葉の美学でなく、中身の美学を求めたい。

私は技術指導の中でしばしば「目標管理」を強調する。そして「正常・異常」把握を行う。それも時系列に目標をブレークダウンして、その時点、時点で正常か異常かを判断し、異常なた対策を講じる。仕事では当然のことである。これは目的や目標を明確にして共有でき、対策が迅速に行えるからである。

 我々はその昔、良くソフトボールに興じたものである。アテネで活躍した女子チームは何度も固唾を飲ませてくれたが、我々のそれはもっと泥臭いソフトボールだった。時に三角ベースで遊んだ事もある。(「そうそう」とおっしゃっている方、私と同世代ですよ。)それをカッコつけて野球と言う人は誰一人いなかった。野球と何が異なるか、九人、三アウト、ユニフォームまで瓜二つ(最近は随分変わったが)。強いて言うならば、投手がボールを下から投げるくらいの差であるが、それでも野球とは一線を画している。

ゴルフとゲートボールも幾分似ている。しかしゲートボールをゴルフと言う人はいない。いずれも酷似しているが違いは違い、きちっと分けている。物事を曖昧にしてしまうと、解釈が広がり、会話が行き違う。何事にも定義が存在し、その範囲も存在する。まず定義に従い、せめて拡大解釈するのなら、その『目的』を基準にしたいと思う。

(来月は『あなたは立派なチャンピオン』です。お楽しみに)

          (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE

 
                         佐藤嘉彦 著 エッセイ集 「千載一遇
」より