嘉彦エッセイ


第10話(2005年1月掲載)


        



  『自信満々』





 動物は集団本能と共に、コミュニケーションで支えられて、それぞれの世界ができあがっている。郊外に出るとカッコウが鳴き、ウグイスやカワセミなどがささやきあっている。鳥になったことはないので何を言っているかは当然分からないが、何かのコミュニケーション(意志疎通)を図っているのであろう。 人間も動物であって鳥獣と同じように集団とコミュニケーションによって支えられているのである。

 ビジネスマンのコミュニケーションは報・連・相に代表されるように、仕事の報告や連絡(指示)相談(意見)がコミュニケーションの大半を占める。さてその時、自分の意見をどのように述べているかが問題である。話し方によっては相手が十分納得する事ができるかもしれないし、場合によっては聞いたけど内心(大丈夫かなと)不安を感じることもある。

 海外、特にアメリカ人と会話していると爽やかさを感じる。常に分かっていることと、分かっていないことを明解に区別して話してくれることにある。分かっていることは自信満々に、言葉だけでなく身体(ジェスチャー)と共に話してくれる。分からない事は分からないとはっきり言う。

 昔スキーを担いでカナダに行ったことがある。バンフの郊外を車で走っていたら雪が降り始め、目的のアスバスカに行くことに不安を感じ始めた。幸い一台の車が止まっていたので、『この車でアスバスカへ行けるか』と質問したら、『オレはアスバスカから来たのでないので分からない』と答えた。明解!。日本人だったらきっと推定でOKとかダメとか余計なことを(無責任に)言ったであろう。

 重要なコミュニケーションは曖昧であったり、誤ってしまってはならない。正しく、相手に更なる信頼を与える必要もある。

 まず知識、質問に対する判断力、そして説明のロジック(組み立て)が要求されるが、そもそも、事実を知らなくして自信を持つことは出来ない。推定はあくまでも個人のその時点での憶測に過ぎない。過去の経験から推定をし、回答する事は良くある。そのときは「推定だが…」と前置きすべきであるが、「事実は小説よりも奇なり」といい、経験や事例に基づく会話は自信を持っており説得力がある。

過去については事実に基づく事であるが、未来については体裁でなくヤル気が自信を伺わせる。夢を持ち「俺はこうやる、やりたい」と心から叫ぶなら誰もが納得をしてくれるものである。

 もう一つ、自信を見せる方法には、アメリカ人に見られるように音声の問題が残っている。何故か我々はモソモソと小さい声で語る。相手に聞こえているか否かも判断せずに小さい声や語尾が下がってしまう話し方は自信なさを伺わせる。折角事実に基づき、または自信を持った夢を語っているのであるから説得力を持った発言、大きい声で自信満々にコミュニケーションしたいものである。(チェックポイントは、相手がうなづいているかどうかですヨ)

(来月は『努力に勝る天才無し』です。お楽しみに)

          (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE

                          佐藤嘉彦 著 エッセイ集 「千載一遇」より