嘉彦エッセイ


第15話(2005年6月掲載)


        



  『感謝が幸せを呼ぶ』




 今月は少々歯の浮く、きれいなエッセイになってしまいました。

 嫁と姑の関係がしばしば取り沙汰され、いがみ合う人間模様の代名詞のように扱われることがある。わが家の話を題材にして恐縮だが、身近な事例であるので引用して(家内は引用するのを反対したが)話をして見たい。というよりこのテーマは私自身に聞かせるつもりで綴っている。

 佐藤家に、わが妻照子が嫁となって来たのは昭和45年3月であった。

嫁−姑・舅は勿論、小舅までいた所に嫁ぐ気になったのだから、彼女は大変な決心をした上での事ではなかったのだろうか。私は正直言って、嫁対わが家族の関係がどうなってしまうのか、心配もしなければ気にもしない呑気な婿さんであったようだ。

 私の母雪子は3歳にして両親を失い、親戚に預けられ、一人の兄とも別れ別れに育てられ、小さいころから大変な苦労をして育った人で、テレビドラマの「おしん」さながらの子供時代を過ごした人です。その後一人の亭主(当たり前だが)と三人の子供に恵まれ(?)、五人家族が揃って生活できる喜びに、ただひたすら感謝し続ける人であった。(過去形でなくまだ健在です)

彼女は「もう何も要らない、これ以上の幸せはないのだから」といつも思っている中に、新たに他人が一人加わって生活が変わりはじめた。

 一般的な心配は別にして、わが家において表立ったいざこざがない。水面下で起きていたのかも知れないが、少なくも表立っては一度と聞いた事がない。きっと、多かれ少なかれ何かは起きたはずで、家内の心も大きかったのではないか、辛いことがあっても耐えたのではないかと思うが、ここでは敢えて母親を題材に話をして見たい。

 おしんの彼女は、毎日を感謝で暮らす人で、家内は嫁いだときから共働き、そして出産、子育てと時間的には多忙な環境にあって、彼女(母)はいくつか自分の定職を持った。洗濯は彼女の仕事。孫(私たちの子供達)の幼稚園の送り迎えは彼女の仕事。いざこざの素は一般的には「私にこんな仕事をさせて」との切り口から問題の芽が出始めるが、彼女は「私にも従来からやってた仕事を残してくれた」「孫を私に預けてくれている」と考えていた。そこに感謝と共に責任感が生まれ、病気などしていては責任を果たせないと、張り切った毎日が送れるようになってますます元気になる。「やらせてもらえる」感謝とは正反対に、これがもし「やらされている」と思った後の会話はどのようなるだろうか。二つのケースで後の会話を創造してみていただくと良く理解ができると思う。感謝の方はますます感謝に、奉仕の心に発展して行くであろうし、一方は最後は怨念しか残らない会話の結末が待っていることが容易に想像できるものである。

 元気だとさらに『私に何かお手伝いすることはないか』と仕事の領域を広げるようになる。結果として周りも感謝する気持ちが大きくなって来る。ますます良い方向に回転して行くのである。そんな心掛けが功を奏してか、大正3年生まれのおしんは現在もすこぶる元気で、三人の子供が成人したことにまた感謝と喜びを増し、孫たちの動向に気を病みする毎日。90歳になったおしんはさすがに台所を家内に譲り今でこそ定職を持たないが、昨年亡くした亭主への墓参や追悼に、そして趣味の詩吟と民謡に明け暮れる日々を送る。だれもが彼女を『幸せそう』に感じるのは、彼女の感謝の心から生まれたものではないだろうか。


(来月は『体験は自信』です。お楽しみに)

          (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE

                     佐藤嘉彦 著 エッセイ集 「千載一遇」より