嘉彦エッセイ


第17話(2005年8月掲載)


          



  
『攻めと守り』



 プロ野球やJリーグのキャンプが終了する頃に「攻めのチーム」とか、「今年は全体的に守りのチーム」ができあがったとか表現されることがある。後者のような記事が読売巨人軍について書かれたら、私はガッカリする。スポーツ大好き人間であり、巨人ファンである小生にとって、「攻め」が存在しないなど考えたくないからである。(しかし、今年の巨人はどうなっているのでしょうかね)

 我々の生活でも、攻めの人と守りの人がいる。どこかのコラムで自分の体験について書いたと思うが、攻めの人は失敗や敵も増え体験も豊富になるが、守りの人は多分その逆の結果を生むのではないかと思う。

私は、スポーツだけでなくこの攻撃型、攻めのタイプを選択したいといつも思っている。
 攻めと守りを分析してみよう。
 “攻め”は一般的に軽くてオチョコチョイが多いが(私のことを言っている)、何かの問題に直面すると幅広いアイデアを出して来る。あまり深く考えずに広くものを見たり考えたり、行動半径が広い。

 一方の“守り型”は一つのことを完結するまで確実に進めるが、幅は広がらない。何かの管理を任せると堅実にこなすが、その範囲から広がって行かない。

このような差を攻めと守りの違いと思っている。
 後者はどうも小生には合っていないようだ。そもそも同じ所にじっとしていられないタチで、何かを始めると、すぐ幅を広げたくなる。そもそもこのエッセイは拙書『バリューエンジニアリング』の出版のためにいくつかエッセィを書いたことが、ここまで来てしまったのだから、オチョコチョイと言えばオチョコチョイ。積極的と言えば積極的なのでしょう。

 話を元に戻して、何かを始めることを例にしてみよう。ゴールに到達させるにはいろいろの方法があるもので、これはVEのおもしろい最大のポイントだが、その中から一つの方法を取り入れ出すと、それに枝葉の方法(手段)がついて来るが、またそこで分かれ道になり、また新たな方法を選択する。これはとても楽しいことで、どんどん未知の世界に入って行くことができるのである。当然すべてが正解とはならず、しばしば失敗や挫折に見舞われるが、これを避けていてはおもしろみがない。スゴロクで言えば「◇◇へ戻れ」とか、酷い時には「振出に戻れ」となることもある。

 守り型の多くは、従来方法の踏襲になる。多分間違いなく従来の範囲はこなせるであろうが、あまり進歩・拡大は見られないことが多い。趣味のスキーの世界で、毎年行事の企画をするが、多くは日程の朱書き修正で、「昨年並」としてしまうことが多い。残念ながらスキーの組織は2年で役員が交替するので、新たなことを起こしにくいことも多少影響してはいるが、攻めでないことは事実である。いろいろな事業でも同じように前年踏襲容認型の議論ががしばしば見られ、結果「例年並」に終始する。これが攻めのタイプになると波風も大きく立つであろうが、選手の強化は進み、指導員のレベルも上がるようになる。

見方を変えると、現状維持型が守りで、発展型が攻めとも言えるかもしれない。

 管理技術にも攻めのタイプと守りのタイプがある。TQCは比較的守り型で、従来の仕組みの中から問題点を見つけだし、そこをどうするか対策を考える。私の専門分野のVEは多くの管理技術の中でも唯一攻撃型と言えるのではないか。夢を作り(機能定義)それを実現させる(代替案の創造)。まさに攻撃的だ。だから楽しいのだ。

 時代は日進月歩、いや急速な進歩をしている。よく茹で蛙とか、マンモスの死滅とか例えられるが、どうやら守りだけではこの進歩に追いつかないのではないか。やはり攻めなくして発展はない。変化に迅速に対応することが生き延びる、いや発展する条件ではないか。変えなければ変わらないのである。

 

(来月は『上位機能で攻めよ』です。お楽しみに)

          (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE

                     佐藤嘉彦 著 エッセイ集 「千載一遇」より