嘉彦エッセイ


第20話(2005年11月掲載)


          



『免許皆伝』



 私は雪無し県の育ちだが、中学生のころにスキーを履いて以来、かれこれ50年近くスキーを趣味にしている。今でも20日近くスキー場に出ている。

 スキーには、競技スキーや基礎スキー、競技にもアルペンやノルディックのようにいろいろの分野がある。最近はフリースタイルと称して、私には到底挑戦のできない分野が世界的な話題をかもすほど幅が広がった。そろそろスキーシーズン、雪の便りが聞こえ始めるころだ。スキーは老若男女、それぞれの人がそれぞれの楽しみ方をいる。本来厳しいスポーツであったが、今日の世相を写してか、ファッションと旅の楽しさを味わう、単なるレジャーになりつつあることを、スキー界のスタッフの一人として憂いている。

それでも、『オレ一級並の足前』と堂々と言ってのけるスキーヤーも少なくはない。基礎スキーの世界には五級からだんだん昇級して、一級の上に、技術のランクではないが準指導員、指導員と言った指導者の資格が待っている。これは70年余の歴史を持つすばらしい制度だと思っている。私は1972年正指導員になった。

 一級の足前の御仁、なぜ正式に一級にならなかったのか、とても悔やむところである。確かに一級並の実力があるかもしれない、見方によれば「たかがスキー」。私からすると「されどスキー」なのである。この御仁、もし正式に一級になっていたら、随分「みなし」と「正式」の差を感じられたと思う。だれもが正式に認めてくれるし、一級は一級らしい滑りをしようと真剣さが増し技術が進歩する。その上を目指す気になったかもしれない。老いてきたときに、『オレ一級受かったのは今から◇◇年前、随分時間の経つのも早いもの』などの語りにも重みが付く。

たった一つの関門をくぐったか否かで、オーバーに言えばスキー人生が大きく変わってくるものである。私自身も、準指導員の資格を得てからスキーらしくなった気がする。

 1987年の秋にCVS(VEの国際資格)に挑戦した。身近(いすゞや、自動車業界)にライセンサーがいなかったので第一号を目指す気になったのだが、翌春合格の知らせを受けてからの緊張は今でも忘れることができない。「質問されて答えられなかったらどうしよう」「建設やサービス分野は全く苦手、困った」いろいろなことが巡ってきて、認定後、肩の荷が重くなったが、そうこうするうちに自信が湧き始め、さらに自分を奮い立たせるものになっていった。果たして現在の実力の程はどうかは、人様が判断することではあるが、もしCVSに挑戦していなかったら、ただのCR(Cost Reduction=原価低減)担当者で止まっていたのではないかと思う。

 今日規制緩和が進んでいるが、なぜか資格制度は逆行しているようだ。アメリカに於けるCVS資格は大変なものであるが日本ではまだ評価が低い。日本ではむしろこの分野ではVEL(VE-Leader)に人気があって、その上のVES(VE-Specialist)はまだまだの感がある。CVSを含めいずれ高まってくるとは思う。VE関連以外でもいくつも既存の資格、新設の資格がはびこり出している。「資格があっても実力が伴わなければ・・・・」との説はごもっともであるが、資格をとると実力が早く身につくことは事実であり、体験済みである。自信、次への挑戦意欲、もう一つ有資格者にはいろいろのチャンスが増えてくる。荷が重くはなるが、総じて良いことづくめのような気がする。無資格者は実力あっても「結局ただの人」となってしまうのであろう。一度の人生、仕事も趣味も所詮ある短期間の間に行うことであり、時にそれが講じて長く続くこともある。同じことをするなら短期間でも充実するように、もし中長期に及ぶなら生涯の重要な時間を占めることになる。同じことをするならより充実したいものだ。

 ゲートボールでも、詩吟、書道、何でも良い。小さなことでも良い。資格を取ってご覧なさい。世界が広がりますよ。

ちなみに、佐藤はいろいろなライセンスを取った。スキーはもう永久検定員まであるし、小型船舶は1級だし、救急法も資格を得た。溶接やクレーンの免許もある。実際にはもう、何もできないが挑戦した時期を省みると楽し一時であったことは事実だ。


(来月は『事実は小説より奇なり』です。お楽しみに)

          (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE

                     佐藤嘉彦 著 エッセイ集 「千載一遇」より