嘉彦エッセイ


第21話(2005年12月掲載)


           



『事実は小説より奇なり』




 前にどこかで書いたが、カナダにスキーに行ったときの話。これはすばらしい会話であり、とても参考になることであるので、これを切り口に話を進めてみよう。

 確か昭和53年3月、今では海外スキーは当たり前の時代だが、当時としては随分進んでいたように思う。藤沢スキー協会の仲間とカナダに行った。あの有名なバンフを拠点にして、いくつかのスキー場巡りをするというプランだった。私は一日かけてアスバスカにある氷河を見に行くことにして、レンタカーを走らせ、国道一号線に出た。折しも雪が降り始め、ノーマルタイヤのシボレーに不安を感じ始めた。何しろ山の中(結果的に120Km走って、家4軒、行き交わった車は3台だった)、何もないので不安を感じるのは当然である。なんとその山の中で、ダットダンのバンのバックドアーを開けて、ラングラウフ用のスキーにワックスを塗っている人がいた。彼はこの山中にあるラングラウフのコースを歩く予定であったのだろう。(おっと、本項は事実を語る項である。推定で語ってはならない)

『我々はアスバスカに行きたい、この車で行くことはできるか?』との質問に、彼は『私はアスバスカからきたのではないから分からない』と答えた。見事である。きっと我々だと、「あそこはいつも雪が多くて・・・・」とか、「そのタイヤだと・・・・」とかお節介をしたであろう。彼にとってこの地域の事は手に取るように分かることであろうが、事実以外を語らなかった。

 歩行ラリーに参加させてもらったことがある。バディを組んだ相手は仕事でも、生活でもエネルギシュな人で、多くの人にその積極さを買われている人であった。私も比較的アグレッシブ。二人の共通項はいくつかあって、「自信過剰」の点もその一つであった。一回目のラリーは結果として上位に食い込み、さらに過剰は増した。二回目、見事に最下位。二人の挑戦は「自信満々の推定」に頼り、事実誤認の連続であった。

このように、結果が瞬時に出るものはその場で勉強になるが、長時間、間を開けなくば結果が出ないもの、最後まで答えの分からないものに対しては、責任重大である。

 よく観光バスの車中で、《伝達ゲーム》などに興ずることがある。最初の人の言葉で「おばあさんが転んで云々」の言葉が、最後の人からは「おじいさんが崖から落ちて死んでしまった」などと伝わることがある。推定が加わるとこのような変化が出てくる。

 古い話だがオウム関連の事件で、松本サリン事件の被疑者にされた河野さん、徹底的に犯人扱いされてしまった。警察、検察、マスコミ、共に早くホシを上げたい気持ちから、犯人と決め込み、膨れ上がった誤りの情報(推定)量を、もう打ち消すことができなくなってしまった。ああなると一種の暴力事件とも言える。まるでテレビの時代劇に出てくるオッチョコチョイの岡っ引きのような早合点であるが、テレビは必ず解決するもこちらはそうはいかない。

  質問や会話の相槌に推定で語らざるを得ないことが多くあるが、会話はそもそも人間の大脳からの発信で、大脳には感情が付きまとっている。同じことでもしばしば判断や意見が異なってしまうものである。

大事なことは、それは事実か、推定かである。とくに推定にはその人の感情は勿論、知識、経験、情報量が加わることである。話す側も聞く側も注意が必要となるのである。

 こんなことを書くと何も喋ることができなくなるが、恐れることはない。「事実」か「推定」かを明らかにして話せば良いだけ。「これは推定だけど・・・・」 とすればよい。ともすると自分の主張を通したいがために、あたかも事実であるかのような言い方をする人がいるが、これは罪作りだ。技術的な会話での質疑に良く現れるケースで、自分を一流の技術者に見せたいがための行為であろうが、むしろ知っていること、知らないこと、に分けて言った方が、後々自分のものになる量は増える。

 アメリカ人との会話で、質問に対してはまず「イエス」か「ノー」の答えから始まり、もし注釈が必要な部分があれば、「しかし・・・・」とか「なぜなら・・・・」で補足される。とても明快だ。我々もこんなテクニック身につけたいものである。


(来月は『文化と習慣』です。お楽しみに)

          (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE

                     佐藤嘉彦 著 エッセイ集 「千載一遇」より