嘉彦エッセイ


第25話(2006年4月掲載)


         



『マーケットイン』



 商品開発など、業務上のコンセプトに、しばしば本題の「マーケットイン」の考えが取り上げられる。いつの時代から我々の身近な言葉として存在したのか不詳だが、その反対用語には「プロダクトアウト」という言葉がある。

難しく考えるのはやめよう。このコンセプト、仕事だけでなく、日常生活にとても影響のある考え方であるので、おさらいをしておきたい。

 自分のサラリーマン生活の中で、これはーケットインに近いことだったかな、プロダクトアウトだったかなと思われる経験がいくつもある。

私が入社したのは昭和38年、所得倍増時代突入の直前、産業界の成長が始まった頃で、入社したときの気持ちは丁稚奉公の心構えであった。上司に良く仕え、上司の技術を学び、辛抱していずれ一人前になって行く。そんな覚悟で臨んでいた。入社4年目頃、技術的な仕事のほかに、課長の秘書的な仕事も仰せ付かっていた。その頃は部長が車で送り迎えされている時代で、課長は超偉い存在だった。彼は良く咳払いをする人だったが、その咳払いにはいろいろ意味が含まれていた。良く書類を書きまくった人で、イライラしている時、鉛筆や用紙が無いような時、資料がほしい時、それぞれニュアンスが違う咳払いをした。当時はまだノック式のシャープペンシルなど無く、肥後の守(ナイフ)で鉛筆を削って使っていた時代。私は密かに鉛筆を何本か削っておき、勿論彼の好きなHB。彼の良く使う用紙も蓄えておいた。二番目の引き出しにはこんぶ茶なども準備しておき、イライラの時、鉛筆の無くなった時、等などに即応できる態勢を整え、彼の動きに合わせて迅速に動いた。ある見方ではこれはゴマすりかも知れないが、私は(初志の)奉公の心構えと、秘書役の立場を最大限発揮するには、の気持ちからの純粋なものであった。これは業務かも知れないが、一種のマーケットインだと思う。

 マーケットインは相手の期待値を読む、相手は何を求めているか、何を(提供)してあげたら喜びが増すか、の考え方だと思うが、もっと身近に考えると、「もし自分がその相手だったら、今何をして欲しいのか。それに応えるのがマーケットイン」とも言えると思う。

自分はどうあったら満足するか、相手を自分に置き換えたら相手の立場になりきれる。そもそも相手(ときにお客様)の事は想像で考える訳だが、自分は現実。難しく考える必要は無い。自分が満足できる、自分の満足が最大になる方法を相手に向かって実行すれば良いのである。

私は講演をする機会が多くあるが、会話を含め注意していることは、まずこの声(ボリューム)で聞こえるか、そして主語や述語は明解かに気を配るようにしている。皆さん要チェック。接続語(「それで」とか・・)は声が大きいが、本論になると段々小さな声になり、特に日本語は末尾に結論の出る文法で結論が聞こえないことが多い。こうなると何がなんだか分からなくなる。通訳さん達が揚げる悲鳴もよくこのケースにある。相手が微笑んだり、うなづいしてくれたら会話は成功だ。

 原価改善で、ある車(2トンのダンプ車)の荷台に昇るステップを改良したことがある。板物から丸棒に、関係者で試作品を用いて昇ってみたら、「問題なし」の結論に到達したが、私は「反対」。試した人たちは革靴であったが、このクラスの車のユーザーは、地下足袋で昇る機会が多くきっと痛い。実際に昇ってみようではないか。「地下足袋が無ければクツ下で昇ってみよう」案の定NG.使用者の環境に最も近づけなければ正しい判断ができない。これはハードでのマーケットインの事例である。 

 もう少し事例を使って考えてみよう。今度は批判的な内容になるがJRのトイレ、下肢障害者用に手すりの付いた小便気が必ず備えられている。必ず。しかし不思議なことに駅のトイレには必ず階段があって昇る構造。「どうやって小便器まで行くのか!」駅に行くたびに腹が立つ。不思議とスロープのある駅は極めて稀。

VEの関連技法には「生活研究」という方法がある。これは実際の行動を分析して困っていたり、やりにくかったり、我慢しているところは無いか分析し、それらの部分を機能開発してユーザーの満足度を高める方法である。まさにマーケットインである。生活研究から生まれた商品は山ほどあるが、最近ではボタンの大きい携帯電話も年を取ったユーザーには大うけである。デジカメの会社を指導したことがあるが、その時に「取り説の要らない商品」が最大のマーケットインだと説いてきた。そもそもカメラは限りなく小型化してきているのに取り説が広辞苑のようでは誰も持ち歩かないと説いた。

身近なところにいくつも事例が存在している。家庭生活でのささやかなマーケットインは「愛情」と言われるものに変わるだろうし、社会生活の中で行うと「親切」とか、「優しさ」とかの言葉に代わってくるのだろう。ちょっと優しい気配りは本当のマーケットインになりそうである。マーケットイン、日本語に訳したら、(相手に対する)思いやりとか、気遣いとか、優しさ、等になるのかもしれない。


(来月は『後悔』です。お楽しみに)

          (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE

                     佐藤嘉彦 著 エッセイ集 「千載一遇」より