嘉彦エッセイ


第26話(2006年5月掲載)


         



『後 悔』




 昭和19年に生を受けたことから、ただいま61歳と7ヶ月。約60年余りの人生とは言え、振り返ってみると、自分の意志をもって行動して来たのはその3/4の40数年である。何をして来ただろうか。余り自分の過去を回顧したことはないが、あのときこうすれば良かった、ああすれば良かったと思うことが山ほどある。

拙著をお読みいただく読者の方々の中には、過去を回顧し、悔やんでおられる方がおられるかもしれないが、実は私は悔やむことはあまりない。性格的な面も影響しているとは思うけど、比較的何でも挑戦し、それなりに満足を得て来たからかもしれない。

 いろいろなことをやって来た。スポーツも沢山手掛けたし、いろいろなことに手を出した。ちり紙交換をやったことさえもある。いろいろな資格に挑戦して痛恨の敗北をしたものもある。大きなことではここ数年は、友人の援助を受けて大掛かりな庭作りにも挑戦した。家具つくりにも挑戦したし、ビールを作ったりもしてみた。みたという過去形ではなく現在進行形だ。それらの中に自分の努力が足りずに失敗に終わったものも少なくはない。でも私は悔やんではいない。

 よく、小さいことでも新しい何かに飛び込もうとすると躊躇する人がいる。私はオッチョコチョイで軽いから何にでも飛び込んでしまうが、結構慎重な人がいる。この慎重さんはきっと、失敗を恐れたり、メンツにこだわる性格が災いしたり、自信がわかないので周り(例えば細君とか)を説得できなかったりするから、つい慎重になってしまうのではないかと思う。VEで言うと思考を阻む3つの関所のうちの「文化の関」が存在しているからだ。

確かに行動しなければ失敗はないが、絶対に前進はない。そこに止まっているのだから・・・。バッターに例えてみよう。何もせずに四球と言うこともあるが(タナボタ)そうやたらあるものではない、見逃しの三振もある。振って三振は悔やまないが、見逃しは最後まで悔やむと思う。私の信条は振って三振。悔しいが「きっと今度はあのカーブを打ってやる」と燃えてくるものである。そして挑戦を始める。

 アメリカのVE大会に毎年参加(何と今年=来月の参加で18年連続となる)して、何度と無く何かを発表したりセミナーを開催したりと、参加の目的や役目を持って臨んでいる。今年もテアダウンのセミナーを開催することになっている。エントリーの時期には、申し込み書を書くだけだから余り苦にならず、しかし日が迫って来て、準備や練習も第4コーナーを回ったころには何で申し込んだのだろう、馬鹿な奴だ、ただの参加に止めれば良かったのにと思う。その苦しみを経ての終了後の満足感は言葉にしがたいものがある。これを毎年繰り返している。

 VE大会だけではない。前述の家具つくりや、家の工事(自分で随分いじくった)などもはじめてしまうと中断できないから、なおさら始めたことを「何で・・・」といつも思ってしまう。どちらかというと実行との戦いよりも悔やみとの戦いの方が多いかもしれない。戦いの際に、私にはもう一つ後悔とは異質の自分を支えるものがある。それは陸上競技の選手経験があり、長距離ランナーの私にはいつもあとどれだけ走ればゴール、あとどれだけ・・・そのどれだけがここまで縮まったと言い聞かせることのできる経験がある。これは家具つくりでも何でも、仕掛けてからの自分の大きな支え方だ。

 しかし、挑戦した後悔と逃げてしまった後悔では、全く意味が違うと思う。前者は例え初挑戦で失敗しても、必ずその経験は活きるし、成功すれば(時に自己満足だけもあるが)絶対の自信として残る。後者は悔いが残り、逃げの習慣をつけてしまう。

 現在の仕事もしかりだ。周囲の人たちはどのように見ておられるか不詳で、もし羨望の目で見ておられるなら、きっと隣の芝が青く見えるようなものだと思う。それ程甘くなく、時間的拘束や体力面でも厳しいだけに、同じように「何で(優雅なサラリーマンを辞めて)この商売を始めてしまったんだろう・・」と何度と無く思った、いや今も思うことがある。しかし振り返って、少しずつ満足や達成感を感じると、再び大きな挑戦の励みに変わってくる。

 オッチョコチョイと言われても良い。また、何かにチョッカイを出してみようと思っている。

「あとの後悔、先に立たず」とはよく言ったものだ。

(来月は『進歩』です。お楽しみに)

          (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE

             佐藤嘉彦 著 エッセイ集 「千載一遇」より


付録:家具・家具と出てきたがそのうちの一つ。VPM 山梨研修所の一角を汚す、手作りサイドボード。