嘉彦エッセイ


第29話(2006年8月掲載)


         



『敵を作る』



 怖いタイトルを付けてしまったが、決して戦争を仕掛けようとか、喧嘩をしようとか、恐ろしいことを提案しようとするものではない。私の人生の中にあったことを少ししたためて置きたいだけである。

 私の世界は家庭を初めとして、どなたにもある当たり前のことだが、会社や趣味(スキー)の世界、VEの世界や同窓会など結構幅広いものがあった。その中で社会人となって約45年、切磋琢磨し何とか今日まで過ごしてこれた。サラリーマンは約35年ある程度の役職に付いたし、スキー関係では特に神奈川県スキー連盟の法人化などを担当したり、いずれの世界も比較的後塵を排する事なく、どちらかと言えばリーダー的な役割を担ってきた。

 なぜ、どこでもリーダー的になってしまったのか。自分を見つめて、本当にご苦労さんな事だと、時に自分を自分で馬鹿にすることさえある。でもこれには一つ共通していることがある。

それは理想を描き、追いたくなることである。この世界の理想は・・・・、この世界は・・・・。そしてその理想への挑戦が始まるのである。勿論理想が合う関係者がいれば当然手を携えるが、理想を追わない弱腰や優柔不断なやつにはついつい激しく戦って自分の理想に近づける。このとき自分の励みになるのはライバルであり、敵である。これが無くして理想は浮かんで来ないし、行動する気にもならない。家庭と仕事以外にマスト(must)の事はない。多かれ少なかれ趣味や遊びの世界である。マストでなければ責任感などもつ必要はないと思うこともある。何も夜遅くまで気分を害してまで議論する必要はないし、その準備や実行に夜中まで時間を費やす必要も無いはずである。

では、なぜそこに挑んで来たか、それは自分の心の中にある理想を追求をするには、自分がイニシアチブを取らなければできないと思うからである。こう極論するとギスギスした世界のようだが、表現が下手くそであって、もっと穏やかであることは事実である(かな?)。同じ理想をもてる仲間とは、仕事量や質がライバルの材料になる。闘争心、緊張心をいかにして出させるかが何事にも必要な気がする。

 韓国や台湾に行ったとき、国立博物館で日本人の悪行を絵や写真にして展示してあるのを見たことがある。これは確かに過去の怨念はあっただろうが、今は正常な国交関係にあり、友好国であるはずなのに、なぜこのあからさまな展示をするのか、不快感さえもったものである。以前、日韓の間で《竹島》が大きな話題になったことがあるが、選挙の直前のことで、選挙が終わったら竹島は日本海に沈んでしまったのか、とんと話題に乗らなくなった。しかし、また政権の基盤がぐらつきだすと再び《竹島》や《靖国》まで引き合いに出して、注目を浴びようとするリーダー。これらはいずれも「日本」をライバル、一種の敵国に仕立てて、自国を奮い立たせているのである。

 私の「敵を作る」論理はこれに似ている。私自身、それほど精神的に強くないし、腰砕けの一面をもった性格であり、何か闘争のシンボルがないと踏ん張れない。緊張できない。緊張があると真剣さが増し、出力が大きくなる。そして実行した後の達成感が大きくなる。

「鰯の生簀に鯰を入れる」と言う言葉がある。比較的似た戦術であるが、このやり方は必ずしも良いとは思わない。もっと穏便に刺激を与える方法があるはずであるし、理想を追求する方法は幾つもあるはずである。穏やかに上手くまとめることの出来る人を見ると、素晴らしいなと感じ入るが、なかなか自分には出来ない。自分の手法なのかもしれない。

私のやり方を見て、「歳を取ったら自然にそうなるよと」とある人が言ってくださったが、それではおもしろくない。あまり歳を取らないうちにできるようになってみたい。自分のこれからの課題だと思っている。でも歳はドンドン取ってきてしまっている。なかなか出来ない。さて何を敵にしてこれ(理想)を達成するか?。あれっ、また本性が出てしまった。


(来月は『二兎を追う』です。お楽しみに)

          (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE

              佐藤嘉彦 著 エッセイ集 「千載一遇」より