嘉彦エッセイ


第33話(2006年12月掲載)


          



『コミュニケーション』


 第10番目のエッセー『自信満々』でも似通ったことを書いたが、多少思い入れが異なるのでもう一度お目を拝借したい。

 我々は人間関係を維持するためにコミュニケーションを取る。世の生き物のうち動物特有の特性で、多かれ少なかれ動物には集団性の本性があり、それに起因する行動だと思う。同じ生き物でも植物にはコミュニケーションの要素は存在していない。

 我々人間も動物ではあるが、一般的には動物というと鳥獣を指すようで、その鳥獣達はどのようなコミュニケーションの取り方をしているのだろうか、不思議に思うことがある。多くは音声に頼るものとは想像ができ、鳥はさえずり、獣は吠えることによって何らかのコミュニケーションになっているのであろう。

 人間は幸いなことに言語をもっている。その言語は、最近はコンピューターなども持ち合わせ、我々の頭脳以上のことをしでかしてしまう時代である。しかし人間の言語にはハートがあって、それにより心=感情を左右させる要素がある。仮に『あほ』と言っても愛情豊かな『あほ』もあれば、接続詞的な『あほ』もあるし、全く軽蔑する『あほ』もある。『あほ』と同じ意味の関東弁の『ばか』だともっと厄介になる。これは言語、すなわち言葉の使い方であって、言葉は名詞や動詞、形容詞、副詞等によって一つの文章になる。我々は鳥獣と異なり、文章を用いて会話=コミュニケーションを取っている。かれらはきっと、鳴き方やさえずり方の違いをコミュニケーションのキーにして信号を送り、集団性を維持しているのであろう。

 言葉一つでも前述のように話し方、受け止め方によっては全く180度反対のものになってしまい、それが文章となると尚更複雑になるが、これも一般的には、“常識”と言う判断要素が混乱を防いでいてくれているようだ。しかしながら自分の意志を相手に伝える、すなわちコミュニケーションには様々な要素が存在している。

 私のVEの先輩で元三洋電機の東野さんが、プレゼンテーションの重要性を話されたことがある。『技術者はとかく技術一辺倒で、自分の技術に誇りを持つのは良いが、人に伝える技術は本当にプアーだ』と話された。言葉とかプレゼンテーションについてもう一度考えてみたい。

 4年に一度のアメリカの大統領選挙。我々日本人から見ると、何かお祭りのようにしか見えない。あんなお祭りで世界のトップ指導者が誕生してしまうのでは適わない等と思ったりするが、お祭りに見える要素には、明るい国民性による集団性の発揮の仕方と、プレゼンテーションにあるようだ。政策よりも演説のうまさで大統領が決まるとさえ言われている。確かに大事なことで訴え方によっては国民を感動させ、その気にさせるものであるからこの論理は一理あるようだ。

 会話も同じことで、前述のように言葉の組み合わせをどうのようにしたか、加えて会話の雰囲気で情報発信者の意図の伝わり方が異なるのである。こう考えるとなかなか難しいことになる。更に音量によっては相手にすべての発信情報=言葉が伝わらないことがある。良く語尾の音量が下がってしまう人がいるが、時には『あります』と『ありません』良くあることだが語尾の音量が小さくて、聞き取れずにそれぞれ勝手に解釈してしまい、全く反対の情報を共有してしまうことがしばしばである。これは共有でなく誤解となる。言葉、音量、イントネーションで随分受け取る内容が変わってしまうものである。私は最近耳が聞き辛くなった事もあり、語尾の下がる会派にはほとほと困っている。

 我々が何かを発表したり講演するときなど、しっかり原稿を用意することがある。この原稿の棒読みも味気がない。かといって、テレビやラジオのアナウンサーのように、うまくしゃべることは至難の業であることも事実である。自分の価値を認めさせるか否かを決める重要なコミュニケーション。人間関係を良くも悪くもする重要な重要なコミュニケーション。人間のみに与えられたこの特性をいかにうまく生かし豊かな生活につなげて行くか、一見安易に考えがちだがとても重要なことだと思う。

 決して私はうまくはないが、私が気遣っていることを幾つか書き出してみよう。

まずストーリー、会話には原点になる課題とか話題が存在するので、その課題がどこかに行かないような会話、結論が出ないうちに違う話題にしてしまわないように、たとえ振っても戻すように気を遣っている。いつの間にか、何を話していたか分からなくならないように、順番に何らかの結論(と言うと堅くなるが)が出るようにする。もちろん何事も結論を出さねばならない訳ではないが。

次は音量。これは前にも述べたとおりで、しっかり語尾まで相手に伝わるようにしているつもりだがいかがでしょうか、私と会話をされた方。(少々自信がなくなってきた)

長時間話す講演のようなときには、キーワードを書き出している。原稿を書くと棒読みになるし、万が一飛ばしたりすると、その瞬間から一気に頭に血が上ってしまうので、原稿は決してプラスにならない。何もないと話すべきことを忘れてしまうのでキーワードのみを書き出しておく。これもこの頃横着して怠ると、と気に真っ青になる。

 そして何よりも大事にしていることは「自分の心」である。他人の受け売りは誰も感動してくれない。従ってキィワードを頼りに自分の考えや夢・理想、自分の体験や経験、これらを語るようにしている。

さて私の出来栄えは?、評価は他人(相手)。あまり誉められたことがないので、まだまだ精進が必要のようです。一緒にやりましょう。

年の瀬が迫りました。来年は今年以上に良いコミュニケーションの年にいたしましょう。では良い年を。

(来月は『愛社精神』です。お楽しみに)

    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE
              佐藤嘉彦 著 エッセイ集 「千載一遇」より