嘉彦エッセイ


第40話(2007年07月掲載)


          



『社会と家庭』



 長いことサラリーマンをやり、そして独立・自営業に転じてから早や10年、その自営も大げさに言うと企業再生のコンサルティング業(実際には、ちまちました改善のお手伝いに過ぎないような気がしているが)で、自営に転ずる以前から自分の勤めた会社の浮沈や、指導に当たった企業の姿を幾多となく看てきた。

 私が接した多くの企業は世間で言う超一流の会社。Tの字が付く最高学府の出身者がぞろぞろいたり、超一流の大学出身者や由緒ある家庭の出であったりの人たちの集団。世間でも超一流企業としてマスコミを賑わす企業だ。そこでなぜ会社は上手く行かないのか、不思議に思うのである。

 私には3人の子供がいる。3人の子供を育てる過程で、子供らが可愛く、特に小さい頃は他人の子供が醜くさえ見えたものだ。親馬鹿そのもので、なんと自分の子供が美人なのかと幾度となく、それも真顔で思ったものだ。

当時、こんな人間になって欲しいと理想を持ち、夫婦で語り、そして日々挑戦しながら育てた。成人した3人を見ると、今や会話も乏しく、こんな育て方をしたつもりはないのになぜこんなになってしまっているのだろうと、思う事がしばしばだ。

でも子育ては、本屋には山ほど育児書が並び、いくらでも参考にする情報は、書籍のみならず、近所の事例や祖父母からの語り継がれで豊富にあるが、大半の親達は、全て初体験の繰り返しで、熱を出せば慌て、近所で喧嘩でもすればまた慌て、学校で問題を起こせばはたまた慌てて、それでも音楽教室やスイミングや塾にも行かせたいと画策し、家庭内経済と戦いながら初体験の山を築いていく。

昨年1月に宝物の孫が生まれた。漸く最近「じーじー」と私に言うようになったらとたんに、それまで以上に可愛くなった。しかし、自分の子供ではないので責任感については複雑なものがある。注意をして良いものか、どんな注意の仕方をしたら親の意に沿うのか考えてしまう。こちらは経験者でそれを活かしたいと思うが、責任者は向こうでこちらの意に沿うものではない。

 自営業に転じて多くの企業でささやかながら指導と言う名の活動をしている。企業活動には育児の何十倍かの経験的書籍があり、優秀な人たちはこぞって読み漁り、そしてなおかつ先輩達の経験を“何代にも重ね塗りした指摘事項”や、それらをベースに作った“マニュアル”まで出来ている。会社だけではない、世の中全般についてでもしかりで、毎日のようにマスコミには“評論家”や“キャスター”が登場してあーすべきだ、こうすべきだとの指摘をし、提灯持ちの司会者が迎合している。それでなぜ上手く行かないのだろうか。これは、結果に対する評論であって、予測の出来なかった人が勝手に結果論を論じているからだと私は思う。

最近の社会保険庁の事件などは全く通常では考えられない事が何十年にも亘って行われてきていたのである。そして誰も止めず、改めず、今になって、関係しなかった政権担当者が当事者に代わって責任を問われている。だから表向きの対策はするが本気で反省などしない。会社の経営でも全く同じで、不適合を出した本人があたふた慌てまくるのは当然ながら、先代、先々代の担当者や経営者が犯した問題を、代替わりの後輩が責任を負わせられる。おかしな現象だ。

 なぜこうなってしまうのだろう。家庭では結果は全て親に責任が回ってくる。明解だ。他に責任者がいないのだ。最近はそれを放棄する親がいて数奇な事件がおきたりするがこれは例外。一般的には時間が経っても、子供が成人しても親の責任。我が家の良い子もデキの悪い子も私達の責任だ。

しかし企業や社会では、悪いことは他人の責任、良いことは自分の実績、全く身勝手な評価(見る目のない評価と敢えて言おう)があるがゆえに責任意識を持たなくなる。

問題発生−その中に自分のやるべきことはなかったか。暗くなるが必須の思考だ。所長や工場長や幹部が、部下を戒めたり、自分もできなかったことを要求してみたりしているが、そこでの彼らの役割は何か、全くなければ工場長も所長も部長もその存在が否定されることになる。VEでは目的や役割のない機能を不要機能と言っている。第7話で「チャンピオンになりたくばチャンピオンらしく振る舞え」と書いたが、責任者でなくとも関係者であればそれなりの役割と、行動が必要になる。

子育てだけは他責にできない。子が悪いのは親が悪い。明解だ。どこがどう悪かったなどは余り考えず、ただひたすら責任を感じる。会社・社会でもこのような意識になったら、とてつもなく素晴らしい社会になるのではないか。社員のやるべきこと、責任。管理者のやるべきこと、責任。国民のやるべきことや責任。

自分がやらなくては・・・と考えれば変わってくる。オムツの交換を自分がやりたくないからと言って他人に任せる親はいないでしょ。30年も昔に3人のオムツを取り替えていたが、またまた孫が可愛い顔してそれをさせてくれている。やっぱり平和かな。


(来月は『戦争の話は嫌いだ』です。お楽しみに)

    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE

               佐藤嘉彦 著 エッセイ集 「千載一遇」より