嘉彦エッセイ


第45話(2008年03月掲載)


          



2008年のエッセイについて:

このコーナーで毎月書き綴ってまいりましたエッセイですが、弊社創業10周年を記念して1冊のエッセイ集に纏めまして、少しお休みをいただきました。今年1月から再開しましたが、今年は新たに読者との交信コーナーとして「ブログ:佐藤の技術・主張」を作りましたのでエッセイは定期性を持たず(たまたま今月も先月に続きましたが)「思いつくまま、気のままに・・・」で書いてまいります。

「ブログ:佐藤の技術・主張」のコーナーもお楽しみに、そしてどしどし皆様のご意見をお聞かせください。建設的なご意見は匿名でご紹介させていただきます。勿論エッセイにもご意見があればどうぞ。




『一歩一歩』


 今月はありきたりだが、私たちがこんな気持ちで大きなことにチャレンジしたらきっと、遠い目標も手に入る、お・は・な・し。

先日、家内と久しぶりに伊豆の温泉を楽しみ、翌日久能山東照宮を訪れてみた。東照宮へ行ってみたかったのは少し古い小説だが、隆慶一郎さんが書いた小説「影武者 徳川家康」がとても面白かったからだ。家内は久能山には影武者が、日光の東照宮には本物を光秀が祀ったのではと主張していて、少し興味のあるスポットだった。

東照宮に行くには清水の町に入り、日本平からケーブルカーで行く手もあるようだが、我々は車で行ったことと丁度シーズンのイチゴの美味しい時期であったことから、正攻法の最も下の鳥居をくぐり階段を登ることにした。

東照宮のある久能山の頂上を見上げるとあまりにも高く、「エー、ここを上るの?」と恐れをなして、門前の売店でお店番のおばさんに他に方法はないかと尋ねたくらいだ。

歩く以外に方法がないことが分かりついに覚悟、私は黙々と歩き始めいつのまにか家内を先行する。いつも元気に歩く家内がたびたび止まってしまう。歩き始める前には私の方が怖気づいていたというのに。

ここで分かったことは、私は下を向いてただ階段をひたすら一歩一歩歩いて登って行くうちに、いつの間にかずいぶん登り、そして彼女と差が付いたのだ。時折彼女を見ると、天を仰ぐように久能山の頂上を見て「まだなの」の雰囲気。そしてまだ先は長いと知るや、落胆しては休んで、そしてまた私を追う。私は先も過去も意に介さず、ほとんど休まずゆっくり歩み続けた。実は昨年暮れ体にメスを入れたこともあって慎重に一歩一歩歩んでいる。彼女の方が元気でいたはずながら、先が遠いことにモチベーションを失っている。ゴルフや野球では、目標をしっかり見据えて「あそこまで運ぶ」と自分に暗示をかけたりするとよい結果が出ることがあるが、山登りは勝手が違う。

そうこうしているうちに、何と東照宮の社務所に到着した。高さは標高280m(登り始めはほぼ海岸=標高0だ。したがって280mの高さを一気に登ったことになる)そして歩いた階段の段数は1100段(と書いてあった)、何と凄い数字になって驚いた。さらに社務所から、家康の墓標まで58段、これが半端でなく急な階段。しかしここまで登って58段を諦めるわけにはいかない。有名な吊り雛人形を見ながら奥の院をお参りし、影武者が眠るのか本物が眠るのか謎を抱えながら、写真をパチリ。

下山をして、駿府城にも行ってみたが、家康の面影(彼がこの城を居城にした)の城は何もなかった。廃藩置県で各地の城を壊したが、惜しいことをしたとつくづく思った。

 その後温泉気分から現実の世界に戻って、

ある会社で大きな改革を進める2つのテーマについて議論をした。世間の他の会社でも難題であるテーマ。いずれも大会社故、簡単に進まないことは確か、怖気づいてこの話が壊れそうになってきた。簡単にできるはずはない。行動しなければ変化も進歩もない。しかし一歩一歩進めていけば必ず頂点に達することは体験済み。一歩一歩は面倒と大股で登ろうとすると階段を踏み外す。頂上への到達にどれだけの時間的猶予があるのかは経営マターだ。慣れてくれば早くできる(登れる)ようになるだろう。

最高峰エベレストの登頂や三大北壁や各大陸の山は全て征服されたように、我々の目標は必ずや征服しなければならないのだ。何の団体でも個人でも、「明日で良い、いずれやれば良い」は許されないのだ。大きな目標でも、一歩一歩登れば必ず征服できる。征服したければ、先送りと躊躇は許されない。遠い、大きいと思えば終わり、一歩、一歩だよね。

そうそう、今月はこれに自戒の念でもう少し一歩一歩を加えると、まずい方の一歩一歩がある。これは心の緩みに起因して、このくらいなら良いだろうと僅かなマイナスが、一歩一歩、積み上がって大きなマイナスになること。一歩の大きさが微少だと「このくらいは・・」とあまり問題を感じない。しかしそれが麻痺の要因で、大きくなっても基準がずれて大騒ぎしなくなっているうちにドーンと来る。「茹で蛙」の例だ。企業のコンプライアンス、某自動車会社のクレーム処理や食品メーカーの賞味期限管理、インサイダ―取引、はたまた、イージス艦の衝突事故など枚挙に遑がない。そして身近なところでは佐藤君の血糖値とγ−GTPのコントロールもしかり。

「この程度なら」に甘んじず、一歩一歩、プラスに振り、マイナスは厳に戒めたいものだ。



    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE

               佐藤嘉彦 著 エッセイ集 「千載一遇」より