嘉彦エッセイ


第46話(2008年04月掲載)


          



2008年のエッセイについて:

このコーナーで毎月書き綴ってまいりましたエッセイですが、弊社創業10周年を記念して1冊のエッセイ集に纏めまして、少しお休みをいただきました。今年1月から再開しましたが、今年は新たに読者との交信コーナーとして「ブログ:佐藤の技術・主張」を作りましたのでエッセイは定期性を持たず(たまたま今月も先月に続きましたが)「思いつくまま、気のままに・・・」で書いてまいります。

「ブログ:佐藤の技術・主張」のコーナーもお楽しみに、そしてどしどし皆様のご意見をお聞かせください。建設的なご意見は匿名でご紹介させていただきます。勿論エッセイにもご意見があればどうぞ。



『昼寝のコオロギ』



 私のぼろの山小屋が北杜市にある。このホームページでも何度か紹介した「源氏車」と屋号を付けた小屋である。秋口によくコオロギが出没してくる。あの良い鳴き声のするコオロギではなく、単なるバッタだがなぜか私たちは彼らをコオロギと呼ぶようになった。今回はコオロギさんにまつわるお話から・・・。

 家主がずいぶんご無沙汰をしているものだから、コオロギは我が物顔で家の中を飛び跳ねて遊んでいた。いつもはあのうるさいおやじが「出て行け」と蠅たたきで俺たちを追い払う。たたかれないだけ良いが、家主がいるときは少し遠慮して出ない様にしている。この頃はずいぶん家主さんが来ない。どやら引っ越しをしたようだ。それなら、と安心して家の中を遊びまわっているうちに、居間の絨毯で昼寝をするようになった。居心地が良いので、つい自分のお家に帰らず、夜も時々暖か絨毯の上で寝てしまう癖がついてしまった。

 11月のある日も、昼間の温もりを感じながら転寝をしているうちに夜が更け出して少し寒いなと思ったが、まだ冬ではないしと少し甘く見てウトウト。でもやはり自分の寝床へと思って真夜中に帰ろうと思ったが、おや〜どこの道を行けばよかったんだっけ・・真っ暗で、道に迷い、しかし寒さもそこそこなので、また絨毯に戻った。翌日はまた暖かかったから昼間は絨毯の上ではしゃぎまわった。その夜は昨日より寒くなった。昼間帰り道を調べておけばよかったのについ怠けて、また道が分からない。お友達も道を探している。昨日と同じようにしてまた絨毯で寝た。この日は滅法寒かった。翌朝動けなくなっている仲間が何匹かいた。また暖かい昼間…そして僕はとうとう仲間の後を追った。

 本当に私の山小屋には秋になるとコオロギの死骸があって、蠅たたきではなく、箒で掃いて捨てる作業が冬を前にしてよくある。あのコオロギロ見て、「チーズはどこに」「マンモスの死滅」そして「茹で蛙」になぞって童話風にまとめて見た。

 先日スキーの市町村の大会があった。私はある市のスキー協会会長で陣頭指揮をしに現地に入った。いつもポイントゲッターのA君が振るわない。国体にまで行った彼は従来圧倒的強さを誇っていた。今年はどうしたことか。この1年に何が起きているのか・・、彼自身「おかしい、どこもおかしくないんだが体がついていない」「おかしい・・」と自分の力が十分に出ないことに不思議がっていたが、聞いてみると、やはり日頃の鍛錬や集中力を欠いている、しかしそのことに気づいていない。いや気づいてはいるがそれを簡単に認めたくないだけかもしれない。その間にライバル達(Competitor)は負けまい、追い抜こうと日々鍛練(商品改良・開発)をしている。負け惜しみの言い訳かもしれない。しかし絨毯の温もりは何とも気持ちよく抜けだせない。昨日と今日の変化は極めて微小で、問題にする差ではない。しかし、微小を足せば必ず大きな数字になる。「ちりも積もれば山となる」のだ。

 こうしてまさかと思っていた後進国(台湾、韓国や中国・BRICS)に一つ、ひとつ追い抜かれ出している。

 最近の事例である新しいプロジェクトを起こそうとした。準備にはまだ時間がある。「明日で良い」「○○部の△△さんがきっとやってくれるはず、俺が何も慌てることはない」こうしているうちに時間が経って、土壇場で形だけ整えた仕事になった。もっと早くやれば内容も充実したのにと悔やみながら・・・。

先月は一歩一歩登ればエベレストに登れると書いたが、一歩一歩後退する怠慢に自分でブレーキをかける話だ。

確か親鸞上人が残した謌だったとおもうが、

「明日ありと、思う心のあだ桜 夜わに嵐が吹かぬものかわ」

さあ、嵐が吹かないうちに一つ、一つ・・。この原稿を書いた今日、私は淵野辺公園・鹿沼公園に夜のエクササイズウォーキングに出かけて見た。桜は満開でありました。


    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE

               佐藤嘉彦 著 エッセイ集 「千載一遇」より