嘉彦エッセイ


第48話(2008年06月掲載)


          



『動けば難、動かねば無難?』


  VEの世界的会議であるSAVE大会という名の大きな会議が毎年アメリカで開かれている。今年はNevada州Renoでの開催で、皆さんがこのエッセイをお読みになっている頃、私は二度目のRenoを楽しんでいると思う。

この会議(というより発表会、交流会、同窓会と言った方が良い)に私は1989年から毎年参加している。今年で連続20回目になる。いすゞ時代には自費参加も何度かあったが、上司の寛大な理解が参加機会を多く与えていただけたと、今も感謝している。独立後も続けて参加している。

その間いすゞの関係者と共に行ったり、全国的に呼びかけて一緒に行ったり、取引先の方々と共に行ったり、そして時には発表したり(今年も発表がある)しているが、行く度に、それも直前になると「なぜこんな企画を考えたのだろうか」と後悔する。正直この原稿を書いている今(出発5日前)は、SAVE大会前の1週間をアメリカでTear Downを某社にWork Shop式の指導することもあって、指導の内容が見えない部分や、大会での発表対応などの不安などで荷が重くなおさらである。

企画している頃は、また彼に会える、あの人に会える、どこどこへ行ける、などなど楽しみに浮かれ、日が近づくとなぜこの企画を?と考えるのである。それでも懲りずに毎年出かけている。

私はどちらかというと「おっちょこちょい型」で何でも興味があってすぐに出しゃばる。手を出す。多くの人は「よせば良いのに・・」と無言の言葉をかけてくるが、意に介さず突っ走る。

昔、いすゞのスキー部を仲間とぐんぐん成長させているとき、スキー部で山小屋が欲しいと相成った。資金が必要で、交代でチリ紙交換をしよう。トラックは私が買う、みんなは交代で休日に故紙を集める、最初は順調で良く集まった。しかし故紙の相場がガタ落ちして大損をしてしまったことがある。でも、今悔んではいない。実行したから辛酸をなめたが、実行しなければ甘いこと(夢)を引きずって、あの時やっておけば良かった・・とずっと後悔しつづけるのであろう。

今の生活(独立してコンサルタントになった)もそうだ。いすゞに最後までいれば、花束をもらってやめれば(定年で)良い区切りになったものを何で、一人(家内と共にだが)で頑張る仕事、この滅茶苦茶な生活(このエッセイは日曜日に移動してきた長崎で書いている、昨年の外泊は何と200泊)を選んだのか、思うようにいかないときには特に、将来の不安を感じた時にもしかり、失敗した時などなおさらである。その点周囲の仲間などを見ると、少し働き、金と時間のゆとりを持って人生を謳歌している姿を見ると本当に羨ましくなる。そしてまた、何でこの仕事を選択したのかと悔やむのである。

これは時折、かられる心の変化であって、最終的に自分で選んだ世界は、実はちり紙交換もコンサルタントも本気で悔んでなどいない。結論は満足だ。結果が十分でなくとも満足(時に自己満足であっても)が残る。挑戦しなければ後で悔むからだ。挑戦すれば確かに苦難や隣の芝の青さが目につき悔やみが始まる。しかし、大変だがいろいろなことを経験して、挑戦してみれば見るほど成功しなくとも知識や経験が残り自分の財産になる。動かねば何も変化しない、変化しなければ今まで通り。私は現状維持は相対的に時代遅れと決めてかかっている。だから私は動く、挑戦を選ぶ。

こうしていろいろなことに挑戦してきたが、今は自分に、それも勝手に、「これで良かったんだよ」と言い聞かせている。

この5月31日から、この忙しいのに、(財)神奈川県スキー連盟の副会長に就任してしまった。どうやって時間を作るのか、従来の仕事にどの程度影響を及ぼすのか、仕事を減らさなければならないのか・・何も今は分からないが、新たな挑戦がまた始まった。そしてまた多忙を悔みつつ夢を追った生活、工夫の生活が始まるのだろう。


    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE