嘉彦エッセイ


第49話(2008年07月掲載)


          



『恐る恐る・・渦巻き現象』アメリカ体験−1


  私の海外旅行(出張)の最初はアメリカだった。時に昭和52年(1977年)4月、Tear Downを成功させてのご褒美出張でアメリカはGM社のTear Downを見学に行った。最初のDetroitの夜にアクシデントが起きた。何と最初の、ドキドキする最初の一人の部屋に大きな体の、それも特に大きな黒人が部屋に侵入しようとドアをこじ開けているではないか。鍵をかけ忘れたのか開けられたのか既に解錠され、チェーンのみでドアは・・・保安の人を呼び、彼は後ろ手に手錠をかけられうつぶせに寝かされ・・こうして恐怖のアメリカの最初の夜を記憶している。

 それから今年でアメリカだけでも29回、延べ110回の海外を経験した。比較的経験の少ない方ではないが、それでも、これが以下の今月のエッセイです。

VEの世界的会議であるSAVE大会という名の大きな会議が毎年アメリカで開かれている。今年はNevada州Renoでの開催で、

この街Renoは(Renoで書いている)2度目の体験で、前回は確か2000年であったと思う。8年もたつと記憶に何も残っていない。せいぜいCasinoが所狭しとあって、結構貢いできた記憶がある程度だ。

アメリカでは冒頭の経験や、いくつかの街でドラッグとの境に立ち入るな、ハイウェイのExt.何番は絶対出てはいけないとか、ハイウェイから町中におりたところでドアーロックを改めてしろとか指示を受けたり、ロスアンジェルスでは実際に警官との銃撃戦を生で観てしまったり・・・で、比較的恐怖の記憶がある。

ホテルから町を散策しようと出ていく、当初は確実に、歩行のパターンがホテルを見ながら円周にだんだん外側に広がるコースを歩く。徐々に徐々に遠巻きになり、でもホテルをしっかり見ながらである。この現象を渦巻き現象とか、蚊取り線香現象とか名付けたものだ。初期のころからこの名付けた歩行方法をいつも励行していた。徐々に街が見得てくる。だんだん分かってきて安心が加わり円は大きくなっていく。最近は少し甘く見て放射線に歩いたりするがそれでもまずホテルの存在は失わない。ホテルが拠点だから。

今年のRenoもそうだった。土日の2日間の休日はほとんど同じパターンの散策になった。街もさほど大きくないし、観光名所のようなものはほとんどなく、ただCasinoとそれに小さなお土産屋さんのみだ。2度の昼食はヨーロッパアルプス地区のフェスティバル会場で同じ様なものだった。(それしかなかったんだが)

私たちが何かを覚えるのも拠点(基本)から少しずつ輪を描いて広げていく。VEを学んだり、趣味のスキーを覚えていったのも基本から少しずつの応要の円だった。よく見る失敗はいっぺんに放射線の先に走って、基本が何だか分からなくなる時だ。結果纏まらず、(習得できず)だんだん諦めになり、そもそもそのもの(技術やスポーツ)が良くないかのような評価をしてしまう。ゴルフがうまくならない…最初から飛ばすことを考えるからだ。うまくいかないから諦め投げ出す。素晴らしいスポーツなのに、あれは金がかかるとか自然破壊をしているとか難癖に変わる。

まず小さな円を描いては戻り、確認してはまた円を大きくする。こうしていろいろなものを小さな円から学びとって自分のものにしていく。私が独立したのもそうだった。

私は臆病なのだろうか・・・。


    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE