嘉彦エッセイ


第50話(2008年08月掲載)


          



『希望的観測』

 北京オリンピックが目前に迫ってきた。今までは誰が北京に行くかとても興味があり、その選考方法などについて批判や意見が錯綜し、選手が選ばれる話より運営する体育連盟などに注目度が高まっていたが(特に私は一つのスポーツ団体の県レベルの役員をしていたりして、とかく注目してしまう)いよいよオリンピック開始!に伴い、関心は完全に選手に向けられるようになった。このエッセイを少し遅れてお読みになった方にはすでに日本選手の結果を知った上でお読みになる方もいらっしゃるかもしれない。

 7月に原稿を書く段階では、さて、大逆転・青天の霹靂で誕生した五輪選手たち、マラソンの中村友梨香はどうか、絶対本命の北島康介は、選考でひと悶着あったヤワラちゃんは、美人の誉れ高きペアのオグシオはどうか…いずれも新聞紙上では「希望的観測」でメダルが高いレベルで期待できると書きまくっている。野球もしかりだ。サッカーまでメダル???

 冬季五輪では、開催前は大きな期待に膨れるが、結果はエッと驚く金メダルが取れたりもするが、概ね期待はずれが毎回だ。それでも1つ、2つ金が付いてくるから許せるが大会前とは大きく結果が異なる。これも希望的観測。

 プロ野球もオールスターを挟んでいよいよ後半戦だが、春のキャンプ情報と照らしてみると面白い。キャンプではだめな選手は一人もいないのである。これも希望的観測。

 私たちの身近な生活でも同様だ。天気予報を聞いて支度をするが、私はいつも希望的観測で、ゴルフでは雨具を持たずに結果雨の中のプレーを強いられたり、仕事などの移動時には駅から濡れながら歩く羽目に陥ったりする。

健康ではこの程度はすぐ治るとたかをくくったりして、希望的観測では大きなダメージを受けることがある。データ(血圧やγ−GTPなど)ではその日の体調や検査方法にExcuseしたりしてきたが、流石、体感的現象(発病)には勝てなくなって来て、年も年で、最近はずいぶんダメージが強く、自信を失い、希望的観測から悲観的観測に移り始めている。

 景気や会社の業績では希望的観測は禁物で、ビジネスプランの立案時には、職業柄「天気予報」と称して、晴れと、曇り、小雨、土砂降りと4つのケースで試算させるように指導している。決して快晴はない。もし快晴があった時にはただ喜べばよいのであるから・・。まずい場合には取り返しがつかないことがあり、慎重に天気を読むのである。どちらかと言えば悲観的観測が常套手段だ。

 老後のことなどは希望的観測で将来を考えないと楽しくなくなる。一生懸命働いて、仕事を卒業したら何年元気でいられるか…計算する時に希望的観測か、悲観的観測かで老後の夢は変わる。すぐ病気になって動けなくなるのではないかとか考えると面白くない。旅行はあそこに行こう、こんなことをしよう…夢を作る、そして夢に向かって行動するとますます元気になる。子育てなども全く同じだ。まあ、子育ての場合はどんなに希望を持っても希望通りにはいかないものであることは最近十分実感できているが・・。とっくに卒業した子育てでもまだ希望を失ってはいない。いつまでも夢がある。

 希望的観測は明るくて良い。夢が湧いてくるから。希望的観測で日々暮らしたいが、あまり度を超すと「極楽トンボ」などと言われてしまう。

悲観的観測は逆に暗く、時に落ち込んだり、個人的には鬱の世界に入ってしまったり、悩みを大きく抱えるもとになる。眠れなかったり、くよくよしたり。人に同調できなくなったり・・。

どちらで・・と言われてもケースバイケース。デモ明るくしたい。あとのダメージをよく考慮した範囲で、夢をなるべく多く持って生きてゆきたいものだ。

    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE