嘉彦エッセイ


第51話(2008年09月掲載)


          



『希望的観測-2:北京オリンピックは終わった』


 まず。選手の皆さんに心からご苦労さんと言おう。少なくもこの話題は、周囲のものの見方についてであるから、選手には関係のないこと。むしろ選手には多くの感動をありがとうと言いたい。素晴らしかったではないですか、

* ソフトボールの感動:上野の頑張りや攻撃・走塁・守備など、日本選手の頑張りに夜中まで引き付けられました。希望的観測ではメダルは強く予想されてはいたがまさか金色のメダルになるとは観測されていなかった。素晴らしい快挙だ。

* 連覇の内柴、北島、谷本、上野、吉田、伊調・・・これらの選手は「予想通り」とか「やっぱり」で希望的観測通りのせいか感動が今一だったが、実は連覇の難しさを知らないげすの推定、これはすごい快挙なのである。それも4年間世界一を維持する驚異的な精神力と技術・体力の向上があってのことで、単なるミーハーの希望的観測では済まない結果であるが、その陰に田村亮子(選考で話題をまいて)の銅や、鈴木桂治、もっと観測とずれた泉浩、など結果は大きく異なった。

* フェンシング:逆境にあっての太田の銀、これはすごい努力と周囲が猛烈にこの結果に結びつく支援をしたことにあるが、これは希望的観測(予想)から大きく良いほうにずれた感動だ。

* 負けても一緒に涙してあげたい女子サッカーやマイナーな種目も多かった。希望的観測に出てこなかったボートの岩本・熊倉ペアー、射撃の高橋実智子・・・沢山いた。

* 陸上男子400mリレーは話題にはなっていたが、メダルまではだれが予想しただろうか。これも希望的観測を上回る快挙だ

* バドミントンのスエマエの活躍も観測を上回る。むしろオグシオのペアーの人気を優先した観測で、一種のセクハラだが期待のランキング1位の開催国中国を破る結果は、痛快であった。

* 書きたい事例はまだある、まだある。枚挙に遑がないとはこのことであろう。

テレビ観戦はアテネの時と比べると時差が少なく助かったが、放送権の関係で夜中にまで放映される色々な種目を追っていると身体を壊してしまいそうな、テレビ観戦の時間。ここに引き込まれたのはやはり事前の希望的観測の影響もあるが、われらが日本人への希望がテレビにくぎ付けにさせられた要素だ。選手たちには本当に心から感動をありがとうともう一度も二度も言おう。

 さて、このように希望的観測には外れがあって、まず、報道のでたらめさに何度か腹が立った。

最も大きかったのは女子マラソン。優勝候補に野口みずきがどの新聞もどのTVも掲げていたが、その頃すでに彼女はジョッキングさえおぼつかない状態にあったようだ。110障害の中国の英雄、劉翔の棄権のように報道管制のある国なら別にして、分かっていたことを調査もしない、事実でないことを希望的観測で伝える。どれだけ誤った夢を我々に与えてしまったであろうか。というよりこのような曖昧さや間違った情報の伝達は、スポーツのように失望で終わる程度なら許されるが、人命や国の経済、はたまた我々の身近な企業に影響を及ぼすものにこのようなことがあってはとんでもないことになる。

北島引退も優勝翌日の紙面をにぎわせた情報だが、本人が当惑する報道。この情報は何だったのか、誤った情報を流した人がいるから「引退」とでるのだろう。ここでも無責任がまかり通っている。

 野球なども情報が不足し、ただ星野ジャパン、やれダルビッシュだの新井だのと活躍を希望する選手や星野への期待ばかりで、その間に何と(後で知ったのだが)優勝した韓国は、打倒日本を目標に掲げ、プロ野球は1カ月お休みで合宿をし、キューバを迎えて練習試合を本番直前に行っていたとのこと。事前にこの報道があれば「星野ジャパン危うし!」と警鐘が鳴らされ、必勝のための対策も異なっていたであろう。結果はなるようにしてなった様に私は思うが、期待が外れたというより期待させられたことが誠に残念だ。選手は頑張ったのだが。

 もう一つの切り口ではルールが変わっていることだ。これに対応できていない期待が柔道に代表されて、その影響がわれわれに事前に分からず希望的観測を持ったことだ。柔道では指導や効果のポイントの付け方や、組む柔道から潜る柔道などレスリング型になったのも典型的で、男子は事ごとにやられたが、それを誰が予想しただろうか。野球のルールも変わり、タイブレーク等がどのように影響するのか、どのように練習を積んで戦略や戦術を考えたのか、我々は知りたかった点である。これらはすべて希望的観測で流されてしまった。

 企業内の課題がこのような、いい加減な情報、それも無責任な情報で、誤った判断してはならない。VEでは「情報収集」はジョブステップの1歩目で、私は「又聞き情報はダメだ、事実をつかめ」と指導している。たびたび仕事では「それは本当か」と念押しをする。信頼の無い情報をもとにした商品開発などもっての他であるからだ。

 スキー行のバスの車中でゲームをした。一番前の人がある情報を発信し、最後列まで伝えていく。少々複雑な情報の中にある「おばあさんがころんだ」情報が最後列では「死んで葬式が終わった」ことになったりするものだ。少し長い文章に自分の憶測や作り上げた物語が加わるとこうなる。

 カチンカチンになる必要はないが、正しい情報、推定や憶測でない事実に基づいた情報、根拠のある情報を発信する習慣を持ちたいものだ。


    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE