嘉彦エッセイ


第120話(2014年06月掲載)


          



『小指の仕事』


小指などと書くと、彼女の事を合図するものと想像する殿方もいらっしゃるかもしれないが、今月は人間の指のお話しです。

人間には片手に5本、両手に10本の指が付いている。太古の昔、恐竜が祖かどうかは知らないが、
動物を形成した個体が、いろいろ進化して、海や湖に潜って魚になっていった動物や、
空を舞う様になって鳥や蝶などの昆虫になっていったり、陸上の大きなものでは象や、小さなネズミ、虫などになっていったり、
環境に合わせて
形態が変わって、生き延びやすく進化していった。


  私たち人間は、霊長類と言う分野に属する動物だそうで、まあ、簡単に言えばサルの仲間なのだ。
四ツ足で歩く猿から、二足歩行をする人間に進化したために、骨格や内臓に無理が生じているのだそうで、
腰痛や肩痛の原因はそこにあると言われている。


  鳥や蝶のように空を舞う小動物の羽にあたる部分は、魚は鰭(ヒレ)になり、一般的な四足動物は前足になり、
霊長類は腕と手に変化して来た。そして私たちには1本の腕に5本の指が付いた手の平があり、
これは脳細胞の進化と共に、地球上に文明と言う大きな役割を生んできたのだと思う。

  猿と人間の大きな違いの一つは道具を使うことにある。チンパンジーの様に、計算をしたり食物を加工(割ったり裂いたり)するために、
身近に道具を保管する利口な霊長類もいるようだが、人間の器用さは格別だ。


   10本の手はいろいろなものを創りあげたり支えたりする。孫の6歳の里咲の手は小さくぽちゃぽちゃで、
かわいいため度々じいは口に頬ばったりしては可愛がってもいる。本当にかわいい手であるが、
それでも器用に本の付録のおもちゃを創り上げている。あの可愛いもみじのような手が、大したことをしでかしている。


前置きが長くなったが、その10本の指、何気なく使っているが、最近教えられたことがある。

  齢70歳に近づくと、身体の色々な部分が故障してくる。昨年は切れた肩の筋肉を縫合したり、
先日は冠動脈にカテーテルでプラチナの網の管(ステント)を入れて、潰れを補修したりしているが、
手の指も
“バネ指”と称する筋と筋肉の連携の悪さと言うより、筋の伸縮不良とでも言いましょうか、
素直に意思通り動かなくなり、一旦曲げると伸ばす時にバネ仕掛けの様に少しインターバルを置いて
ピンと跳ねる現象を表す様になった。

    今日のタイトルの小指が“バネ指”になってしまったのである。バネではじかれる瞬間は痛むが、
普段はあまり使用上の支障を感じないのでほったらかしにしていたら、今度は左手の中指が“バネ指”になってしまった。
その前にある人が「それって伝染するそうだよ」と小指を指していったことを思い出して、だんだん不安を感じ出して、
肩の手術をしてくださった先生に相談して、指の伸縮運動を指導され、時折指示に従ってはやってみていたが、
真面目にやらないせいか、回復してこない。



   話は変わるが、私はその昔、年賀状は墨をすり、筆で書いていたことが長い間続いていた。
父が例年のセレモニーにしていたことをまねて、さして上手いわけではないが門前の小僧、
毛筆で書くのが友人たちの好評を得て、おだてに乗って続けてきたが、今はパソコンの力を借りる様になった。
そんな過去を知るスキー仲間から、大会の賞状や合格証を私に描けと都度頼まれ、私の定番の仕事になっていたが、
今年はどうしても筆が滑らないのである。


   万年筆やボールペンで字を書いても、既定の線上に字が滑っていかないのである。
なんと、小指の“バネ指”が原因であることに気づいたのだ。


   何の役目もしていない、ただ拳を紙面に載せる際の支え程度なのに、それが、それが、筆先が滑らず、
文字があっちこっち向いてしまうのである。字を書くのにこんなに小指が重要な役割を果たしているのかと初めて気づいた次第だ。

先日左手の中指は肩の手術の先生に執刀していただき、自動車の部品で言うとプッシュプルケーブルのアウターケースと
中のケーブル(筋)が摺動しない部分を、アウター側を切って、ばね指を修理したが、1か月経っても腫れて、湾曲し、
何かと作業しづらい。日曜大工で鋸を引こうとしたら、真っ直ぐ引けないのである。
髪を洗うにも小指と中指は動きを邪魔する始末。


私たち健常者は、障がいのある方々には申し訳ないが、五体満足に日々気づくことなく、当たり前の生活をしているが、
たった小さな小指1本がこんなに重要な役割を果たしてきたのか、と改めて考えさせられた。
そういえば、先日、舌の下に小さな口内炎ができ、舌が食べ物を口の中で回してくれないために、
美味しいものが食べられなかった。どこかが痛むとそれをかばうために周囲の機能が低下したり、事が起きると気づくことがある。


   ヤクザさんが(さんをつけるのか?)造反してその見返りに殺されずに済ます儀式に“指を詰める”と言うのがある。
小指の第1関節から先を切り落とすことだが、これには意味があるのだそうだ。
小指の先を切り落としてもと思うが、拳に力が入らなくなったり、闘争心まで低下する作用があるとリハビリの先生がおっしゃっていた。
何の変哲もないようで重要な働きをする様だ。それぞれの指には大変な機能があることを改めて知らされた。

日常生活や、組織活動にも例えることができるかと思った。良く「あいつは何の役にも立たない」と言う言葉があるように、
日々気づかなくとも、職場で笑顔を振りまく人の存在感は小指以上に職場の出力を上げる役割を果たしているかもしれない。
目に見えない働きは失わなければ気づかないのはもったいない話だ。

自分の身体の種々の機能を再確認・再発見してみると良い。自分が関与している組織の動きを良く分析して、
何かが欠けたらどうなるか考えて見たら良い。職場や組織で浮いている人を活動の輪に加えてみたら、
また新しい働き、活力の基や出力の基になるのかもしれない。


小さな小指に改めて考えさせられました。


    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE