嘉彦エッセイ


第123話(2014年09月掲載)


          



『オオカミ少年』


羊飼いの少年が、退屈しのぎに「狼が出た!」と嘘をついて騒ぎを起こす。
大人たちは騙されて武器を持って出てくるが、徒労に終わる。少年が繰り返し同じ嘘をついたので、
本当に狼が現れた時には大人たちは信用せず、誰も助けに来なかった。そして村の羊は全て狼に食べられてしまったという話。
…イソップの童話にでてくる『オオカミ少年』の話の要約だ。


今年は異常気象が続いている。報道は都度、都度「記録的…」と言い、…部には大雨”“猛暑”“強い風”“大型台風”など等の
言葉が入り、TV画面も最近はメインの放送を中央に構え、周囲を“記録的”情報を随時提供するようになっていて、
各地の災害状況や、自分に被さって来そうな情報も随時把握できるようになってきた。
携帯やPCでのネット検索は、自分のいる場所をGPSで感知してそこの情報をくれる。
更に天気予報はピンポイント情報(1Km四方単位)が把握できるようになった。

しかし我々は「記録的・・・」もあまり驚かなくなってしまった。情報を知って逆に安心しているのだろうか。
現実に、
TVに映る水嵩を増して堤防を越える水、床下浸水何軒、床上浸水何軒、・・・しかし自分に関わりなさそうだと驚かない。

そうこうしているうちに、8月20日の未明、広島で記録的ゲリラ豪雨で山が崩れ落ち、大規模土砂災害が起きた。
昨年の伊豆大島をはるかに超える大災害だ。双方ともよく似ているのは、人家がどんどん山に登っていき、
そこにわずかな段々の平坦部を構築して人の住む領域を増やしていった扇状地だ。
大きな木が山裾で斜面を支えてくれていたその大きな木を伐採により除いてしまったのだから、
上部は崩れてしまうのは自明の理。でも眺めの良い土地欲しさに登って行ってしまったのだ。


   
確かに、治水事業が行き届き、その昔はすぐ堤防が決壊して、町中が浸水・孤立、水没まで出る…と言った被害があったが、
ここ10年ほど前から聞かなくなったように思う。代わりに昨年の大島や今回の広島の様に、造成した住宅地が崩れ落ちたり、
昔ながらの山林が、大水を吸って突然崩れ落ちた災害。更に至近な例では長野県南木曽町でも大きな災害に見舞われた。

・・・被災者には申し訳ないが、激甚災害で当事者は大変な悲劇。子供を探して泣き叫ぶ母の絶叫に、
報道を聞き私も涙したが、全国で57万もの箇所が危険にさらされながら、数日たつと、自分の住む地は???と不安を持ち続けない。
対策を興さない。驚かなくなってしまっている。なぜだろう?
今回のある被害者はインタビューの答えに「指定地区とは知らなかった」との事。不動産を売る人もその説明をしないのか。
報道や事例がオオカミ少年なのだろうか。自分の周りには考えられないと過信する安心からか、
東北の大震災があまりにもおおきかったのでそれより小規模の災害は無視なのだろうか。
今回の広島は南木曽の災害が起きたばかりなのに・・・。

私は、今年実際に大雪に閉ざされ、精神的にもおかしくなった“被災者”を
体験した(4月号のエッセイ『塩の道:現地・現物・現実と茫然自失』で紹介)が、その体験者が、
今回の災害も驚くも瞬間風速だ。なぜだろう。どうしたら良いのだろう。


    
被災体験者と言っても、自分で自分を見ると完全に平和ボケで、
結果何とかなるとの安心感が大きなオオカミになっているのかもしれない。
私の被災は確かに孤独と仕事(過去に経験のないキャンセル)に対する責任感などで精神的には参ったが、
衣食住で見れば、着る物はしっかり持っていたし、食は何とかあったし、酒まであった。
一晩を除けば、(山梨の)自分の家でストーブで暖を取っての生活。他人から見ても憐れむものは全くない被災者だ。
したがってあの程度では緊張しない・・・レベルだったのだ。被災者ではないのかもしれない。


   
報道を見ると、気象庁は危険性をしっかり予測を含めて注意を呼びかけて、「俺たちは正確な情報を提供している」スタンス。
   
行政は「自分たちに火の粉が落ちてこない対策」を行い、万が一の場合でも「だから、予告をしたではないですか」
「危険区域は各都道府県に通知済み」と言い逃れる対応に見える。


   
でもよく考えてみたい。私の被災の経験では、予報は全くためにならず、正に歴史的、記録的(従来の最高積雪の2.5倍)結果で、
行政は打ち手が全くなかったのが実情。私の被害は微少かもしれないが、本当に雪に閉ざされて、
車の中に停滞を余儀なくされた人たちを救ったのは、近所の民間人。
近くの公民館を開け、暖を取れるようにした。食料がコンビニから消えたら、コンビニの本社がヘリコプターで食料をピストン輸送。
孤立した早川村の支援は民間が動いた二日後だった。そもそも山梨県に1台も除雪車がなかったのだ。

南木曽も今回の広島も、確かに自衛隊、消防、警察。
特に今回の広島は相当の数を投入して救出に臨んだが吉報は聴けなかった、重たい水を含んだ泥が相手で、
追い打ちをかけた雨がまた記録的だったからだ。

    
しばしば聴くのは「近くの公民館へ避難するように」の報道だが、公民館の環境は安全に避難できる環境なのか。
打ち手は、もう一歩踏み込んで、避難する場所の安全性や不安を除く情報を事前に提供したり、
裏山の状況がこのようになる前に具体的に避難指示を出すとか、水嵩がここまで来たらどの地域は土嚢積みを開始せよとか、
もっと遡って自治会単位で土嚢造りの講習会(水で土嚢ができるんですね)を行ったり、
地区ごとの防災診断を繰り返し行って、オオカミの怖さを自治会単位で勉強することなのか。
地区単位で避難場所に行って、安心の確認(安全性の確認と衣食住の保証確認)をしたりしておけば、
報道や地区の市役所から流れる災害情報に、どう対処すべきか、その情報は自分にとってオオカミなのか、
聞き流して良い情報とそうでない情報を区別できるようになるかなるのではないか。

しかし今回の時刻(未明)と“記録的”雨量の関係はどのように対処したら良いかは、
きっとまだマニュアル化はできていない気がする。


   
運転免許の更新に行くと映画を観させられる。数日間はあのような事故は起こすまいとなるが、何日かで忘れてしまう。
    
スキー連盟で安全講習を行うが、まともに聞く人はその関係者のみ。自分も安全対策の委員長までやったが、
あの時指導した内容はすっかり忘れている。注意の喚起はオオカミ少年に過ぎない。


   
企業でも良くある現象だ。耳にタコ(オオカミ少年)ができ、実務ではついぬかって、大水(クレーム、リコール)を出す。
原点に戻って、事前対策をケースバイケース(災害の種類=洪水・地滑り、風害・・・と起きる原因=豪雨・強風・・・)の
避難訓練を原点に戻って繰り返さないといけないのだろう。そういえば企業の基礎教育もずいぶん手抜きになっている。


   
日本の周囲は大波・大潮に備えて消波ブロックで囲った。津波対策も各地に進みだした。
河川の治水対策は随分前に一巡した・・・でも近年の山林再開発にはまだ手は打たれていない。
国は此処に対策の手を打ち、開発にはブレーキをかけ、行政と共に我々は危険の起きうる可能性にオオカミは出ると信じて、
しっかり学ぶことなのかもしれない。今回は家と家の間が狭く、流れて来た木材などが2軒に跨り、ダム上に流れを堰き止め、
一気に2軒ごと流してしまった例もある。建物の間隔も見直す必要があるようだ。


   
防災のオオカミは以上だが、企業活動のオオカミはいませんか。大丈夫だろうは既にオオカミが暗闇から
目を光らせているシグナルです。過去の失敗は抜本的に対策されているか。再発防止は確実か、
更に隠れているオオカミはいないか。油断大敵。災害に学ぼう。


9月1日、近くの米軍基地を利用して8都県市合同の防災訓練があるそうだ。私はしっかり学んで来ようと思う。


    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE