嘉彦エッセイ


第126話(2014年12月掲載)


          



『アトランタ五輪組織委員会』


   アメリカにStewart Davisという友人がいた。勿論VEを通して知った友人で、とても偉い人だった。
地位が高いとかではなく、障害を持つ奥さんをどこにでも連れ歩き、車椅子が入れない世界は全くないように、
どの地域でも、どんなイベントでも、彼は奥さんを連れ歩いていた。

そして友人に対して心からのおもてなしも怠らなかった。彼がアレンジしてくれたことを今月はエッセイの材料にしてみた。

19944月末、私にとって、10回目のアメリカ訪問はNew OrleansでのSAVE大会(6回目の参加)だった。

当時の日本VE協会は海外のVEr.やアメリカの色々な施設などの見学を積極的に準備してくれて、
日本から多くのVEr. がアメリカを訪れ、学びとっていた。


アメリカの大会は、本イベントに加え、毎回その地域に合ういろいろなアトラクションが我々を歓迎してくれる。
この年の大会では趣を変えて、夜のツアーがあって、3枚のティケットを持ち、ジャズフェスティバルと称して、
いろいろなパブで演奏されるデキシーキングジャズを聴き歩くツアーだった。
町中のパブがこの企画に合わせ、我々を待ち受けていた。
そう、New Orleansはデキシーキングジャズの本場だったことを忘れていた。
3枚とは、自分の好みのパブ3軒を選べる趣向だ。陽気なアメリカのVEr.は、
大会に参加するのにしっかり楽器まで持参してきており、ツアーで巡回する先々でトランペットを吹いたり、
トロンボーンを鳴らしたり、楽しいイベントだった。


この年のSAVE大会の後の我々の見学はNew Orleansを後にしてAtlantaに飛んだ。
なんと、
Stewart Davis1996年に開催されるアトランタ五輪の準備をつかさどる組織委員会を
案内してくれることになっていた。アトランタと言えば、Margaret Mitchellの「風と共に去りぬ」の舞台でもある。


スポーツマンの私にとってこの企画はわくわくするものだったが、さらにそれを増長してくれるものがあった。
オリンピックもしかりだったが、この地には、
Babe RuthHank Aaronが活躍した名門、
それもMLB最古の球団であるAtlanta Bravesがあって、Braves球場を訪れる事もプログラムにあることが分かったからだ。


行きました、行きました。Hank Aaronが悔しがって蹴とばしたロッカーが残されていたり、
彼や
Babe Ruthの手形が有ったり、"Jackie" Robinsonの使ったロッカーも残されていた。グランドにも立たせてもらった。
あの天然芝は何と靴が埋もれてしまうほどの長さに管理されているのを見て驚いた。
これも全てStewart Davisの仕掛けだった。気配りのアメリカン人の真骨頂だ。


本題はこれからだ。我々日本のデレゲーションは、彼の案内でアトランタ五輪組織委員会を訪れた。
Braves
球場訪問もその一環だった。今回のエッセイは、2020年東京オリンピックの準備がもたもたしているので、
その関連情報をと書くことにしたのは言うまでもない。


アトランタでは以下の様な環境対策が施されていた。

    大会中は空気汚染を防ぐため、大会会場エリアに自家用車の乗り入れを禁じたのだ。

    開会式の会場は、Braves球場が古くなったのでつくりかえることが決まっており、その隣(と言っても、
目の前にあるように見えても2Km以上はあって、歩ける距離ではなかったが)に新たに造ることになっていた。
開会式は、その球場の半分まで工事をして、残りをテンポラリー(臨時)のスタジアムに仕上げる。五輪が終わったら、
臨時の方を壊して、残りの部分を本格的な工事を施し、新しい立派な球場にするとのことだった。
陸上競技場は、近くに大観衆を迎え入れるには小さな器の従来のものがあり、二つも要らないとの事からだった。

    プールもしかり。アトランタの市民の数からして、50mプールは2つも要らない。と言うことから
練習用プールは
Georgia Tech(ジョージア工科大学)の校庭に重機で50mの穴を掘り。
スタート台とターンやコースロープはかけられるようにしてビニールの水槽を作り、そこで泳ぐ。
オリンピックが終わったら、また埋め戻して、校庭に戻す


    選手村は、そのGeorgia Techの古くなった学生寮を作り直して、対応し、五輪終了後、学生寮として使っていく。

    テニスコートは、近くの山をすり鉢型に掘って観客席を作り、椅子は全て木製、コートは2面(だった?)造り、
五輪終了後は、近くに掘り起こした土を遺しておき、その土を埋め戻して元の山にし、木も植えて自然を取り戻す。
木製の椅子は埋め戻す時にそのまま埋めてしまうのだそうだ。


    自転車競技は、大会当日、市中の道路を閉鎖して自転車用に開放する。

などなど・・・。

   VEには、その定義に、「最低のライフサイクルコストで、必要な機能を確実に達成する・・・」との定めがあり、
アトランタ市の将来を見据えた、施設の規模を考慮して、五輪が出来れば良い。その機能は確実に果たし、
そして将来的に維持費などを含め、最も安価な費用で全うする。組織委員会の人たちは、私たちの様に専門の
VEr.ではないが、
何十年もVEをこなしてきたかのような判断基準で臨んでいた。そして自然を愛する、残す精神もしっかり備えていたのである。
こうしてアトランタ五輪は黒字で大成功に終わった。


  さて、日本の対応はどうか、国立競技場は造り変えるようだが、あの感動を与えてくれた聖火台まで作り変える必要は
あるのだろうか。端から、端から、施設を新設したり作り変えたりする必要はあるのだろうか。
今思うに、20年前のアトランタに学ぶと、多くの考えさせられるものがある。


   そういえば、我々VEr.は、2011年夏から秋にかけて東北の大震災を何とか早く復興に導きたく、
VEの技術を駆使して研究会を持ち、最短の期間と最も安い費用で、将来を考えた復興ができると、
復興省、環境省に提案をしたが、全く通用しなかった。それは従来の慣習から一歩も脱却できず、
従来のやり方にこだわったため、我々の提案は、
“参考”にさえしてもらえなかった。


   通用しなかった我々のアピールの下手さもあろう。しかし、アトランタの組織委員会の人たちの頭の柔らかさには“日本人”が
学ぶべき頭の柔らかさを今更ながら感心し直すものだ。



追補:

   Stewart Davisは、私に五輪を観に来いと誘ってくれたが行くことができなかったので、彼と約束をした。
100m競技のゴール地点の最前列で見ているから、TVで確認しろとの事。一生懸命彼を探したが発見できなかったが、
彼からのメールは「俺は約束通りゴールにいたが見たか!」と。


その彼も数年前に亡くなった。いい友達だった。

    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE