嘉彦エッセイ


第127話(2015年01月掲載)


          



          『光』 


新年明けましておめでとうございます。光り輝く新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

   良く、年賀状にこのようなあいさつ文を書きますが、まずは、本文も、この文章を生かし、新年のご挨拶を申し上げると共に、加えて、本年もこのコラムにささやかな心の叫びを書き綴りますので、ご愛読のほどお願い申し上げます。


私の少年期は、戦後の貧しさの中で、新年を迎えるのはとても嬉しい事だった。
それはお正月には、食べ物が沢山あるからでした。

普段は、つつましやかな家庭料理で、さほど量もなく、三人の姉弟の世界で、大げさに言うと、早い者勝ちでおかずを確保したり、
当時(昭和20年代後半)は、きっと親もたくさん食べさせたい気持ちは山ほど持つも、
経済的に、そして物資の不足もあり、与えられない悲しみを感じていたのであろう。


   でもお正月は比較的古風な田舎者の家庭であったことから、瀬戸物の3段の重箱は万載になっていた。
お重の周囲の柄は、輝く日輪に向かって鶴が飛び立つ絵であったように記憶している。その蓋を開けるのが楽しみだった。
なますやかまぼこ、煮豆、鰊の昆布巻きもあった。数の子は
“黄色いダイヤ”と呼ばれる前の豊漁期であったので、
しっかり盛り付けられていた。まさにおせち料理満載だった。


お正月が来ると、その食材に目が輝いたものだ。それに加えて、父親から今年の抱負(それほど大げさなものでなく、希望程度)を
聞かれ、夢を追って目を輝かせたものだった。
夢はその年にやって見たいもの、手にしたいものを語るに過ぎなかったが戦後の少年期の思い出だ。「輝く」…良い文字だ。


   新年の挨拶には冒頭書いた様に、光が多く登場する。陽春、陽光、初日・・・光が当たるは注目を浴びることを意味するし、
光が指してきたは好転、光が見えて来たは暗いトンネルを抜け出ることを物語っている。

光は周囲を照らすばかりではなく、心も明るくする元で、最近こんな体験をした。

歳を取ったからか、文字が良く読めない。特にプロジェクターで映された文字や数字は、なかなか読み取れず、
こうなると仕事にも差し障るしと、信頼のできる眼科の先生に相談をした。検眼の先生が「もうメガネの調整では無理だ」
本先生も同じようなことをおっしゃる。半ば諦めて、さてどうするか考えているうちにひと月、二ケ月…
なんとかならないか…諦めかけたがやはり益々見えない。暗くなっていた。もう一度チャレンジしてみよう。ダメ元と再度その眼科へ。

今迄の検眼は、従来のめがねに変化を与えて(いろいろなレンズを加えたり・・)見える、見えない、を繰り返したが、
思い切って0から新しい度を探してみた。

乱視と遠視(老眼)の組み合わせから、「あっ!」と言う“度”を発見。その度でレンズを作り直してみたら、何と良く見える!

   最近TVが壊れ買い替えた。なんか前の方が鮮やかに見えていたように思っていたが、
新調したメガネで視ると、何と!何と!鮮やかなTVではないか。まるで新しい光が指したように感じた。


   ものすごく嬉しく、本当に飛び跳ねたいほど嬉しかった。
実はその眼は、今の私にはきわめて重要な目で、もう片方は黄斑変性で不治を宣告されていたため、頼りの左目だったのです。
(ちなみに、iPS細胞なら治るのだそうです。)



VEの世界では従来の仕組みをブラスト(爆破)して、必要な機能のみを残し、
その機能を満足する新しい発想をせよと教えられてきた。


 我々は中々従来の習慣(延長)から脱皮できない。しかし私の左のレンズは、もう一度0から見直しをしたら、光り輝いたのだ。
まだプロジェクターの文字は見ていないが、新調した東芝のTVは輝く画面であることは確認できた。ぼやけていたのは私の目だった。

新年の挨拶に光が出てくる理由が分かった。新しい年は思い切って従来から飛躍の変化をもたらし、
新しい輝く光を得てください…これが新年の挨拶に含まれる意図だったのだろうと感じた。


今年は、もう一度いろいろ奮起し直して、歳に負けない新しい自分を発見しようと思った。

いかがですか、皆さんもご一緒に、光り輝く明るい年にしようではありませんか。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE